教皇ベネディクト十六世の63回目の一般謁見演説 使徒マタイ

8月30日(水)午前10時から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の63回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の18回目として、「使徒マタイ」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、マタイによる福音書9章9-12節が朗読されました。謁見には8,000人の信者が参加しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 数週間前から始めた、十二使徒の肖像についての連続講話を続けます。今日わたしたちは、マタイについて考えてみたいと思います。
 正直にいえば、マタイの姿を完全に描くことはほとんど不可能です。マタイに関する情報は乏しく、断片的だからです。わたしたちにできるのは、マタイの伝記を述べるというより、福音書が伝えるマタイについての記述を素描することです。
 マタイは、イエスに選ばれた十二人の名簿に常に現れます(マタイ10・3、マルコ3・18、ルカ6・15、使徒言行録1・13参照)。「マタイ」というヘブライ語の名前は、「神のたまもの」という意味です。マタイの名前がつけられた第一の正典福音書は、十二人の名簿の中で、「徴税人」(マタイ10・3)という、きわめてはっきりとした性格づけをもってマタイをわたしたちに示します。
 すなわち、マタイは、収税所に座っていた人と同一人物とされます。この人を、イエスは自分に従うように招きます。「イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、『わたしに従いなさい』といわれた。彼は立ち上がってイエスに従った」(マタイ9・9)。
 マルコ(マルコ2・13-17参照)もルカ(ルカ5・27-30参照)も、収税所に座っていた人の召し出しについて語っていますが、マルコとルカはこの人を「レビ」と呼びます。マタイによる福音書9章9節に描かれた情景を想像したければ、ローマのサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会にある、カラヴァッジョのすばらしい絵(「マタイの召命」)を思い出すだけで十分です。
 福音書は、さらに具体的なマタイの伝記を示しています。マタイの召命のすぐ前の箇所は、カファルナウムでイエスが行った奇跡について述べます(マタイ9・1-8、マルコ2・1-12参照)。この箇所は、カファルナウムがガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の近くにあることを暗示しています(マルコ2・13-14参照)。
 そこからわたしたちは、マタイがカファルナウムで徴税人を務めていたと推察することができます。カファルナウムは「湖畔」(マタイ4・13)にあり、イエスはこの町でいつもペトロの家に泊まっていました。
 福音書からわかる、こうした簡単な事実に基づいて、わたしたちはいくつかのことを考えることができます。まず、イエスは、当時のイスラエルの考えでは公然たる罪人と考えられた人を、自分の親しい友人の仲間の一員として迎えたということです。
 実際、マタイは、不浄とされた金銭を扱っていました。金銭は、神の民と異なる民に由来するからです。そればかりでなく、マタイは、その貪欲ゆえに憎まれていた、外国の権力者と協力していました。彼らはほしいままに課税額を決めることができたからです。
 そのため、福音書は一度ならず、「徴税人や罪人」(マタイ9・10、ルカ15・1)、「徴税人や娼婦たち」(マタイ21・31)と、この人びとにまとめて言及しています。さらに、福音書は徴税人を心の狭さの見本と考えます(徴税人は、自分を愛してくれる人だけを愛すると述べる、マタイ5・46参照)。徴税人の一人のザアカイは「徴税人の頭で、金持ち」(ルカ19・2)だといわれます。また民衆は、彼らを「奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者」(ルカ18・11)と結びつけて考えていました。
 これらの記述に基づいて、まず注意を引くのはこのことです。すなわち、イエスは、誰をも除(の)け者とすることなく、自分の友としました。そればかりか、イエスは、まさにマタイ/レビの家で食事の席に着いておられたとき、彼がしばしばあまり好ましくない人びとと一緒にいることにつまずいた人に答えて、重大な宣言を行います。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコ2・17)。
 福音のよい知らせは、まさにこのことの内にあります。すなわち、神の恵みが罪人に対して与えられるということです。別の箇所で、祈るために神殿に上ったファリサイ派の人と徴税人のたとえが語られます。そこでイエスは、一人の無名の徴税人を、神のいつくしみに対する謙遜な信頼の模範として示します。ファリサイ派の人が道徳的に完全であることを誇るのに対して、「徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながらいった。『神様、罪人のわたしを憐れんでください』」。
 そしてイエスはこう解説します。「いっておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。誰でも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(ルカ18・13-14)。
 ですから、マタイの姿によって、福音書は、真の意味での逆説そのものをわたしたちに示します。すなわち、聖性から最も遠く離れているように思われる人こそ、神のいつくしみを受け入れる模範となることができるということです。神のいつくしみは、自分の生活に引き起こされる驚くべき結果を、人に垣間見させるからです。
 このことに関連して、聖ヨハネ・クリゾストモは意味深い解説を行っています。クリゾストモは、召し出された人が従事していた仕事が語られるのは、いくつかの召命の物語の中でだけだといいます。ペトロ、アンデレ、ヤコブとヨハネは、漁をしているときに召し出されました。マタイが召し出されたのは、税金を集めているときでした。
 それらの仕事は、あまり重要なものではなかったと、クリゾストモは解説します。「徴税人よりも嫌われた仕事はなく、漁師よりもありふれた仕事はなかったからである」(ヨハネ・クリゾストモ『マタイ福音書講話』:In Matthaeum homiliae, PG 57, 363)。
 ですから、イエスの招きは、社会の低い階層の人にも、それも彼らがふだんの仕事をしているときに、訪れます。
 福音書の記述から、もう一つのことを考えることができます。マタイはイエスの招きにすぐにこたえました。「彼は立ち上がってイエスに従った」。このことばの簡潔さは、マタイが即座に招きにこたえたことをはっきりと示しています。
 マタイにとって、このことは、すべてを――特に、確実に収入を得る手立てを、捨てることを意味しました。たとえこの手立てが、しばしば不正で後ろ暗いものだったとしてもです。イエスの友となるなら、神の認めないわざを続けることはできなくなると、マタイが悟ったことは明らかです。
 これが現代にもいえるということは、容易にわかります。今日でも、人は、イエスに従うことと相容れないものに執着することはできません。たとえば、不当な富がそれです。あるときイエスははっきりとこういいました。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人びとに施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」(マタイ19・21)。
 これが、まさにマタイのしたことでした。彼は立ち上がってイエスに従ったのです。「立ち上がる」とは、まさしく、罪の状況から離れること、また、イエスとの交わりの内に、新たな正しい生活を、自覚的かつ忠実に送ることだと考えられます。
 最後にわたしたちは、初代教会の伝統が、第一福音書の著者をマタイとすることを認めたことを思い起こしたいと思います。この承認は、130年頃のフリュギアのヒエラポリスの司教パピアスに始まるものです。
 パピアスはこう述べています。「マタイはヘブライ語で(主の)ことばをまとめた。各人はその能力に応じてそれを解釈した」(エウセビオス『教会史』:Historia ecclesiastica, III, 39, 16〔秦剛平訳、『教会史Ⅰ』山本書店、1986年、201頁参照〕)。歴史家エウセビオスは次の報告を付け加えています。「マタイは、はじめはユダヤ人に宣教していたが、他の人びとのところに行こうと決めたとき、彼らに告げた福音を彼らの母国語で書いた。こうして彼は、残された人びとが、自分が去ることで失うものを著作で代えようとしたのである」(ibid., III, 24, 6)。
 マタイがヘブライ語またはアラム語で書いた福音書はもはや残っていません。しかし、わたしたちに伝えられたギリシア語の福音書の内に、わたしたちはある意味で今も、徴税人マタイの説得力のあることばを聞き続けます。使徒となったマタイは、救いをもたらす神のいつくしみを宣べ伝え続けているからです。
 聖マタイのメッセージに耳を傾けようではありませんか。このメッセージを常に新たに思いめぐらそうではありませんか。それは、わたしたちもまた立ち上がり、ためらうことなくイエスに従うことを学ぶためです。

PAGE TOP