教皇ベネディクト十六世の58回目の一般謁見演説 ゼベダイの子ヨハネ

7月5日(水)午前10時から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の58回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講 […]

7月5日(水)午前10時から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の58回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の14回目として、「ゼベダイの子ヨハネ」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、マタイによる福音書20章20-23節が朗読されました。謁見には25,000人の信者が参加しました。
演説の後、ポーランドの巡礼者に対するポーランド語による祝福の中で、教皇は7月がキリストの御血にささげられた月であることを思い起こしながら、次のように述べました。「ポーランドの巡礼者の皆様に心よりごあいさつ申し上げます。7月は、伝統的にキリストのいと尊い御血をあがめる月です。世界では絶えず、罪のない人の血が流されています。しばしば人の心は福音的な愛ではなく、憎しみに満たされています。人を配慮するのではなく、軽蔑し抑圧しています。皆様の祈りを願います。どうか現代の人間が、わたしたちの救いのために十字架上で注がれたキリストの御血の力を経験することができますように。イエス・キリストはたたえられますように」。
一般謁見が行われた前日の4日、教皇庁広報部は、7月の教皇の休暇の予定について正式に発表しました。教皇は7月11日(火)から28日(金)までヴァッレ・ダオスタ州レ・コーンブで休暇を過ごします。休暇期間中、7月12日、19日、26日の水曜日の一般謁見はありません。しかし、7月16日と23日の日曜日の「お告げの祈り」はレ・コーンブの教皇別荘で行われます。教皇は7月28日に夏季滞在先のカステル・ガンドルフォの教皇別邸に移ります。教皇の休暇中、すべての個人謁見と特別謁見は行われません。一般謁見は8月2日(水)から定期的に再開されます。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 わたしたちは今日の集いの中で、使徒団に属するもう一人のたいへん重要な人物を思い起こしたいと思います。それは、ゼベダイの子で、ヤコブの兄弟であるヨハネです。ヨハネという、典型的にヘブライ語の名前は、「主が恵みを与えた」という意味です。イエスがヨハネをその兄弟とともに召し出したとき、ヨハネはティベリアス湖のほとりで舟の網の手入れをしていました(マタイ4・21、マルコ1・19参照)。
 ヨハネはいつも、イエスが特定のときに同行させた、限られたグループの一人でした。
 イエスがカファルナウムでペトロのしゅうとめをいやすためにペトロの家に入ったとき、ヨハネはペトロとヤコブと一緒にいました(マルコ1・29参照)。ヨハネはほかの二人とともに、師であるかたに従って会堂長のヤイロの家に入ります。そこでヤイロの娘はよみがえらされます(マルコ5・37参照)。ヨハネは、イエスが山に登って変容したときも、イエスに従いました(マルコ9・2参照)。イエスが壮麗なエルサレム神殿を前にして、エルサレムの町と世の終わりについての話を行ったときも、ヨハネはオリーブ山でイエスのそばにいました(マルコ13・3参照)。そして最後に、イエスがゲツセマネの園の離れたところに行き、受難を前にひとりで父に祈ったときも、ヨハネはイエスの近くにいました(マルコ14・33参照)。過越の直前に、二人の弟子を選んで過越の食事をする部屋を準備させたとき、イエスはヨハネとペトロにこの仕事をゆだねました(ルカ22・8参照)。
 ヨハネが十二人のグループの中で占めた、この際立った位置から、あるときヨハネの母がとった行動の意味がすこしわかります。ヨハネの母はイエスのところに来て、その二人の息子ヨハネとヤコブが、イエスが国を支配するとき、一人はイエスの右に、一人は左に座れるように願いました(マタイ20・20-21参照)。ご存知のように、イエスはこれに答えて、逆に問いかけました。イエスは、彼らがイエスの飲もうとしている杯を飲む準備ができているかどうか尋ねたのです(マタイ20・22参照)。
 イエスがこのことばを述べたのは、二人の弟子の目を開いて、ご自分の神秘を知ることができるように彼らを導き、彼らが将来、血による最高のしるしによってイエスをあかしするように招かれることを暗示するためでした。実際、イエスはそのすぐ後に、自分は、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分のいのちをささげるために来たと、はっきり述べます(マタイ20・28参照)。
 復活の後、「ゼベダイの子たち」は、ペトロやほかの弟子とともに一晩漁をしましたが、何もとれませんでした。復活した主が参加すると、奇跡的な大漁となりました。「イエスの愛しておられたあの弟子」が、このかたが「主」であることを最初に認め、そのことをペトロに示しました(ヨハネ21・1-13参照)。
 エルサレム教会の中で、ヨハネは、最初のキリスト信者の集団を指導する重要な位置を占めました。実際、パウロはヨハネを、エルサレム共同体の「柱」と彼が呼ぶ人びとの一人に数えています(ガラテヤ2・9参照)。
 現に、ルカは使徒言行録の中で、神殿に祈りに行くとき(使徒言行録3・1-4、11参照)、また、最高法院に出頭してイエス・キリストへの自分たちの信仰をあかししたとき(使徒言行録4・13、19参照)、ヨハネがペトロとともにいたことを述べています。ヨハネはペトロとともに、エルサレム教会の願いを聞いて、サマリアで福音を受け入れた人びとに堅信を授けました。二人は聖霊を受けるようにと彼らのために祈りました(使徒言行録8・14-15参照)。
 特にわたしたちは、ヨハネがペトロとともに、最高法院での裁判の際に述べた次のことばを思い起こさなければなりません。「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」(使徒言行録4・20)。自分の信仰を隠すことなく告白したこの態度は、わたしたちすべてにとって模範と教訓であり続けます。それは、わたしたちが、自分とキリストとの切り離すことのできないきずなをはっきりと宣言し、打算や人間的な利害よりも自分の信仰を優先させるようにいつも用意していることができるためです。
 伝承によれば、「愛する弟子」はヨハネのことです。第四福音書の中で、この「愛する弟子」は、最後の晩餐のとき、師であるかたの胸もとに寄りかかり(ヨハネ13・21参照)、十字架のもとでイエスの母のそばにおり(ヨハネ19・25参照)、最後に、空の墓と、復活した主の現れをあかしします(ヨハネ20・2、21・7参照)。
 わたしたちは、このようにヨハネを「愛する弟子」と同一視することが、今日、専門家によって議論されていることを知っています。専門家のうちのある人びとは、「愛する弟子」はイエスの弟子の原型だと考えます。この問題の解明は釈義学者に任せて、わたしたちは、自分たちの生活にとって重要な教訓を引き出すことで満足したいと思います。すなわち、主は、わたしたちの一人ひとりを、主との個人的な友情のうちに生きる弟子にしたいと望んでおられるということです。
 このような弟子となるためには、外的な意味でイエスに従い、そのことばを聞くだけでは不十分です。イエスとともに生きること、また、イエスのように生きることが必要です。このことは、心からの完全な信頼に満ちた、きわめて親密な関係があって初めて可能になります。こうした関係が見られるのは、友の間においてです。だからイエスはあるとき次のように述べたのです。「友のために自分のいのちを捨てること、これ以上に大きな愛はない。・・・・もはや、わたしはあなたがたをしもべとは呼ばない。しもべは主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」(ヨハネ15・13、15)。
 外典の『ヨハネ行伝』の中で示される使徒ヨハネは、教会の創立者でもなければ、すでに創立された共同体の指導者でもありません。そこで示されるヨハネは、絶えず旅しながら、「希望し、救われることのできる魂」(18・10、23・8)と出会って信仰を伝える者です。ヨハネは目に見えないものを目に見えるようにしたいという、逆説的な望みに駆り立てられます。実際、東方教会ではヨハネはただ「神学者」と呼ばれます。「神学者」とは、神的なことがらについて人びとにわかることばで語ることのできる者、イエスに従いながら神に近づく隠された道を示す者のことです。
 使徒ヨハネへの信心は、エフェソ市で始まりました。伝承によれば、ヨハネはこの町で長い間活動し、トラヤヌス帝の時代にたぐいまれな高齢で亡くなりました。6世紀にユスティニアヌス帝は、ヨハネを顕彰するための大きな聖堂をエフェソに建てました。エフェソには今もその壮大な遺跡が残っています。
 ヨハネは東方教会で大いに崇敬されましたし、今も崇敬されています。ビザンティンのイコンでヨハネは(トラヤヌス帝の時代に死んだという伝承に基づいて)高齢の人として描かれます。彼は深い観想のうちに、人を沈黙に招くかのような姿をしています。
 実際、ふさわしい精神の集中なしに、崇高な神の神秘とその啓示に近づくことはできません。そのため、コンスタンチノープルのアテナゴラス総主教――教皇パウロ六世はこの総主教と記念すべき会見を行いました――は、数十年前に次のように述べたのです。「ヨハネはわたしたちの崇高な霊性の源にいるかたです。『沈黙する人びと』は、ヨハネと同じように、神秘的な心の交流を知っており、ヨハネがともにいてくださるように願い求めます。こうして彼らの心は燃え立たせられます」(O・クレマン『アテナゴラスとの対話』:O. Clément, Dialoghi con Atenagora, Torino, 1972, p. 159)。
 主の助けによって、わたしたちがヨハネの学びやに入り、偉大な愛の教えを学ぶことができますように。こうして、わたしたちがキリストに「この上なく」(ヨハネ13・1)愛されていることを感じ、キリストのためにわたしたちの生涯を用いることができますように。

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