教皇ベネディクト十六世の64回目の一般謁見演説 使徒フィリポ

9月6日(水)午前10時から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の64回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講 […]

9月6日(水)午前10時から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の64回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の19回目として、「使徒フィリポ」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、ヨハネによる福音書1章43-46節が朗読されました。謁見には、9月4日(月)から5日(火)までアシジで行われた平和祈祷集会に出席した日本の天台宗の僧侶の一行を含め、25,000人の信者が参加しました。
この日、教皇は初めて、「ガレロ」と呼ばれる、広い縁のついた赤い帽子をかぶって、信者の前に現れました。「ガレロ」は教皇ヨハネ二十三世やパウロ六世によってしばしば用いられましたが、公に用いられるのは、ヨハネ・パウロ二世が1979年のメキシコ司牧訪問のとき用いて以来です。
演説の後、各国語で行われた祝福の最後に、教皇は、今週末9月9日(土)から14日(木)まで行われる、ドイツへの二度目の司牧訪問について、イタリア語で次のように述べました。「終わりにわたしは、今週の土曜日から始まるドイツへの使徒的訪問のために祈ってくださるように、皆様にお願いします。わたしは、ローマ司教に選出されて以来初めて、生地バイエルンを訪れる機会を与えてくださったことを、主に感謝します。親愛なる友人の皆様。このわたしの旅の間、わたしとともに歩んでください。わたしはこの旅を聖なるおとめにささげます。聖なるおとめがわたしの歩みを導いてくださいますように。聖なるおとめがドイツの人びとに、新たな信仰の春と、国家の発展をもたらしてくださいますように」。
この司牧訪問が行われるため、次週9月13日(水)は一般謁見がありません。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 わたしたちは、数週間にわたって、さまざまな使徒の姿の素描を続けています。今日わたしたちが取り上げるのは、フィリポです。十二人の名簿の中で、フィリポはいつも五番目に位置づけられます(マタイ10・3、マルコ3・18、ルカ6・14、使徒言行録1・13参照)。つまりフィリポは、基本的に、使徒の最初のグループに属しています。
 フィリポはユダヤ人出身でしたが、アンデレと同じように、その名前はギリシア語です。このことは、フィリポが文化的に開かれた人であることをわずかに示しています。これは見過ごしてはならない点です。フィリポについての記事は、ヨハネによる福音書に見られます。フィリポはペトロとアンデレと同じ、ベトサイダの出身でした(ヨハネ1・44参照)。ベトサイダは、やはりフィリポと呼ばれる(ルカ3・1参照)、ヘロデ大王の息子の一人が所有するテトラルキア(四分領)に属する、小さな町でした。
 第四福音書はこう述べます。フィリポは、イエスに召し出された後、ナタナエルに出会って、彼にこういいます。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」(ヨハネ1・45)。ナタナエルは大いに疑いながら答えます。「ナザレから何か良いものが出るだろうか」。これに対して、フィリポは屈せずに、はっきりとこう応じます。「来て、見なさい」(ヨハネ1・46)。
 この、そっけないとはいえ、明快な答えによって、フィリポは真の意味でのあかしの特徴を示しています。フィリポはこの知らせを理論として示すことで満足せず、質問者に直接問いかけます。それは、フィリポ自身が、宣べ伝えたことがらを自ら経験したことを暗示するためです。洗礼者ヨハネの二人の弟子が近づいてきて、どこに泊まっておられるのか尋ねたときも、イエスは同じ二つの動詞を用いています。イエスは彼らにこう答えます。「来なさい。そうすればわかる」(ヨハネ1・38-39参照)。
 わたしたちは、フィリポがこの二つの動詞を用いて、わたしたちにも問いかけていると考えることができます。この二つの動詞は、自ら参加することを求めています。フィリポはわたしたちにも、ナタナエルにいったのと同じことを告げます。「来て、見なさい」。使徒フィリポはわたしたちに、イエスを親しく知るように命じます。実際、友となって、他の人を真の意味で知るためには、親しくならなければなりません。それどころか、ある意味でその人のように生きなければなりません。実に、わたしたちは次のことを忘れてはなりません。マルコが述べているように、イエスが十二人を選んだのは、何よりも「自分のそばに置くため」(マルコ3・14)でした。つまり、自分と生活をともにし、自分の振舞い方だけでなく、何よりも、自分がほんとうにいかなる者であるかを、直接に自分から学ばせるためでした。
 イエスと生活をともにすることによって、初めて、十二人はイエスを知り、イエスを告げ知らせることができました。後にパウロがエフェソの信徒への手紙の中で述べているように、大事なのは「キリストを学ぶ」(エフェソ4・20)ことです。それは、イエスの教えやことばに耳を傾けるだけではありません。さらにその上に、イエスを自ら知ることです――その人間性と神性を、その神秘を、そのすばらしさを。
 イエスは、師であるだけでなく、友であり、さらにまた兄弟となってくださいます。わたしたちは、イエスから遠く離れたところにいて、どうして彼を知ることができるでしょうか。親しくなり、打ち解け合い、しばしばともにいることによって、わたしたちはイエス・キリストの真の姿を見いだします。これが、使徒フィリポがわたしたちにいおうとしていることです。だからフィリポは、「来て」、「見る」ようにとわたしたちを招きます。つまり、日々、イエスのことばに耳を傾け、イエスにこたえ、イエスとの交わりのうちに生きる関係に入るようにということです。
 パンの増加のときに、フィリポはイエスからはっきりとした要求を示されます。この要求はきわめて驚くべきものでした。「自分について来た人びとの全員に食べさせるのに必要なパンを、どこで買うことができるだろうか」(ヨハネ6・5参照)。するとフィリポはとても現実的に答えました。「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」(ヨハネ6・7)。
 このことばの内にわたしたちは、使徒フィリポの具体的で現実的な態度を窺い知ることができます。フィリポはその場の状況が意味することを判断できたからです。わたしたちは、その後に起きたことを知っています。ご存知の通り、イエスはパンを取り、祈りを唱えてから、それを分け与えました。こうしてイエスはパンの増加を行いました。しかし、イエスが、解決しなければならない問題をまず示すために、特にフィリポに話しかけたのは、興味深いことです。それは、フィリポが、イエスのまわりにいた限られた集団の一人であったことを、はっきりと示しています。
 別のとき――それは後の歴史にとってたいへん重要な意味をもつ出来事ですが――、受難の前に、過越祭にあたって、何人かのギリシア人がエルサレムに来ていました。彼らは「フィリポのもとへ来て、『お願いです。イエスにお目にかかりたいのです』と頼んだ。フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した」(ヨハネ12・20-22)。ここにも、フィリポが使徒団の中で特別な信望を集めていたことを示すしるしを認めることができます。特にこの場合、フィリポは、何人かのギリシア人の要求をイエスに取り次ぐ役割を果たします――おそらくフィリポはギリシア語を話し、通訳を務めることができたのだと思われます――。フィリポは、ギリシア語の名前をもつもう一人の使徒であるアンデレとともに行動しましたが、いずれにせよ、異邦人たちはフィリポに話しかけたのです。
 これは次のことを教えています。すなわち、わたしたちもまた、どこから来るものであれ、要求や願いをいつも進んで受け入れ、また、それを主にささげなければなりません。主のみがそれらの願いを完全なしかたでかなえてくださるからです。実際、わたしたちに近づいてくる人びとの祈りを最終的に聞き入れるのは、わたしたちではなく、主であることをわきまえることは大事です。わたしたちは、困っている人びとを主に向かわせなければなりません。わたしたちの一人ひとりは、主へと開かれた道とならなければなりません。
 フィリポが登場する、もう一つのきわめて特別な場面があります。最後の晩餐のとき、イエスは、イエスを知るなら、父を知ることになると述べます(ヨハネ14・7参照)。するとフィリポは、ある意味で素朴なしかたで、こうイエスに願います。「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」(ヨハネ14・8)。
 イエスは優しく諭すような言い方で、フィリポにこう答えました。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』というのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。・・・・わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしがいうのを信じなさい」(ヨハネ14・9-11)。これは、ヨハネによる福音書に書かれた、最も崇高なことばの一つです。そこには、真の意味での啓示そのものが含まれています。ヨハネはその福音書の「序言」の終わりに、こう述べています。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(ヨハネ1・18)。
 福音書記者ヨハネが行った、この宣言が、イエス自身によって繰り返されるとともに、確認されます。けれども、それには新たな説明が加えられます。実際、ヨハネの「序言」は、イエスがその教えのことばを通して、神を示すために来たことを述べています。これに対して、フィリポへの答えの中で、イエスは自分の存在そのものを見るように促します。それは、イエスが語ることばを通してだけでなく、それ以上に、イエスがただどのような方であるかということを通して、初めてイエスを理解することができることを、悟らせるためです。このことを説明するために、受肉という逆説を用いて、わたしたちはこういうことができます。神は人間の顔を――すなわち、イエスの顔を取りました。したがって、今後、神のみ顔を知りたければ、わたしたちはただ、イエスの顔を仰ぎ見ればよいのです。イエスの顔の内に、わたしたちは、神がどなたであるかを、神がどのような方であるかを、ほんとうに見るのです。
 福音書記者ヨハネは、フィリポがイエスのいったことを完全に理解したかどうかについて、述べていません。確かなことは、フィリポがその生涯のすべてをイエスにささげたということです。後のある記事(『フィリポ行伝』など)によれば、フィリポはまずギリシアに、次いでフリギアに福音を告げ知らせました。そしてフィリポはこのフリギアのヒエラポリスで、拷問を受けて死ぬことになります。ある人はこの拷問が十字架刑であったといい、他の人は石打ちの刑だったといいます。
 わたしたちの生涯が向かうべき目的を思い起こしながら、この考察を終えたいと思います。わたしたちの向かうべき目的とは、フィリポがイエスを見いだしたように、イエスを見いだすことです。そしてわたしたちは、イエスの内に、天の父である神ご自身を見ようと努めなければなりません。もしこのように努力しなければ、わたしたちは、鏡の中の自分を見るように、孤独のままであり続けます。それどころか、わたしたちはいっそう孤独になることでしょう。反対に、フィリポはわたしたちにこう教えます。イエスに心を捕らえられなさい。イエスとともにいなさい。また他の人をイエスに必要とされる仲間となるように招きなさい。そうすれば、わたしたちは神を見、神を見いだし、まことのいのちを見いだすことができるのです。

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