教皇ベネディクト十六世の68回目の一般謁見演説 熱心党のシモンと、タダイと呼ばれるユダ

10月11日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の68回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の22回目として、「熱心党のシモンと、タダイと呼ばれるユダ」の二人の使徒について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、ユダの手紙20-23節が朗読されました。謁見には35,000人の信者が参加しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日わたしたちは、十二人の中から二人を考察します。すなわち、熱心党のシモンと、(イスカリオテのユダと混同されないために)タダイと呼ばれるユダです。この二人を一緒に考察するのは、十二人のリストの中で二人がいつも並んで挙げられるためだけではありません(マタイ10・4、マルコ3・18、ルカ6・15、使徒言行録1・13参照)。それは、新約聖書正典の中にタダイと呼ばれるユダに帰せられる手紙がある以外、二人に関する情報がそれほど多くないためでもあります。
 シモンには、四つのリストの中で異なる添え名がつけられています。マタイとマルコはシモンを「熱心党の」(カナナイオス)と述べます。これに対して、ルカはシモンを「熱心党員」(ゼーローテース)とします。実際のところ、この二つの言い方は、同じことを意味しています。実際、ヘブライ語では動詞「カナ」は「熱心である、熱狂的である」を意味します。この動詞は、神に用いられることもできます。たとえば、神は自分の選んだ民に対する「熱情の」神だといわれます(出エジプト20・5参照)。またこの動詞は、エリヤのように、情熱を傾けて、完全な献身をもって神に仕える人に用いられる場合もあります(列王記上19・10参照)。
 したがって、このシモンが、たとえ実際に熱心党(ゼーロータイ)の民族主義的運動に属していなかったとしても、少なくともユダヤ人であることに対する――それゆえ、神と、その民と、神の律法に対する――激しい熱情を性格としていたことは、きわめてありうることです。そうだとすれば、シモンはマタイと対極をなす人物でした。マタイは、シモンと反対に、徴税人として、完全に汚れた活動に従事していたからです。これは、イエスがその弟子や協力者を、誰をも除外することなしに、さまざまな社会的・宗教的階層から招いたことを示す、はっきりとしたしるしです。
 イエスの関心は、民に向けられていたのであって、社会的階層や評価には向けられていませんでした。また、すばらしいことに、イエスに従う者の集団の中では、さまざまな人がいたにもかかわらず、すべての者が、考えうる困難を乗り越えて、共存していました。実際、イエス自身がこの結束を促す元となっていました。すべての者がイエスのうちに一致したからです。そしてこのことは、わたしたちにもはっきりとした教訓となります。わたしたちはしばしば、違いや、場合によって対立を強調しがちです。そして、イエス・キリストのうちに、争いを和解させるための力がわたしたちに与えられていることを忘れています。十二人の集団が教会の先取りであることも心にとめたいと思います。この教会のうちに、さまざまなたまもの、民族、人種、そしてすべての種類の人を受け入れる空間があります。これらすべてのものが、イエスとの交わりのうちに組み合わされ、一致するのです。
 タダイと呼ばれるユダについていえば、彼は伝統的に二つの違う名前を組み合わせて呼ばれます。マタイとマルコは彼を単に「タダイ」(マタイ10・3、マルコ3・18)と呼ぶのに対して、ルカは彼を「ヤコブの子ユダ」(ルカ6・16、使徒言行録1・13)と呼びます。「タダイ」というあだ名のいわれは明らかではありません。アラム語の「タッダ」に由来するともいわれます。「タッダ」は「心」を意味し、そこから「寛大な」を表すことになります。また、「テオドロス、テオドトス」のようなギリシア語の名前の短縮形ともいわれます。このタダイについてはわずかのことしか伝えられていません。
 ヨハネだけが、ユダが最後の晩餐のときにイエスに願いごとをしたと記しています。タダイは主にこういいます。「主よ、わたしたちにはご自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」。これは現代でも重要な意味をもつ問いかけです。わたしたちも主にこう問いかけます。「復活した主が、ご自分が勝利を収めた神であることを示すために、ご自分の敵に対して、そのすべての栄光をもってご自分を現さないのは、なぜでしょうか。なぜ神は弟子たちだけにご自分を現すのでしょうか」。イエスの答えは、神秘的で、深い意味をもっています。
 主はいわれます。「わたしを愛する人は、わたしのことばを守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む」(ヨハネ14・22-23)。このことばがいおうとしているのは、次のことです。すなわち、神がわたしたちのところに一緒に住むことができるには、復活した主は、心でも、見え、また感じることができなければならないということです。主は、一つの物として現れたのではありません。主は、わたしたちの生活の中に入ろうと望んでおられます。だから、主が現れるには、開かれた心を必要とし、また前提とします。このように開かれた心があって初めて、わたしたちは復活した主を見ることができるのです。
 タダイと呼ばれるユダは、「公同書簡」と呼ばれる新約聖書のいくつかの手紙の一つの「ユダの手紙」の著者とされていました。「公同書簡」とは、一つの特定の地方教会に対してでなく、広く多くの受け取り手に宛てられた書簡のことです。実際、この手紙は「父である神に愛され、イエス・キリストに守られている召された人たち」(ユダの手紙1節)に向けて書かれています。
 この文書の中心となる関心事は、神の恵みを自分たちのみだらな楽しみの口実とし、他の兄弟を受け入れがたい教えによって惑わすすべての者から、キリスト信者を守ることです。こうしてこのような者たちは、「夢想」(同8節)によって教会に分裂をもたらします。このように、ユダは彼らの教えと特殊な思想の特徴を述べます。実にユダは彼らを堕天使にたとえ、強い調子で次のようにいいます。「彼らは『カインの道』をたどります」(同11節)。
 さらにユダは、ためらうことなく、次のように彼らに烙(らく)印を押します。「風に追われて雨を降らさぬ雲、実らず根こぎにされて枯れ果ててしまった晩秋の木、わが身の恥を泡に吹き出す海の荒波、永遠に暗闇が待ちもうける迷い星」(同12-13節)。 
 現代のわたしたちは、普通、このような論争的なことばを使いません。けれども、このことばはある重要なことを語っています。すなわち、現代の生活のさまざまな流行の中で、どのような誘惑に遭っても、わたしたちは自分たちの信仰の独自性を守らなければならないということです。もちろん、第二バチカン公会議が幸いにも始めた寛容と対話の道は、けっして変わることなく、しっかりと継続していかなければなりません。この対話の道はきわめて必要とされています。しかしそれが、わたしたちのキリスト教の独自性のもつ、主要で譲ることのできない根幹を、常にしっかりと思い起こし、あかししなければならないという務めを忘れさせることがあってはなりません。
 むしろ、このわたしたちの独自性が、わたしたちが生きる世界のさまざまな矛盾に対して、力と明瞭さと勇気を必要としていることを、よく心にとめなければなりません。
 ですから、ユダの手紙は続けてこう述べています。「しかし、愛する人たち(これはわたしたちすべてにいわれています)、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。神の愛によって自分を守り、永遠のいのちへ導いてくださる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。疑いを抱いている人たちを憐れみなさい」(同20-22節)。
 ユダの手紙は次の美しいことばで結ばれます。「あなたがたを罪に陥らないように守り、また、喜びにあふれて非のうちどころのない者として、栄光に輝く御前に立たせることができる方、わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン」(同24-25節)。
 このことばを書いた人は、自分の信仰を完全なしかたで生きていたことがよくわかります。その信仰の下には、非のうちどころのない道徳、喜び、信頼、そして最後に賛美といった優れた徳がありました。それらはすべて、わたしたちの唯一の神のいつくしみと、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみのみによって導かれていました。ですから、熱心党のシモンと、タダイと呼ばれるユダの二人の助けによって、わたしたちがキリスト教信仰のすばらしさをいつも新たに思い起こし、倦(う)むことなくそれを生き、また、力強く落ちついてあかしすることができますように。

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