教皇ベネディクト十六世の57回目の一般謁見演説 小ヤコブ

6月28日(水)午前10時から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の57回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の13回目として、「小ヤコブ」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、使徒言行録15章13-14、19-20節が朗読されました。謁見には40,000人の信者が参加しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 わたしは先週の水曜日にゼベダイの子の「大」ヤコブについてお話ししました。福音書の中には、この「大」ヤコブのほかに、「小」ヤコブと呼ばれる、もう一人のヤコブが登場します。この「小ヤコブ」も、イエス自らが選んだ十二使徒の一人です。また「小ヤコブ」は常に「アルファイの子」として示されます(マタイ10・3、マルコ3・18、ルカ6・15、使徒言行録1・13参照)。
 「小ヤコブ」はしばしば、マリアの子(マルコ15・40参照)で、やはり「小ヤコブ」(同参照)と呼ばれる、もう一人のヤコブと同一人物だとされます。この小ヤコブの母マリアは、第四福音書によれば、イエスの母とともに十字架のそばにいたクロパの妻マリアである可能性があります(ヨハネ19・25参照)。小ヤコブもナザレの出身で、おそらくイエスの親類でした(マタイ13・55、マルコ6・3参照)。イエスはセム語的表現法で彼の「兄弟」と呼ばれています(マルコ6・3、ガラテヤ1・19参照)。
 使徒言行録は、この小ヤコブがエルサレム教会で特別な役割を果たしたことを強調します。大ヤコブの死後まもなくエルサレムで開かれた使徒会議で、小ヤコブは他の人びととともに、割礼を授けることを前提とせずに異邦人を教会に受け入れることができると主張しました(使徒言行録15・13参照)。聖パウロは、復活した主が小ヤコブに特別に現れたといいます(一コリント15・7参照)。聖パウロは、エルサレムを訪問した際に、ケファ=ペトロより先に直接ヤコブの名を挙げて、ヤコブがケファとともに教会の「柱」だと述べています(ガラテヤ2・9参照)。
 後にユダヤ人キリスト者は、ヤコブを自分たちの基準と考えました。ヤコブの名がつけられて、新約聖書正典に収められた手紙も、ヤコブの著作とされました。ヤコブの手紙の著者は自分を「主の兄弟」とはいわず、「神と主イエス・キリストのしもべ」(ヤコブ1・1)だと述べています。
 アルファイの子ヤコブと「主の兄弟」ヤコブという、この同じ名前をもつ二人の人が同一人物であるかどうかという問題について、研究者の間には議論があります。福音書の伝承は、いずれのヤコブについても、イエスが地上で生涯を送った時期と関連する記事を残していません。それに対して、すでに指摘したように、使徒言行録は、イエスの復活の後、「ヤコブ」が初代教会の中で大きな役割を果たしたことを示しています(使徒言行録12・17、15・13-21、21・18参照)。
 ヤコブが行ったもっとも重要な行動は、むずかしい関係にあったユダヤ人出身のキリスト者と異邦人出身のキリスト者を、彼が仲裁したことです。こうしてヤコブは、ペトロとともに、キリスト教が本来もっていたユダヤ教的性格と、キリスト者となった異邦人にモーセの律法のすべての規定を守る義務を課す必要はないことの間の溝を、乗り越えました。もっと適切な言い方をすれば、彼はそれらを一つにまとめたのです。
 使徒言行録は、まさにヤコブによって提案され、会議に出席したすべての使徒によって受け入れられた妥協案を記録に残しています。ヤコブによれば、イエス・キリストを信じる異邦人は、神々に犠牲としてささげられた動物の肉を食べる偶像崇拝的な習慣や、「みだらな行い」を避けることだけを求められるべきです。「みだらな行い」ということばは、おそらく同意なしに行われる結婚をさしています。実際上、それは、モーセの律法できわめて重大と考えられたわずかな禁止規定だけを守ればよいことを意味しました。
 このようにして、相補い合う二つの重要な帰結がもたらされました。この二つの帰結はともに今でも有効です。第一に、キリスト教とユダヤ教を結ぶ、切り離しえない関係が、永遠に有効な生きた基盤として認められました。第二に、異邦人出身のキリスト者は、それぞれの社会的アイデンティティを保持してよいことになりました。いわゆるモーセの「祭儀規定」を守ることを強制されたなら、彼らはこうしたアイデンティティを失うことになったことでしょう。しかし、こうした「祭儀規定」は、キリスト者となった異邦人にとって義務と考えられなくなりました。要するに、尊重と遵守を相補いながら実践することが始まったのです。こうした実践は、後に不幸な誤解が行われたとはいえ、本来、尊重と遵守の性格をともに守ることをめざしていました。
 ヤコブの死に関する最古の情報は、ユダヤ人の歴史家フラウィウス・ヨセフスによって伝えられています。1世紀末にローマで書かれた『ユダヤ古代誌』(第20巻201以下)の中で、ヨセフスは、ヤコブの死が大祭司アナノスの不当な主導権によって決定されたと述べています。アナノスは、福音書に出てくるアンナスの子です。アナノスは、ローマ総督(フェストゥス)の罷免と次の総督(アルビヌス)の着任の間の、62年に、ヤコブを石打ちの刑に定めました。
 ヤコブの名は、外典の『ヤコブ原福音書』――この書はイエスの母マリアの聖性と処女性をたたえています――に加えて、ヤコブの名がつけられた手紙と特に関連づけられます。ヤコブの手紙は、新約聖書正典の中で、いわゆる公同書簡の最初の位置を占めています。公同書簡とは、一つの特定の教会――たとえばローマやエフェソなど――に宛てて書かれたのでなく、多くの教会に宛てて書かれた書簡のことです。ヤコブの手紙はとても大事な文書です。それは、信仰をただことばや観念による宣言にとどめるだけでなく、よいわざによって具体的に表さなければならないことを、強く強調しているからです。何よりもヤコブは、いつも喜んで試練を受け入れ、神が知恵のたまものを与えてくださるように信頼をもって祈るようにと、わたしたちを招きます。この知恵によって、わたしたちは、人生の真の意味が、はかない富にはなく、自分の食べ物を貧しい人や困っている人に分け与えることにあるのだと知ることができます(ヤコブ1・27参照)。
 こうしてヤコブの手紙は、きわめて具体的で実践的なキリスト教をわたしたちに示します。信仰は生き方によって、何よりも隣人愛によって、また特に貧しい人への献身によって実践されます。このことを念頭に置いて、次の有名なことばを読まなければなりません。「魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです」(ヤコブ2・26)。このヤコブのことばは、パウロの主張と対比されることがあります。パウロによれば、わたしたちが神によって義とされるのは、わたしたちの行いによるのでなく、信仰によります(ガラテヤ2・16、ローマ3・28参照)。
 この二つのことばは、観点の違いによって矛盾しているように見えます。しかしながら、よくその意味を考えれば、それらは実際には相補い合います。聖パウロは、わたしたちに先立つ神の愛など必要ないと考えるような、人の思い上がりに反対します。パウロは、ただ無償で与えられる恵みなしに、自らを義とするような思い上がりに反対したのです。これに対して、聖ヤコブは、信仰から当然生まれる結果としての行いについて語ります。「すべて良い木は良い実を結ぶ」(マタイ7・17)。ヤコブもまた、そのことをあらためてわたしたちに述べているのです。
 最後に、ヤコブの手紙はわたしたちに、何をするときにも、いつも次のように唱えながら、神の手に自分を委ねるように勧めます。「主の御心であれば」(ヤコブ4・15)。このようにしてヤコブは、自分の力で、自分のことだけ考えて人生の計画を立てるのでなく、計り知れない神の御心のために場所をあけることをわたしたちに教えます。わたしたちにとって真によいことを知っておられるのは神だからです。聖ヤコブは、いつもわたしたち皆の助けとなってくれる師なのです。

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