教皇ベネディクト十六世の56回目の一般謁見演説 大ヤコブ

6月21日(水)午前10時から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の56回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続 […]

6月21日(水)午前10時から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の56回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の12回目として、「大ヤコブ」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、マルコによる福音書1章19-20節が朗読されました。謁見には25,000人の信者が参加しました。
一般謁見の後、教皇はパウロ六世ホールで、レーゲンスブルクの名誉市民号を授与されました。教皇(ヨゼフ・ラッツィンガー)は1969年からレーゲンスブルク大学教義神学・教義史教授、また同大学副学長を務めました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 イエスがその地上の生涯の中で直接選んだ、使徒たちの姿に関する連続講話を続けます。わたしは聖ペトロとその兄弟アンデレについてすでにお話ししました。今日わたしたちはヤコブを取り上げます。聖書に書かれた十二人の名簿は、ヤコブという名前の二人の人を挙げています。ゼベダイの子ヤコブと、アルファイの子ヤコブです(マルコ3・17、18、マタイ10・2-3参照)。この二人は一般に、「大ヤコブ」と「小ヤコブ」という名称によって区別されます。
 この言い方は、彼らの聖性の高さを計ろうとしたものではなく、新約聖書の文書の中で、特にイエスの地上の生涯の枠組みの中で、二人に与えられた重要性の違いを述べたものにすぎません。今日わたしたちはこの同じ名前の二人の人物のうち、前者に注意を向けたいと思います。
 ヤコブという名前は「ヤコボス」の訳です。「ヤコボス」は、有名な族長の名であるヤコブのギリシア語形です。使徒ヤコブはヨハネの兄弟です。また彼は、先に述べた使徒の名簿の中で、マルコによる福音書では、ペトロに次ぐ二番目(マルコ3・17)、マタイによる福音書(マタイ10・2)とルカによる福音書(ルカ6・14)では、ペトロとアンデレに次いで三番目の位置を占めています。しかし使徒言行録で、ヤコブはペトロとヨハネの後に出てきます(使徒言行録1・13)。このヤコブは、ペトロとヨハネとともに、イエスの生涯の重要な時にイエスと同行することを許された三人の特別な弟子のグループの一人です。
 今日はとても暑いので、わたしは今、話を短くして、これらの重要な時のうちの二つについてだけ述べたいと思います。ヤコブはペトロとヨハネとともに、ゲツセマネの園でイエスが苦しんだ時と、イエスの変容の時に居合わせることができました。ですから、これらの場面はそれぞれたいへん性格を異にしています。一つの場面で、ヤコブは他の二人の弟子とともに主の栄光を目にします。ヤコブは主がモーセとエリヤと語り合うのを見ます。彼はイエスのうちに現された神の輝きを見たのです。もう一つの場面で、ヤコブが目にしたのは、苦しみとへりくだりです。ヤコブは、神の子が自らへりくだって、死に至るまで従順となられるのを、その目で見ます。
 ヤコブにとって、後者の経験が、信仰を成熟させるための機会となったことは間違いありません。すなわち、それは、最初の経験を勝利へ導くものとして偏ったかたちで解釈するのを改めさせました。ヤコブは、ユダヤ人が勝利者として待望してきたメシアが、実際には、ほまれと栄光に包まれたかたであるだけでなく、苦しみと弱さに囲まれたかたであることを知らなければなりませんでした。キリストの栄光は、まさに十字架の上で、わたしたちの苦しみにあずかることによって実現されたのです。
 この信仰の成熟は、聖霊降臨のとき、聖霊によって完成されました。それは、最高のあかしを行う時が来たとき、ヤコブが引き下がることがないようにするためでした。ルカの伝えるところによれば、1世紀の40年代の初めに、ヘロデ大王の孫のヘロデ・アグリッパ王は「教会のある人びとに迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」(使徒言行録12・1-2)。詳しい話が何もない、この短い報告は、一方で、キリスト信者が自分のいのちをもって主をあかしすることが普通のことだったことを示しています。他方でそれは、ヤコブがエルサレム教会で重要な地位を占めていたことを示します。この地位は、イエスの地上の生涯の間にヤコブが果たした役割に基づくものです。
 少なくともセビリアのイシドロ(560頃-636年)にまでさかのぼる、後の伝承は、ヤコブがスペインにいたことを伝えています。それは、このローマ帝国の重要な版図に福音を宣べ伝えるためでした。別の伝承によると、ヤコブの遺骸はスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ市に運ばれました。ご存知のように、このサンティアゴ・デ・コンポステラの地は、大いに崇敬を受けるようになりました。今日でも、ヨーロッパのみならず世界中から、多数の巡礼者がこの地を訪れています。そこから、ヤコブが、巡礼者の杖と福音の巻物をもった姿で描かれるわけを説明できます。それは「よい知らせ」を告げようと努める、旅する使徒を示すとともに、キリスト者の人生の旅を示してもいるのです。
 それゆえ、わたしたちはヤコブから多くのことを学ぶことができます。すなわち、主がわたしたちに、わたしたちの人間としての安定という「舟」を離れることを求めたときも、主の招きをすぐに受け入れること。わたしたちが前もって思い描いていないところであっても、熱心に主に従い、主がわたしたちに示す道を歩むこと。勇気をもって、必要であればいのちという最高の犠牲をささげて、進んで主をあかしすること。このようにして大ヤコブはわたしたちに、キリストへの寛大な従順についての優れた模範を示してくれます。ヤコブは初め、その母を通じて、キリストの国で、兄弟とともに、師であるかたの隣に座ることを願いました。彼は、まさしく最初に受難の杯を飲み、使徒たちとともに殉教にあずかりました。
 終わりに、これらすべてのまとめとして、わたしたちは次のようにいうことができます。ヤコブの歩んだ道は、変容の山から苦しみの山に至るまで、外的な意味だけでなく、何よりも内的な意味において、キリスト信者の生涯の旅を表す象徴です。第二バチカン公会議が述べる通り、キリスト信者の生涯の旅は「世の迫害と神の慰めを通って」(『教会憲章』8)続けられるからです。わたしたちも、ヤコブのように、イエスに従うことによって、困難の中にあっても、正しい道を歩んでいることを知るのです。

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