教皇ベネディクト十六世の79回目の一般謁見演説 最初の殉教者聖ステファノ

2007年1月10日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の79回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2006年3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の29回目として、「最初の殉教者聖ステファノ」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、使徒言行録6章8-10節が朗読されました。謁見には7000人の信者が参加しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 降誕節の後、わたしたちは連続講話を再開します。わたしは皆様とともに十二使徒と聖パウロの姿を考察しました。その後、わたしたちは初代教会の他の人びとについての考察を始めました。今日、わたしたちは聖ステファノの姿について考えてみたいと思います。教会は聖ステファノの祝日を主の降誕の翌日に祝います。聖ステファノは、七人の仲間のグループの中でもっとも代表的な人物です。伝統はこのグループをその後の「助祭」職の萌芽と考えています。もっとも、「助祭」という名称は使徒言行録の中で使われないこともいっておく必要があります。いずれにせよ、この重要な文書の中でルカが2章全体を用いてステファノについて記していることから、ステファノの重要性は明らかです。
 ルカの記事は、初めに、エルサレムの初代教会の中に区別が生じたことを確認します。エルサレム教会はすべてユダヤ人出身のキリスト者から成っていました。この人びとのうちのある者はイスラエルの地の出身で、「ヘブライ語を話すユダヤ人(ヘブライ人)」と呼ばれました。他の者はギリシア語を話すディアスポラ(離散)の出身の旧約聖書の信者で、「ギリシア語を話すユダヤ人(ヘレニスト)」と呼ばれました。そこから問題が姿を現しました。ギリシア語を話すユダヤ人の中で生活に困っている人、特に社会からの支えのないやもめが、生計を助けてもらう上でないがしろにされる危険が生じたのです。
 この問題を解決するために、使徒たちは、祈りとみことばの奉仕を自分たちの主な任務として保とうとして、「〝霊〟と知恵に満ちた評判の良い人を七人」任命し、援助の務め、すなわち慈善活動をさせることにしました(使徒言行録6・2-4)。ルカが述べているように、この目的のために、使徒たちの招きによって、弟子たちは七人を選びました。わたしたちは七人の名前を知っています。すなわち、「信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、ニコラオ」です。一同は彼らを「選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた」(使徒言行録6・5-6)。
 手を置くという動作はさまざまな意味をもつことがあります。旧約では、この動作は何よりも重要な任務を譲ることを表しました。たとえば、モーセがヨシュアに行った通りです(民数記27・18-23参照)。モーセは手を置いて後継者を指名しました。この伝統に従って、アンティオキアの教会も、手を置くという動作を用いてパウロとバルナバを世の民への宣教に派遣しました(使徒言行録13・3参照)。テモテに宛てて書かれた二つのパウロの手紙も、公の任務を与えるために同じようにテモテに手が置かれたことを述べています(一テモテ4・14、二テモテ1・6参照)。テモテへの手紙一を読むと、手を置くことは識別の後に行うべき重要な行為を意味したことが窺えます。「性急に誰にでも手を置いてはなりません。他人の罪に加わってもなりません」(一テモテ5・22)。
 それゆえ、手を置くという動作は秘跡のしるしの意味で行われたことがわかります。ステファノとその仲間の場合、使徒によって公的に任務を与えると同時に、この任務を果たすための恵みを祈り求めるために手を置いたことはいうまでもありません。
 もっとも重要なことは、ステファノが、慈善活動に加えて、同郷人である、いわゆる「ギリシア語を話すユダヤ人」への福音宣教の務めも果たしたということです。実際、ルカは、ステファノが「恵みと力に満ち」(使徒言行録6・8)、イエスの名によってモーセと神の律法についての新しい解釈を示し、イエスの死と復活に関するしらせに照らして旧約を再解釈したことを強調します。この旧約の再解釈、すなわちキリストによる再解釈はユダヤ人の反発を引き起こします。ユダヤ人たちはステファノのことばを冒?(ぼうとく)と感じたからです(使徒言行録6・11-14参照)。このためにステファノは石打ちの刑に定められました。そして聖ルカは聖ステファノの最後の演説を伝えています。それはステファノの説教をまとめたものです。
 イエスはエマオの弟子たちに、旧約全体がご自分とその十字架と復活について語っていることを説明しました。それと同じように、聖ステファノも、イエスの教えに従って、旧約全体をキリストを鍵として解釈しました。ステファノは、十字架の神秘が旧約における救いの歴史の中心であることを示します。ステファノは、十字架につけられて復活したイエスこそが、真の意味で、この救いの歴史の到達点であると説明します。そこからステファノはまた、神殿での礼拝は終わり、復活したイエスが新しい真の「神殿」であることを示します。
 この神殿と神殿礼拝の「否定」が、聖ステファノの処刑の原因となります。ルカはこう述べます。処刑されるとき、ステファノは目を天に向け、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見ました。天と神とイエスを見つめながら、ステファノはいいます。「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」(使徒言行録7・56)。続いてステファノは殉教します。ステファノの殉教は、実際、イエス自身の受難に倣うものでした。殉教のとき、ステファノは「主イエス」に自分の霊をささげ、自分を殺す人びとの罪を彼らに負わせないようにと祈ります(使徒言行録7・59-60参照)。
 エルサレムでステファノが殉教した場所は、伝統的にエルサレムの北のダマスコ門のすぐ外とされます。実際、そこには今、有名なドミニコ会の聖書研究所(École Biblique)のそばに、聖ステファノ教会があります。キリストの最初の殉教者であるステファノの殺害に続いて、イエスの弟子たちへのエルサレム地方での迫害が起こりました(使徒言行録8・1参照)。これは教会史の中で最初に確認された迫害です。この迫害が、ギリシア語を話すユダヤ人のキリスト者がエルサレムを逃れ、離散することを促す具体的なきっかけとなりました。エルサレムを追われた彼らは、旅する宣教者となりました。「散って行った人びとは、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」(使徒言行録8・4)。迫害とそれに続く離散は宣教となったのです。こうして福音はサマリア、フェニキア、シリアで、ついには大都市アンティオキアにまで宣べ伝えられました。ルカによれば、このアンティオキアで、福音は初めて異邦人に告げ知らされました(使徒言行録11・19-20参照)。またこのアンティオキアで、「キリスト者」という名前が初めて使われました(使徒言行録11・26)。
 特にルカは、ステファノに石を投げた人びとが「自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた」(使徒言行録7・58)と記します。このサウロは、迫害者から有名な福音の使徒となったサウロにほかなりません。このことは、若いサウロがステファノの説教を聞いたにちがいないこと、したがって、この説教の主な内容を知っていたにちがいないことを意味します。おそらく聖パウロは、ステファノの説教を聞いて「激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした」(使徒言行録7・54)人びとの一人でした。ここからわたしたちは驚くべき神の摂理を見ることができます。ステファノの幻に激しく反対したサウロは、ダマスコに向かう道で、復活したキリストと出会った後、この最初の殉教者ステファノが行った旧約のキリストによる解釈をあらためて取り上げ、さらにそれを深化し、完成しました。こうしてサウロは「異邦人のための使徒」となりました。パウロの教えによれば、律法はキリストの十字架によって実現されました。そして、キリストを信じること、すなわちキリストの愛と交わりをもつことが、律法全体の真の意味での実現です。これがパウロの説教の内容です。こうしてパウロは、アブラハムの神がすべての人の神となったことを示しました。そして、イエス・キリストを信じるすべての人は、アブラハムの子として、約束されたものにあずかる者となります。ステファノの幻は、聖パウロの宣教によって完成しました。
 ステファノの物語はわたしたちに多くのことを語ります。たとえばそれは、愛のわざを行う社会的な務めと、信仰を勇気をもって告げ知らせることを切り離してはならないことをわたしたちに教えます。ステファノは何よりも愛のわざを行うよう委ねられた七人の一人でした。しかし、愛のわざを宣教と切り離すことはできませんでした。こうしてステファノは、愛のわざによって、十字架につけられたキリストを告げ知らせ、ついに殉教を遂げるまでに至りました。これが聖ステファノの姿からわたしたちが学ぶことのできる第一の教訓です。すなわち、愛のわざと宣教は常に一緒に行われるということです。
 聖ステファノは何よりもわたしたちにキリストについて語ります。十字架につけられて復活したキリストは、歴史とわたしたちの人生の中心です。十字架は、常に教会生活の中心であると同時に、わたしたち個人の生活の中心でもあり続けることを、わたしたちは知ることができます。受難と迫害は教会の歴史の中でなくなることがありません。そして、テルトゥリアヌスの有名なことばによれば、迫害こそが新たなキリスト信者のための宣教の源泉となります。テルトゥリアヌスのことばを引用したいと思います。「あなたがたがわれわれを刈り取れば、その都度、われわれの信者は倍加するのである。キリスト教徒の血は、種子なのである」(テルトゥリアヌス『護教論』50・13:Plures efficimur quoties metimur a vobis: semen est sanguis christianorum〔鈴木一郎訳、『キリスト教教父著作集14』教文館、1987年、117-118頁〕)。
 しかし、わたしたちの生活の中でも、十字架はなくなることがありません。そしてこの十字架は祝福となります。そして、十字架を受け入れることによって、すなわち十字架が祝福となること、また祝福であることを知ることによって、わたしたちは困難な時にもキリスト信者の喜びを学びます。あかしの価値はかけがえのないものです。福音はあかしへと導かれ、教会はあかしによって養われるからです。聖ステファノは、わたしたちがこの教訓を大事にするように教えます。ステファノは、わたしたちが十字架を愛するように教えます。十字架は、キリストが常に新たにわたしたちの間に来るための道だからです。

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