教皇ベネディクト十六世の55回目の一般謁見演説 最初に呼ばれた者(プロートクレートス)であるアンデレ

6月14日(水)午前10時から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の55回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の11回目として、「最初に呼ばれた者(プロートクレートス)であるアンデレ」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、ヨハネによる福音書1章35-40節が朗読されました。謁見には35,000人の信者が参加しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 前回と前々回の講話でわたしは聖ペトロの姿について話しました。これからわたしたちは、資料が許す範囲で、他の11人の使徒のことをもうすこし知りたいと思います。そこで今日わたしは、シモン・ペトロの兄弟アンデレについてお話しします。アンデレも十二人の一人だからです。
 アンデレについてのまず印象的な特徴は、その名前です。アンデレという名前は、予想に反してヘブライ語ではなく、ギリシア語です。それはアンデレの家族がある意味で文化に開かれていたことを示す、無視できないしるしです。ガリラヤでは、ギリシア語とギリシア文化が豊かなしかたで存在していました。
 十二人の名簿の中で、アンデレはマタイによる福音書(10・1-4)とルカによる福音書(6・13-16)では2番目、またマルコによる福音書(3・13-18)と使徒言行録(1・13-14)では4番目の位置を占めています。いずれにせよ、アンデレが初期キリスト教共同体の中で大きな信望を得ていたことは間違いありません。
 ペトロとアンデレが血縁関係にあること、また彼らがイエスから一緒に招かれたことは、諸福音書の中にはっきりと述べられています。次のようにいわれています。「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』といわれた」(マタイ4・18-19、マルコ1・16-17)。
 第四福音書からは別の重要なことがわかります。アンデレは最初、洗礼者ヨハネの弟子でした。そしてこのことは、アンデレが探求者であったこと、イスラエルの希望を共有していたこと、主のことば、主が現実に共におられることをもっと知りたいと望んでいたことを示しています。
 アンデレは真の意味で信仰と希望の人でした。そしてある日、洗礼者ヨハネがイエスを「神の小羊」(ヨハネ1・36)と呼ぶのを聞きました。そこで彼は心を動かされ、名前の知られていない他の弟子とともに、イエスに――すなわち、ヨハネが「神の小羊」と呼んだかたに従いました。福音書記者ヨハネは次のように述べています。「彼らはどこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった」(ヨハネ1・37-39)。そのときアンデレは、イエスと親しく関わる貴重なときを過ごしました。この記事は続けて次の重要な事実を述べています。「ヨハネのことばを聞いて、イエスに従った二人のうち一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、『わたしたちはメシア――「油を注がれた者」という意味――に出会った』といった」(ヨハネ1・40-41)。こうしてアンデレは、すぐに並外れた使徒的精神を示しました。ですからアンデレは、招きを受けてイエスに従った最初の使徒です。
 そのため東方教会の典礼は、アンデレを「プロートクレートス」すなわち「最初に呼ばれた者」と呼んで、彼に敬意を表しています。
 ペトロとアンデレが兄弟の関係にあったことに基づいて、ローマ教会とコンスタンチノープル教会は、自分たちが特別な意味で姉妹教会であると考えています。この関係を強調するために、わたしの前任者である教皇パウロ六世は、1964年に、それまでサンピエトロ大聖堂に納められていた聖アンデレの有名な聖遺物を、パトラス市の正教会の首都大主教に返還しました。伝承によれば、アンデレはこのパトラスで十字架につけられたからです。
 福音書の伝承は、他の三つの場面で、アンデレの名に特に言及しています。そこからわたしたちはこの人物についてもう少し知ることができます。第一の場面は、ガリラヤでのパンの増加です。この困難のときに際して、アンデレはイエスに、大麦のパン五つと魚二匹とをもっている少年がいることを示します。アンデレは、その場に集まっている人びと全員のためには、これではまったく足りないといいます(ヨハネ6・8-9参照)。
 アンデレの現実主義は強調するに値します。アンデレは少年を見ます。すなわち、アンデレはすでに少年に頼んでいたからです。「けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」(同)。こうしてアンデレは、手持ちのものが不足していることに気づきました。にもかかわらず、イエスは自分の話を聞きに来た大勢の人を満腹させることができました。
 第二の場面は、エルサレムです。エルサレムを出て行く際に、一人の弟子が、強力な城壁が神殿を支えるさまをイエスに示します。師であるかたの答えは驚くべきものでした。イエスは、この城壁のうちで一つの石も他の石の上に残らないだろうといったのです。するとアンデレは、ペトロとヤコブとヨハネとともにイエスに尋ねました。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴(しるし)があるのですか」(マルコ13・1-4)。
 この問いに答えて、イエスは、エルサレムの破壊と世の終わりについての重要な話を述べました。そしてイエスは弟子たちに、時のしるしを注意深く読み取り、いつも目を覚ましているようにと招きます。この話から、わたしたちはイエスに問いかけることを恐れてはならないということを学ぶことができます。しかし同時にわたしたちは、それが驚くべきもの、困難なものであっても、イエスがわたしたちに与える教えを受け入れる用意ができていなければなりません。
 最後に、アンデレの三番目の行動が諸福音書に記されています。場面は同じエルサレムで、ときは受難の直前です。ヨハネの記述によれば、過越祭のとき、何人かのギリシア人がこの聖なる都に来ていました。このギリシア人はおそらく改宗者か、神を畏れる人でした。彼らが来たのは、過越祭の間、神を礼拝するためでした。
 ギリシア語の名をもつ二人の弟子の、アンデレとフィリポは、このギリシア人の小さなグループとイエスの間の通訳と仲介役を務めていました。アンデレの問いに対する主の答えは、ヨハネによる福音書でよく見られるように、謎めいたもののように思われます。しかし、まさにこのようなしかたで、それは豊かな意味を示します。イエスは弟子たちと、また弟子たちの仲介を通して、ギリシア世界に向けていいます。「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきりいっておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ12・23-24)。
 この文脈の中で、このことばは何を意味するのでしょうか。イエスは次のことをいおうとしたのです。すなわち、たしかにわたしとギリシア人の出会いは行われた。しかし、わたしの出会いは、何人かの人との簡単な短い会話にすぎないものではない。この人びとは何よりも好奇心に促されて来た。わたしの死は、一粒の麦が地に落ちることにたとえられる。このわたしの死によって、わたしが栄光に上げられる時が来る。十字架上でのわたしの死から、豊かな実りが生じる。「死んだ一粒の麦」――それはわたしの十字架の象徴である――は、復活において、世のためのいのちのパンとなる。それは諸民族と諸文化のための光となるであろう。
 そうです。たしかにギリシア精神との出会い、ギリシア世界との出会いは、一粒の麦が示す深みにおいて行われました。この一粒の麦は、地上と天上にあるすべての力を自分に引き寄せて、パンとなりました。いいかえれば、イエスは、過越の実りとして、ギリシア人の教会、異邦人の教会、すなわち世の教会が生まれることを預言したのです。
 最古の伝承の考えによれば、これらのことばをギリシア人に伝えたアンデレは、わたしたちが今考察したような、キリストと出会った何人かのギリシア人の通訳だっただけではありません。アンデレは、聖霊降臨後の何年もの間、ギリシア人の使徒だったと考えられています。伝承によると、アンデレは生涯を通してギリシア世界のためにイエスを告げ知らせ、そのことばを翻訳しました。
 アンデレの兄弟ペトロは、エルサレムからアンティオキアを経てローマに到着しました。それは彼の普遍的な使命を果たすためでした。それに対して、アンデレは、ギリシア世界の使徒となりました。こうして二人は、その生涯においても死においても、真の意味での兄弟として対をなしています。二人のこの兄弟関係は、ローマの使徒座とコンスタンチノープルの使徒座の特別な関係によって、象徴的に表されます。両教会はまことに姉妹なのです。
 すでに述べたように、後の伝承は、アンデレがパトラスで死んだと伝えています。アンデレはまた、パトラスで十字架刑を受けました。しかし、兄弟ペトロと同じように、この最後の時に、アンデレは、イエスと違う十字架につけてくれるように求めました。アンデレの場合、十字架はX字形のものでした。つまり、梁(はり)が斜めに重ね合わされたものでした。そのためこの十字架は「聖アンデレ十字」と呼ばれます。
 十字架につけられるときにアンデレが述べたとされることばは次のとおりです。これは『アンデレの受難』という標題の古代の物語(6世紀初頭)によるものです。「ああ、幸いなる十字架よ。あなたはキリストのからだによって始められ、高貴な真珠のように、キリストに属する者たちの飾りとなりました。あなたは主の前に掲げられ、地上に恐れを生じさせました。けれども、今や天上の愛を与えられて、あなたはたまものとなりました。信じる者たちは、あなたがどれだけ多くの喜びに満ち、どれだけ多くのたまものを与えるかを知っています。ですから、信頼と喜びに満たされて、わたしは来ました。それは、あなたの上につけられた弟子として、あなたがわたしを喜びのうちに受け入れてくださるためです。・・・・聖なる十字架よ。主に属する者たちの威光と美を受け入れたかた。・・・・わたしを取り上げ、人びとから遠く導いて、わたしの師であるかたへとわたしをささげてください。あなたを通して、師であるかたがわたしを受け入れてくださるように。師であるかたはあなたを通してわたしをあがなってくださるからです。ああ幸いなる十字架よ。まことにあなたが祝されますように」。
 おわかりのように、ここにはきわめて深いキリスト教的霊性が示されています。この霊性は、十字架のうちに、たんなる処刑の道具ではなく、地に落ちた一粒の麦である、あがない主と完全に一致するための比類のない手段を見いだします。わたしたちはとても重要な教訓を学ばなければなりません。それは、わたしたちが十字架をキリストの十字架の一部と考え、それを受け入れるなら、また、キリストの光を反映するものとして十字架に触れるなら、わたしたちの十字架は価値あるものとなる、ということです。十字架を通して、初めてわたしたちの苦しみは高貴なものとされ、その真の意味を見いだすのです。
 使徒アンデレがわたしたちを教え導いてくださいますように。わたしたちがすぐにイエスに従い(マタイ4・20、マルコ1・18参照)、わたしたちが出会うすべての人にイエスのことを熱心に語り、また何よりも真の意味でイエスとの親しい関係を深めることができますように。イエスのうちにのみ、人生と死の究極の意味を見いだすことができることを、わたしたちは知っているからです。

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