教皇ベネディクト十六世の65回目の一般謁見演説 ドイツ・バイエルン司牧訪問を振り返って

9月20日(水)午前10時から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の65回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、9月9日(土)から14日(木)まで行った故郷のドイツ・バイエルンへの司牧訪問を振り返りました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
謁見には、40,000人の信者が参加しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日、わたしは、主が先週行わせてくださった、バイエルンへの司牧訪問のさまざまな出来事について、もう一度思い起こしたいと思います。これらの愛する場所に戻ったときの感激と感想を皆様にお伝えするにあたり、わたしはまず、この二度目のドイツ訪問が可能になったことを神に感謝しなければならないと感じています。わたしは初めて故郷バイエルンを訪れることができたのです。
 わたしはまた、すべての行事が最高の形で行われるために、献身的に、忍耐強く働いてくださった、すべてのかたがた――司牧者、司祭、司牧機関、公共機関、準備担当者、治安担当者、そしてボランティアの皆様に、心から感謝します。9月9日土曜日のミュンヘン空港到着の際に述べたように、わたしの訪問の目的は、わたしの人格の形成を助けてくださったすべてのかたがたを思い起こしながら、使徒ペトロの後継者として、ローマの使徒座とドイツ教会を結ぶ密接なきずなを再確認し、強めることでした。
 ですから、今回の旅は、たんに過去に「戻る」ことではなく、希望をもって未来に向かうための摂理的な機会でした。「信じる者は、けっしてひとりきりではありません」。この今回の訪問のテーマは、洗礼を受けた者が、唯一のキリストの教会に属していることを考えるようにという招きでした。この教会の中で、人はけっしてひとりきりではありません。むしろ、神とすべての兄弟との絶えざる交わりの中にいるのです。
 最初に訪れたのはミュンヘンの町でした。ミュンヘンは「心の大都市」(Weltstadt mit Herz)と呼ばれます。ミュンヘンの歴史的な中心は「マリエンプラッツ」(マリア広場)です。このマリエンプラッツには「マリエンゾイレ」、すなわち聖母の柱が立っています。柱の上には、金色に輝く青銅のおとめマリアの像が置かれています。
 わたしは、わたしのバイエルン訪問を、バイエルンの守護聖女に敬意を表することから始めようと望みました。この守護聖女は、わたしにとってきわめて重要な意味をもっているからです。このマリア広場のマリア像の前で、わたしは約30年前、大司教として迎えられました。そしてわたしは、マリアへの祈りをもってわたしの司教職を開始しました。わたしは司教の任務を終えて、ローマに出発する前に、このマリア広場を再び訪れました。今回、わたしが「マリエンゾイレ」のもとに再び立ったのは、ミュンヘンの町とバイエルンのためだけでなく、全教会と全世界のために、神の母の執り成しと祝福を祈り求めるためでした。
 翌日の日曜日に、わたしはミュンヘンの「ノイエ・メッセ」(新見本市)の広場で、各地から集まってくださった大勢の信者のかたがたとともにミサを行いました。わたしは、その日の福音のことばに導かれながら、すべての人に向かい、特に現代において、神に対する「聴覚の衰え」が見られることを述べました。世俗化した現代世界に生きるわたしたちキリスト信者には、信仰がわたしたちにもたらす希望を、すべての人に宣べ伝え、あかしする務めがあります。憐れみ深い父である神は、十字架につけられたキリストによって、わたしたちが神の子となるように、そして、あらゆる憎しみと暴力に打ち勝つように招いています。それは、愛が決定的なしかたで勝利を収めるようにするためです。
 「わたしたちの信仰を強めてください」。これが、日曜の午後に、初聖体を受けた子どもたちとその若い両親、カテキスタ、司牧担当者、またその他のミュンヘン教区の福音宣教のための協力者のかたがたと行った集会のテーマでした。わたしたちは、「聖母の司教座聖堂」として知られる由緒ある司教座聖堂で、ともに夕の祈りを行いました。この聖堂にはミュンヘンの守護聖人の聖ベンノの聖遺物が納められています。わたしはこの聖堂で1977年に司教に叙階されました。
 わたしは子どもたちと大人に向けて、神はわたしたちから遠く離れたところ、どこか宇宙の手の届かないところにおられるのではないのだということを話しました。その反対に、神はイエスとして来てくださり、わたしたち一人ひとりと友としての関係を築いてくださいました。すべてのキリスト信者の共同体、特に小教区は、共同体に属する人びとの絶えざる努力を通じて、大きな家族となるよう招かれています。この家族は、一致しながら、真のいのちへの道を歩むことができるのです。
 9月11日の月曜日の大部分は、パッサウ教区のアルトエッティングを訪問して過ごしました。アルトエッティングというこの小さな町は、「バイエルンの心」(Herz Bayerns)として知られています。そこには「黒い聖母」があり、「グナーデンカペッレ」すなわち「恵みの礼拝堂」で尊崇されています。「黒い聖母」には、ドイツと中央ヨーロッパの国々から多数の巡礼者が訪れます。
 「グナーデンカペッレ」の近くには、カプチン・フランシスコ修道会の聖アンナ修道院があります。この修道院には、わたしの敬愛すべき先任者であるピオ十一世が1934年に列聖した、聖コンラート・ビルンドルファーが住んでいました。「グナーデンカペッレ」前の広場で、多数の信者が参加して行われたミサの中で、わたしたちは、救いのわざの中でマリアが果たした役割をともに考察しました。それは、マリアから、いつくしみ深い親切さと、へりくだりと、神のみ旨を寛大に受け入れる心を学ぶためでした。
 マリアはわたしたちをイエスへと導きます。聖なるいけにえ(ミサ)の終わりに行列を行うことによって、この真理はいっそう目に見える形で示されました。わたしたちは聖母像とともに、「聖体礼拝堂」(Anbetungskapelle)に向けて行列を行いました。この「聖体礼拝堂」は、今回、創立されたものです。この日の終わりには、アルトエッティングの聖アンナ聖堂で、荘厳な聖母の夕の祈りを行いました。祈りには、バイエルンの修道者と、バイエルンの神学生、そして召命促進活動を行う人びとが参加しました。
 翌日の火曜日は、レーゲンスブルクで三つの重要な行事が行われました。レーゲンスブルクは、739年に聖ボニファチオが設立した教区で、司教聖ヴォルフガングを守護聖人としています。まず、午前中、イスリンガー・フェルトでミサが行われました。このミサの中で、わたしたちは、この司牧訪問の「信じる者は、けっしてひとりきりではありません」というテーマをもう一度取り上げながら、信仰宣言の内容について考察しました。父である神は、キリストを通して、全人類を、教会という一つの家族として集めようと望んでおられます。だから、信じる者はけっしてひとりきりではないのです。だから、信じる者は、何も見えない道で死ぬことを恐れる必要がないのです。
 午後は、レーゲンスブルク司教座聖堂を訪れました。レーゲンスブルク司教座聖堂は、レーゲンスブルク少年合唱団、すなわち「ドームシュパッツェン」(大聖堂のすずめたち)で有名です。この少年合唱団は1000年の活動を誇りますが、30年間にわたり、兄のゲオルクが指揮者を務めていました。この司教座聖堂でエキュメニカルな夕の祈りが行われました。夕の祈りには、バイエルンの諸教会・教会共同体の多数の代表者のかたがた、ドイツ司教協議会のエキュメニズム委員会の委員の皆様が参加しました。それは摂理的な機会となりました。わたしたちは、キリストの弟子たちの完全な一致が早く訪れるようにともに祈り、また、イエス・キリストへのわたしたちの信仰を宣べ伝える務めをあらためて確認しました。わたしたちはこの告知を、けっして弱めることなしに、完全で明白なしかたで、何よりもわたしたちの心からの愛の行いをもって、行わなければなりません。
 この日、レーゲンスブルク大学の多くの教授と学生の聴衆の前で講演を行えたことは、わたしにとって特別にすばらしい経験でした。わたしはレーゲンスブルク大学で長年教授として教えたからです。わたしは喜びをもって大学の世界ともう一度出会いました。大学は、人生の長い期間、わたしの霊的な故国だったからです。
 わたしは講演のテーマとして、信仰と理性の関係という問題を選びました。この議論の劇的かつ現代的な性格を聴衆のかたがたに理解していただくために、わたしは14世紀のキリスト教徒とイスラーム教徒の対話から、短いことばを引用しました。この対話の中で、キリスト教徒の対話者であるビザンティン皇帝マヌエル二世パライオロゴスは、わたしたちにとって不可解なほど乱暴な言い方で、イスラーム教徒の対話者に対して、宗教と暴力の関係に関する問題を提示しました。
 不幸にして、この引用は、誤解を与える可能性のあるものでした。わたしのテキストを注意深く読むならば、わたしが、この対話の中で中世の皇帝が語った否定的なことばを、けっして自分の考えとしようとしたのでないこと、また、この挑発的な内容がわたしの個人的な確信を表現したものでもないことが、はっきりわかります。わたしがいいたかったのは、まったく別のことです。マヌエル二世は、続いて積極的なしかたで、すばらしいことばを用いて、信仰を伝える際にわたしたちを合理性が導くべきことについて述べました。このことに基づいて、わたしは、宗教は暴力とともに歩むのではないこと、宗教は理性とともに歩むのだということを述べようとしたのです。
 ですから、わたしの講演のテーマは――それは大学の使命に対応するものですが――、信仰と理性の関係でした。わたしは、キリスト教信仰と現代世界の間の対話を促すことを、また、すべての文化と宗教の間の対話を促すことを望みました。わたしは、わたしの訪問のさまざまな機会に――たとえば、ミュンヘンで、わたしは他の人びとが聖なるものと考えることを尊重することの重要性を強調しました――、わたしがさまざまな大宗教を、特にイスラーム教を信じる人びとを、深く尊敬していることが明らかになることを希望します。イスラーム教を信じる人びとは「唯一の神・・・・を礼拝し」ています。そして、わたしたちは彼らとともに「社会正義、道徳的善、さらに平和と自由を、すべての人のために共同で守り、かつ促進するよう」(第二バチカン公会議『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』3)努めなければならないからです。
 ですから、わたしは、最初の反応の後に、レーゲンスブルク大学におけるわたしの発言が、諸宗教の間でも、現代の理性とキリスト教信仰の間でも、積極的な、また自己批判の伴う対話が行われるための、刺激と励ましとなることを信じています。
 翌日9月13日水曜日の午前、レーゲンスブルクの「アルテ・カペッレ」(旧礼拝堂)で――「アルテ・カペッレ」には、ルカによる福音書に従い、この地方の伝統に基づいて描かれた、奇跡のマリアのご像があります――、わたしは新しいオルガンの祝福を行うために短い儀式を行いました。
 オルガンは、さまざまな長さをもつ多くの管から構成されていますが、そのすべての管が互いに美しく調和しています。この楽器のこのような構造に着想を得ながら、わたしは参加者のかたがたにこう話しました。すなわち、教会共同体で働くさまざまな奉仕職、たまもの、カリスマは皆、聖霊の導きのもとに、一つにまとまらなければならないと。それは、一つの和声となって、主を賛美し、兄弟を愛するためです。
 最後に、9月14日木曜日に訪れたのは、フライジングの町でした。わたしはこの町との特別な結びつきを感じています。なぜなら、わたしは、まさにこのフライジングの司教座聖堂で司祭叙階を受けたからです。この司教座聖堂は、至聖なるマリアと、バイエルンの宣教者である聖コルビニアヌスにささげられた聖堂です。そして、まさにこの司教座聖堂で、最後の予定行事である、司祭と終身助祭との集会が行われました。
 わたしの司祭叙階のときの感激を思い起こしながら、わたしは参加者のかたがたに、新たな召命を呼び覚ますために、主と協力する務めについて話しました。召命は、「収穫」のための奉仕です。そして、この「収穫」は今も「多い」のです。またわたしは、参加者のかたがたに、司牧的な優先課題として、内的生活を深めるように勧めました。それは、キリストとの触れ合いを失うことのないためです。キリストは、奉仕職を日々行うときの喜びの源です。
 送別式典で、わたしは、この訪問の実現のために協力してくださったすべての人びとにもう一度感謝しながら、あらためてこの訪問の主な目的を繰り返して述べました。それは、わたしの故郷の人びとに、福音の永遠の真理をあらためて示すこと、また、わたしたちのために受肉し、死んで、復活した神の子であるキリストと一致するように、信者を力づけることでした。
 教会の母であるマリアの助けによって、わたしたちが心と思いを「道であり、真理であり、いのちである」(ヨハネ14・6)かたに向けて開くことができますように。このことのためにわたしは祈ってきました。また、親愛なる兄弟姉妹の皆様。そのために、どうか祈り続けてくださるように皆様にお願いします。そして、わたしの日々の奉仕職のためにわたしを支えてくださる、皆様のお心遣いに感謝します。皆様すべてに、感謝いたします。

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