教皇ベネディクト十六世の80回目の一般謁見演説 キリスト教一致祈祷週間について

2007年1月17日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の80回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、1月18日(木)から25日(木)まで行われるキリスト教一致祈祷週間につ […]

2007年1月17日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の80回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、1月18日(木)から25日(木)まで行われるキリスト教一致祈祷週間について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
今年のキリスト教一致祈祷週間のテーマは、「耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる」(マルコ7・37)です。昨年と同じく、このキリスト教一致祈祷週間の最終日の1月25日(聖パウロの回心の祝日)には、教皇の司式により、サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ大聖堂で、さまざまなキリスト教会の代表者とともに晩の祈りが行われる予定です。
演説に先立って、マルコによる福音書7章32節-35節が朗読されました。謁見には6000人の信者が参加しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 明日からキリスト教一致祈祷週間が始まります。来週の1月25日に、サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ大聖堂で、わたしは自ら晩の祈りを行って、このキリスト教一致祈祷週間を終えます。この晩の祈りにはローマの他の教会・教会共同体の代表者も招かれます。
 1月18日から25日までの間、また世界の他の地域では聖霊降臨の前後に、すべてのキリスト者は集中した献身と祈りの時を過ごします。その際、キリスト者は、教皇庁キリスト教一致推進評議会と世界教会協議会信仰と職制委員会が共同で準備した資料を用いることができます。 
 わたしは、一致への望みがどれほど深いものであるかを、ここ数年にわたしが教会・教会共同体の代表者と行った会合の中で感じました。また、最近行った、トルコのイスタンブールでのバルトロマイ一世世界総主教への訪問においても、それをきわめて感動的なしかたで感じました。来週の水曜日に、わたしの心を希望へと開いてくれた、今述べたものを初めとした他のさまざまな経験についてもう一度お話しします。
 一致への道のりが長く、困難なものであり続けることは間違いありません。しかし、わたしたちは自信を失ってはなりません。そして、何よりもまず、キリストの確かな支えに信頼しながら歩み続けなければなりません。キリストは天に上られる前に、弟子たちにこう約束したからです。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる」(マタイ28・20)。一致は神から与えられるたまものであり、聖霊のわざがもたらす実りです。だから祈ることが大事なのです。キリストに近づき、その愛に心を向ければ向けるほど、わたしたちは互いに近づきます。
 イタリアを含めたある国々では、キリスト教一致祈祷週間の前に「ユダヤ教徒とキリスト教徒の黙想の日」を行います。それはまさに今日の1月17日に行われます。最近の約20年間、イタリア司教協議会はこの日をユダヤ教のためにささげています。それは、ユダヤ教に関する理解と評価を高め、キリスト教共同体とユダヤ教共同体の相互の友好関係を深めるためです。こうした友好関係は、第二バチカン公会議後、また神のしもべヨハネ・パウロ二世のローマの大シナゴーグへの歴史的な訪問の後に、よい方向へと発展してきました。
 ユダヤ教とキリスト教の友好関係も、それが成長し、実り豊かなものとなるために、祈りを基盤としなければなりません。それゆえわたしは今日皆様に、主に絶えず祈り求めてくださるようにお願いします。どうか、ユダヤ教徒とキリスト教徒が、互いに尊敬し合い、尊重し合いながら、世界の正義と平和のために協力していくことができますように。
 今年のキリスト教一致祈祷週間でともに考察し、祈るために示された聖書のテーマは、「耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる」(マルコ7・31-37)です。これはマルコによる福音書のことばで、耳が聞こえず、口の利けない人をイエスがいやしたことについて述べたものです。この短い箇所の中で、福音書記者マルコは語ります。主は、耳が聞こえず、口の利けない人の耳に指を差し入れ、唾をつけてその舌に触れた後、「エッファタ」といって奇跡を行いました。「エッファタ」とは、「開け」という意味です。
 聴力と話す力を取り戻したその人は、自分に起こったことを人びとに語り、人びとを驚かせました。原罪によって霊的に耳が聞こえず、口が利けないすべてのキリスト者は、洗礼によって主のたまものを与えられます。主は指で顔に触れます。こうしてキリスト者は、洗礼のたまものにより、神のことばを聞いて、それを兄弟たちに宣べ伝えることができるようになります。同時に、洗礼の瞬間から、キリスト者はキリストを知り、愛することにおいて成長するという務めを与えられます。それは、福音を効果的なしかたで告げ知らせ、あかしすることができるようになるためです。
 すべてのキリスト教共同体の使命の二つの側面――すなわち、福音の告知と愛のあかし――を明らかにするこのテーマは、キリストのメッセージを具体的な連帯のわざとして示すことの重要性をも強調します。この連帯のわざは一致への歩みを進めるものです。なぜなら、キリスト者がともに隣人の苦しみに対して行うあらゆる援助は、たとえどれほどわずかなものであっても、キリスト者の交わりと主の掟に対する忠実さを目に見えるものとするために役立つといえるからです。
 しかし、キリスト教一致のための祈りは、一致祈祷週間に限って行われるものであってはなりません。主のすべての弟子の完全な一致――その時と方法は主がご存知です――をもたらしてくださるよう、ともに主に願い求めることは、一年を通じて毎日行うべきことなのです。
 さらに、人の苦しみを和らげるための奉仕のわざ、キリストのメッセージの真理の探求、回心と悔い改めといった諸目標を調和させなければなりません。こうした歩みを通じて、キリスト者と呼ばれるに値するすべてのキリスト者は、兄弟と一つに結ばれながら、一致と交わりのたまものを願い求めなければならないからです。
 それゆえわたしは皆様に勧めます。この数日間を、神の霊に祈りながら耳を傾ける雰囲気のうちに過ごしてください。それは、すべてのキリストの弟子たちの十全かつ完全な交わりへの道において意味のある前進を行うためです。
 わたしたちは教会の母、またすべてのキリスト者の助けとしておとめマリアに祈り求めます。このおとめマリアが、わたしたちのキリストに向かう歩みを支えてくださいますように。

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