教皇ベネディクト十六世の67回目の一般謁見演説 使徒バルトロマイ

10月4日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の67回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の21回目として、「使徒バルトロマイ」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、ヨハネによる福音書1章47-50節が朗読されました。謁見には、雨の中、30,000人の信者が参加しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 イエスが地上の生涯の間に招いた、使徒たちについての連続講話をしています。今日わたしたちは、使徒バルトロマイに注意を向けます。古くからの十二人の名簿の中で、バルトロマイはいつもマタイの前に現れます。しかし、バルトロマイの前に出てくる名前には違いがあります。それは、ある場合にはフィリポであり(マタイ10・3、マルコ3・18、ルカ6・14参照)、ある場合にはトマスです(使徒言行録1・13参照)。
 バルトロマイという名前は、明らかに名字です。それは父親の名前をはっきりと示しているからです。実際、この名前はおそらくアラム語の特徴を示す、「バル・タルマイ」で、その意味は「タルマイの息子」です。
 バルトロマイについて重要なことは知られていません。実際、彼の名前は、すでに述べた十二人のリストの中に常に現れますが、またこのリストの中にしか現れません。したがって、彼が主役となる物語はありません。しかしながら、伝統的に、バルトロマイはナタナエルと同一人物だとされています。ナタナエルという名前は「神は与える」という意味です。このナタナエルはカナの出身でした(ヨハネ21・2参照)。したがって、ナタナエルは、カナの地でイエスが行った偉大な「しるし」(ヨハネ2・1-11参照)の証人である可能性があります。
 バルトロマイとナタナエルが同一視されるようになったのは、おそらく、ヨハネによる福音書に語られた召命の場面の中で、ナタナエルがフィリポのそばに置かれているためだと思われます。これは、他の福音書の述べる十二人のリストの中で、バルトロマイが占める位置です。このナタナエルに対してフィリポは告げました。「わたしたちはモーセが律法に記し、預言者たちも書いているかたに出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」(ヨハネ1・45)。
 ご存知のように、ナタナエルはきわめて深い疑いをもってこれに答えました。「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(ヨハネ1・46a)。この反論は、ある意味でわたしたちにとって重要です。実際、わたしたちはそこから、ユダヤ教の期待するところに従えば、メシアはナザレのような無名の村から出るはずがなかったことがわかります(ヨハネ7・42も参照)。
 しかしながら、同時にそれは、神の自由を明らかにします。神はわたしたちが予期しなかったところに姿を現すことによって、わたしたちの期待を覆すからです。また、わたしたちは、イエスが「ナザレから」出るだけでなく、ベツレヘムで生まれたことを知っています(マタイ2・1、ルカ2・4参照)。また、イエスは究極的には天から、すなわち天におられる父から来られたことを知っています。
 ナタナエルの出来事は、わたしたちにもう一つのことを考えさせます。わたしたちは、イエスとの関係において、ことばだけで満足してはならないということです。フィリポは答えて、ナタナエルに対する重要な招きを行います。「来て、見なさい」(ヨハネ1・46b)。わたしたちは、イエスを知るために、何よりも生きた経験を必要とします。ほかの人のあかしもたしかに大事です。総じて、わたしたちのキリスト教生活の全体は、一つかそれ以上のあかしによってわたしたちにもたらされた、告知から始まります。けれども、わたしたち自身も、個人として、イエスと、親しく、また深い関係を結ばなければなりません。
 同じように、サマリア人たちも、ヤコブの井戸でイエスと出会った、同じ町の女のあかしを聞いた後、イエスと直接話をすることを望みました。そして、イエスと語り合った後、彼らは女にいいました。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、このかたが本当に世の救い主であるとわかったからです」(ヨハネ4・42)。
 召命の場面に戻ると、福音書記者はわたしたちにこう述べます。イエスは、ナタナエルがご自分の方へ来るのを見て、大声で叫びました。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」(ヨハネ1・47)。この称賛は詩編のことばを思い起こさせます。「いかに幸いなことでしょう・・・・心に欺きのない人は」(詩編32・2)。けれども、このことばはナタナエルに不思議な思いを抱かせます。ナタナエルは、驚きながら答えました。「どうしてわたしを知っておられるのですか」(ヨハネ1・48a)。イエスの答えは、すぐには理解できないものでした。イエスはこういいます。「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」(ヨハネ1・48b)。
 わたしたちは、このいちじくの木の下で何が起こったかを知りません。はっきりしているのは、それがナタナエルの生涯の中で決定的な意味をもつことと関わっていたということです。
 このイエスのことばはナタナエルの心を動かしました。ナタナエルは自分が理解されていることを知りました。そして、次のことを理解しました。「この人はわたしについてすべて知っておられる。この人はいのちの道を知り、またそれに通じておられる。わたしはこの人をほんとうに信頼できる」と。そこでナタナエルは、はっきりとした、すばらしい信仰告白を唱えました。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」(ヨハネ1・49)。
 ナタナエルのこの告白の中で、イエスに従う旅路における最初の重要な一歩が踏み出されます。ナタナエルのことばは、イエスのあり方に関する、二つの相補い合う側面を明らかにします。ナタナエルはイエスを、その父である神との関係によって認めます。イエスは神の独り子だからです。また、ナタナエルはイエスを、そのイスラエルの民との関係によって認めます。イエスはイスラエルの民の王と宣言されるからです。「王」は、イスラエルの民が待ち望んでいたメシアが有する特徴です。
 わたしたちは、この二つの要素のいずれも見落としてはなりません。なぜなら、もしイエスが天からの者だということだけを宣べ伝えるなら、イエスを霊的で目に見えない存在にしてしまう危険があるからです。逆に、イエスが歴史の中で具体的に存在したことだけを認めるならば、イエスの特徴をなす、神的な性格をないがしろにすることになります。
 バルトロマイまたはナタナエルのその後の使徒的活動について、正確なことは知られていません。4世紀の歴史家エウセビオスの伝える伝承によれば、パンタイノスという人が、バルトロマイがインドにいた痕跡を、インドに行って直接発見しました(エウセビオス『教会史』V・10・3参照)。
 中世に始まる、後代の伝承では、バルトロマイは皮をはがれて死んだといわれます。この話は大いに広まりました。システィーナ礼拝堂に描かれた、「最後の審判」の有名な場面を考えていただければよいと思います。ミケランジェロは、聖バルトロマイを、自分の皮を左手で持つ姿で描いています。この皮の中に、画家ミケランジェロは自画像を残しました。
 バルトロマイの聖遺物は、ローマのティベリーナ島のバルトロマイにささげられた教会で崇敬されています。聖遺物は983年に、ドイツ皇帝オットー三世によって同教会にもたらされました。
 終わりに、わたしたちはこういうことができます。聖バルトロマイに関する伝承はあまりありません。にもかかわらず、聖バルトロマイの姿は、めざましい活動を行わなくても、イエスとの一致を生き、またあかしすることができるということを、わたしたちに語ってくれます。イエス自身は特別なかたであり、また特別なかたであり続けます。このかたに、わたしたち一人ひとりは、自分のいのちと、自分の死をささげるように招かれているのです。

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