教皇ベネディクト十六世の61回目の一般謁見演説 聖母の被昇天の祭日について

8月16日(水)午前11時から、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォの教皇公邸の中庭で、教皇ベネディクト十六世の61回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、前日祝われた聖母の被昇天の祭日について解説しました。 […]

8月16日(水)午前11時から、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォの教皇公邸の中庭で、教皇ベネディクト十六世の61回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、前日祝われた聖母の被昇天の祭日について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説の後、各国語で行われた祝福の終わりに、教皇はイタリア語で、テゼ共同体創立者のブラザー・ロジェ・シュッツ(1915-2005年)の最初の命日祭にあたって、次のように述べました。
「わたしたちのこの集いの終わりに、特にブラザー・ロジェ・シュッツのことを思い起こしたいと思います。テゼの創立者であるブラザー・ロジェ・シュッツは、昨年の8月16日、夕の祈りの最中に殺害されました。ブラザー・ロジェ・シュッツのキリスト教信仰とエキュメニカル対話のあかしは、すべての若い世代にとって貴重な教えとなりました。主に祈りたいと思います。ブラザー・ロジェ・シュッツの生涯の奉献が、人類の未来を心に収めているすべての人びとの平和と連帯への取り組みを力づけてくれますように」。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 わたしたちの毎週恒例の水曜の集いは、今日、聖なるおとめマリアの被昇天の祭日の雰囲気の中で行われています。そこでわたしは、皆様の目をもう一度、わたしたちの天の母に向けてくださるようにお願いしたいと思います。典礼によって、わたしたちは、この母が天上でキリストとともに勝利を収めたことを観想します。
 聖母の被昇天の祭日は、キリスト教の最初の数世紀以来、キリスト信者の民によって大いに愛され続けてきました。すでに知られている通り、この祭日は、聖母が肉体を含めて栄光に上げられたことを祝います。神はこのかたをご自分の母として選び、また、イエスは十字架上でこのかたを全人類に母として与えたからです。
 聖母の被昇天は、わたしたち一人ひとりと関わる神秘を思い起こさせます。なぜなら、第二バチカン公会議が述べたように、マリアは「旅する神の民にとって確実な希望と慰めのしるしとして輝いている」(『教会憲章』68)からです。わたしたちは日々の出来事にあまりにも心を奪われて、時々、この慰めに満ちた霊的な現実を忘れることがあります。この霊的な現実は、重要な信仰の真理です。
 では、この輝く希望のしるしを、どうしたら現代社会にもっと気づかせることができるでしょうか。現代、自分はけっして死ぬはずがないかのように考えて生きている人がいるかと思えば、また、すべては死をもって終わるかのように考えて生きている人もいます。ある人びとは、人間だけが自分の運命を作り上げることができるかのように考えて生きています。すなわち、彼らは神が存在しないかのように考えています。神がこのわたしたちの世界に存在する場所はないとまで考えられることさえあります。
 科学技術の大きな発展は、人類の生活条件を著しく改善しました。けれどもそれは、人間の心のもっとも深いところにあるさまざまな問いに答えを与えてくれません。神は愛です。この神の神秘に心を開くことによって初めて、真理と幸福に対するわたしたちの心の渇きはいやされます。永遠なるものを仰ぎ見ることによって初めて、歴史のさまざまな出来事に対して、何よりも、人間の弱さ、苦しみ、そして死の神秘に対して、真の意味が与えられるのです。
 天の栄光のうちにあるマリアを仰ぎ見ながら、わたしたちは同時に、地上がわたしたちの究極的な祖国ではないことを悟ります。また、わたしたちが絶えず永遠の善へと方向づけられて生きるなら、いつの日か、わたしたちもマリアと同じ栄光にあずかることになることを悟ります。ですから、毎日、どれほど多くの困難があろうとも、落ち着きと平和を失ってはなりません。
 苦しみと暴力の悲しむべき暗闇が地平を覆っているかのように思われるとき、被昇天の輝くしるしはいっそう輝きを放ちます。わたしたちは確信しています。マリアが天の高みから、優しい気遣いをもってわたしたちの歩みを見守ってくださっていることを。暗夜と嵐のときにわたしたちを力づけてくださることを。母の手でもってわたしたちに心の安らぎを与えてくださることを。
 このような自覚に支えられながら、信頼をもって、神の摂理がわたしたちを導いてくださるところに向けて、キリスト信者として生きるべき道を歩み続けようではありませんか。

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