教皇ベネディクト十六世の2006年6月25日の「お告げの祈り」のことば 年間第12主日にあたって

教皇ベネディクト十六世は、6月25日(日)の正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。 「 […]

教皇ベネディクト十六世は、6月25日(日)の正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で、この日行われた、聖ペトロ使徒座への献金について次のように述べました。「聖ペトロ・聖パウロ使徒の祭日に先立つ日曜日の今日、イタリアでは『教皇の愛のわざのための日(聖ペトロ使徒座への献金)』が行われます。神の民全体に仕えるように招かれた、ペトロの後継者としてのわたしの奉仕職のために、イタリアの教会共同体がささげてくださる祈りと支えに心から感謝します」。
聖ペトロ使徒座への献金は毎年、イタリアや日本では聖ペトロ・聖パウロ使徒の祭日の直前の日曜日(今年は6月25日)に行われます。献金は、教皇の行う愛のわざのために用いられます。
また、ポーランドの巡礼者に向けて、教皇はポーランド語で次のように述べました。「ポーランドの皆様にごあいさつ申し上げます。夏休みの始まりにあたり、青年と青少年の皆様がよい休みをとられるよう願います。この休みの時期に、皆様が神と人に近づき、世界の美しさを知ることができますように。神が祝されますように」。
教皇自身は、7月8日(土)から9日(日)までスペインのバレンシアを訪問した後、昨年と同じく、休暇のため、7月11日(火)から28日(金)まで、イタリア・アルプスのヴァッレ・ダオスタ州レ・コーンブに滞在します。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日の日曜は年間第12主日ですが、いくつかの大きな祭日にいわば「囲まれて」います。先週の金曜日(6月23日)にわたしたちはイエスのみ心の祭日を祝いました。この祭日は、民間信心と深い神学とをふさわしいしかたで結びつけます。家庭では伝統的にみ心への奉献が行われてきましたし、ある国々では今も行われ続けています。これらの家庭では、家にみ心のご像が置かれていました。
 み心の信心は、受肉の神秘に深く根ざしています。人類に対する神の愛は、まさにイエスの心を通して、最高のしかたで現されたのです。そのため、み心に対する真正な信心は、その意味をまったく失っておらず、また特に、神のあわれみを渇き求める魂を引きつけます。人びとは神のあわれみのうちに尽きることのない泉を見いだします。彼らはこの泉からいのちの水を汲むことができます。またこの泉は、魂の砂漠を潤し、希望を取り戻させます。
 イエスのみ心の祭日は、司祭の聖性のために祈る日でもあります。親愛なる兄弟姉妹の皆様。わたしはこの機会に、司祭のためにいつも祈ってくださるよう皆様にお願いします。それは、司祭がキリストの愛を力強くあかしすることができるようになるためです。
 昨日(6月24日)のミサで、わたしたちは洗礼者聖ヨハネの誕生を祝うことができました。洗礼者聖ヨハネは、その誕生が記念される唯一の聖人です。洗礼者聖ヨハネの誕生は、神の約束の実現の始まりを示すしるしとなったからです。洗礼者聖ヨハネは、エリヤと同じ者とされる「預言者」でした。彼はメシアの直前に来るように定められていました。それは、メシアの到来のためにイスラエルの民を準備するためでした(マタイ11・14、17・10-13参照)。
 洗礼者聖ヨハネの祭日は、わたしたちの全生涯がいつもキリストと「関わる」ものであり、キリストを受け入れることによって完成されることを、わたしたちに思い起こさせてくれます。キリストはみことばであり、光であり、花婿です。わたしたちはキリストの声であり、その灯(ともしび)であり、その友です(ヨハネ1・1、23、1・7-8、3・29参照)。「あのかたは栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハネ3・30)。この洗礼者聖ヨハネのことばは、すべてのキリスト信者の計画となるものです。
 キリストの「わたし」が、わたしたちの「わたし」に代わること。使徒ペトロとパウロは、そのことを模範的なしかたで望みとしました。教会はこの二人を6月29日の聖ペトロ・聖パウロ使徒の祭日でたたえます。聖パウロは自分について次のように述べています。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしのうちに生きておられるのです」(ガラテヤ2・20)。
 至聖なるマリアは、聖ペトロと聖パウロに先んじて、またすべての聖人に先んじて、この現実を生きたかたです。マリアはその心の中に御子イエスを納めたかただからです。昨日わたしたちは、原罪の汚れのないマリアのみ心、聖母のみ心を観想しました。マリアは優しい気遣いをもってわたしたち皆を見守り続けてくださいます。マリアの執り成しによって、わたしたちが常にキリスト信者としての召命に忠実であることができますように。

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