教皇ベネディクト十六世の84回目の一般謁見演説 福音に奉仕した女性たち

2007年2月14日(水)午前10時30分から、サンピエトロ大聖堂とパウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の84回目の一般謁見が行われました。 教皇はまずサンピエトロ大聖堂で、定期訪問でバチカンを訪れている司教団に伴 […]

2007年2月14日(水)午前10時30分から、サンピエトロ大聖堂とパウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の84回目の一般謁見が行われました。
教皇はまずサンピエトロ大聖堂で、定期訪問でバチカンを訪れている司教団に伴われた、中部イタリアのマルケ州の諸教区の12,000人の信者との謁見を行いました。謁見の中で教皇は、2007年9月1日から2日にマルケ州の聖母巡礼地であるロレトを訪問することを思い起こし、ロレトでの集会に多くの青年が参加することを呼びかけました。終わりにロレトの聖母への祈りが唱えられました。
その後、教皇はパウロ六世ホールに移動し、そこで、2006年3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の32回目として、「福音に奉仕した女性たち」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、「ガラテヤの信徒への手紙」3章26-28節が朗読されました。パウロ六世ホールでの謁見には8,000人の信者が参加しました。
なお、この日のパウロ六世ホールでの謁見には、日本からカトリック信者の桜井哲夫さん(82歳)が参加し、最前列で教皇の祝福を受けました。桜井さんは青森県出身の元ハンセン病患者で、66年間を療養所で過ごし、29歳のとき失明しました。謁見の模様はNHKテレビの15日午前7時のニュースでも放送されました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日わたしたちは、新約聖書の中で述べられた初期キリスト教の証人たちをめぐる旅路の終わりに到着しようとしています。わたしたちはこの最初の旅の最後の歩みを用いて、福音の宣布において力強く貴重な役割を果たした多くの女性たちに目を向けたいと思います。
 この女性たちのあかしを忘れることはできません。わたしたちは、受難の少し前にイエスの頭に香油をかけた女についてイエスご自身が述べたことばに従うからです。「はっきりいっておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」(マタイ26・13、マルコ14・9)。
 主は、この福音の証人たち、すなわち主への信仰が広がることに貢献した人びとが、教会の中で知られ、生き生きと記念されることを望みました。わたしたちは歴史的に、初期キリスト教における女性の役割を、イエスの地上での生活におけるときと、初期キリスト教の時代とに区別できます。
 ご存知のように、イエスが弟子たちの中から十二人の男性を新しいイスラエルの父祖として選んだことは間違いありません。それは「彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ」(マルコ3・14-15)るためでした。このことは明らかです。しかし、教会の柱であり、新しい神の民の父祖であるこの十二人のほかに、多くの女性も選ばれて、弟子の中に数えられました。
 わたしは、イエスご自身の歩みにおいて見いだされる人びとをごく簡単に示すことしかできません。初めに預言者アンナ(ルカ2・36-38参照)がいます。次にサマリアの女(ヨハネ4・1-39参照)。シリア・フェニキアの女(マルコ7・24-30参照)。出血を患う女(マタイ9・20-22参照)。そして罪をゆるされた女(ルカ7・36-50参照)です。
 わたしはいくつかの力強いたとえ話の登場人物を考察することもできません。たとえば、パンを作る女(マタイ13・33)、ドラクメ銀貨を無くした女(ルカ15・8-10)、また裁判官の前のうるさいやもめ(ルカ18・1-8)です。
 わたしたちの考察にとってもっと重要なのは、イエスの宣教の面で積極的な役割を果たした女性たちです。わたしたちの思いはまず自然におとめマリアに向かいます。マリアはその信仰と母としてのわざをもって格別なしかたでわたしたちのあがないに協力したからです。そこでエリサベトはマリアを「女の中で祝福されたかた」(ルカ1・42)と宣言しました。さらにエリサベトはこう述べました。「信じたかたは、なんと幸いでしょう」(ルカ1・45)。
 マリアは御子の弟子となると、カナで御子への完全な信頼を示しました(ヨハネ2・5参照)。そしてマリアは十字架のもとまで御子に従いました。十字架のもとでマリアは、ヨハネに代表される、あらゆる時代における御子のすべての弟子の母となるという使命を与えられました(ヨハネ19・25-27参照)。
 さらに、さまざまなしかたで責任ある役割をもってイエスを取り巻く、幾人かの女性がいます。自分の持ち物で奉仕しながらイエスに従った婦人たちがその明らかな例です。ルカはそのいくつかの名前を伝えています。すなわち、マグダラのマリア、ヨハナ、スサンナ、「そのほか多くの婦人たち」(ルカ8・2-3参照)です。後に福音書は、十二人と違って、この婦人たちは受難のときもイエスを見捨てなかったことをわたしたちに伝えます(マタイ27・56、61、マルコ15・40参照)。
 これらの婦人の中で特に際立っているのはマグダラのマリアです。マグダラのマリアは受難に居合わせただけでなく、復活したキリストを最初にあかしし、告げました(ヨハネ20・1、11-18参照)。聖トマス・アクィナスはこのマグダラのマリアに「使徒の中の女性の使徒」(apostolorum apostola)という独自の名を与えています。そしてトマスはマグダラのマリアについてすばらしい解説を行います。「一人の女が人祖に死のことばを告げたように、一人の女が最初に使徒たちにいのちのことばを告げた」(聖トマス・アクィナス『ヨハネ福音書注解』:Lectura super Evangelium sancti Johannis, ed. Cai, §2519)。
 初代教会の領域においても、女性の存在はけっして補助的なものではありません。「助祭」フィリポの、名前の知られていない四人の娘がそのよい例です。海辺のカイサリアに住んでいたこの四人の娘は皆、聖ルカの述べるところによれば、「預言のたまもの」、すなわち聖霊の働きのもとに公に発言する力を与えられていました(使徒言行録21・9参照)。簡単な記事のため、これ以上正確なことはわかりません。
 しかし聖パウロは、わたしたちに女性の尊厳と教会における役割に関するもっと詳しい文書を示しています。聖パウロは根本的な原則から出発します。この原則によれば、洗礼を受けた者にとって「ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もな」いばかりか、「男も女もありません」。なぜなら、わたしたちは「皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3・28)。すなわち、すべての者は根本的に同じ尊厳を共有しながら、一人ひとり特別な役割を与えられているのです(一コリント12・27-30参照)。
 使徒パウロは、キリスト教共同体の中で女性が「預言」(一コリント11・5)できることを普通のこととして認めます。「預言」するとは、聖霊の力のもとではっきりと自分の意見を述べることです。ただしそれは、共同体の建設のために、品位のあるしかたで行われなければなりません。そのため、「婦人たちは、教会では黙っていなさい」(一コリント14・34)という有名な勧めをある程度差し引いて考えなければなりません。
 ここから生じる、最初のことば(女性は会衆の中で預言ができる)ともう一つのことば(婦人たちは語ってはならない)の間の関係、すなわちこの二つの矛盾するように思われる命令の関係に関する問題については、多くの議論が行われていますが、わたしたちはこれを釈義学者に委ねたいと思います。それはここで論じるべきことではありません。
 先週の水曜日にわたしたちはアキラの妻プリスカ(あるいはプリスキラ)を取り上げました。驚くべきことにプリスカは二つの箇所で夫よりも先に言及されます(使徒言行録18・18、ローマ16・3参照)。パウロははっきりと二人をともに「協力者(シュンエルグース)」(ローマ16・3)と呼んでいます。
 他の重要な人びとも見過ごすことができません。たとえば、パウロはフィレモンへの手紙を「アフィア」(フィレモン2参照)と呼ばれる女性にも宛てています。ギリシア語テキストのラテン語訳とシリア語訳は、この「アフィア」という名前に「もっとも愛すべき娘(soror carissima)」(同)という呼び名を加えています。そしてコロサイの共同体の中で彼女は重要な位置を占めていたといわなければなりません。いずれにせよ、彼女はパウロが手紙の宛て先の中で言及する唯一の女性です。
 使徒パウロは他の箇所で、「フェベ」と呼ばれる人に言及します。この「フェベ」はケンクレアイの教会の「ディアコノス(奉仕者)」だとされます。ケンクレアイはコリントの東の小さな港町です(ローマ16・1-2参照)。当時、「ディアコノス」という肩書きは位階的な性格のある特定の奉仕職の意味をもっていませんでしたが、それはこの女性がキリスト教共同体のために真に固有の責任を果たしていたことを示しています。
 パウロはこの女性が心から迎え入れられ、「助けを必要とするなら、どんなことでも」助けるように求めます。それから彼は加えて述べます。「彼女は多くの人びとの援助者、特にわたしの援助者です」。同じ手紙の文脈の中で、使徒パウロは細やかな言い方で、他の女性たちの名前を思い起こします。すなわち、マリアと呼ばれる人、それからトリファイナ、トリフォサ、「愛する」ペルシス。また、ユリア。この人びとについてパウロははっきりと彼らが「あなたがたのために非常に苦労した」また「主のために非常に苦労した」と書いています(ローマ16・6、12a、12b、15)。こうしてパウロは彼らが教会のために深く献身したことを強調します。
 さらにフィリピの教会の中で「エボディア」と「シンティケ」(フィリピ4・2)という名の二人の女性が際立っていました。パウロが二人が互いに和解するように呼びかけていることから、この二人の女性がフィリピの共同体の中で重要な役割を果たしていたことがわかります。
 要するに、もし多くの女性たちの寛大な貢献がなければ、教会の歴史の発展はまったく違うものとなっていたことでしょう。そのため、わたしの敬愛すべきまた愛すべき前任者であるヨハネ・パウロ二世は使徒的書簡『女性の尊厳と使命』でこう述べています。「教会は一人ひとりの女性のために感謝します。・・・・教会は、歴史の中に、すべての人びとと国々で見られる女性の『才能』の現れに感謝します。神の民の歴史の中で、聖霊が女性に与えたカリスマに対し、また、信、望、愛によって得ることのできた勝利、女性の聖性のすべての実りのために感謝します」(教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡『女性の尊厳と使命』31)。
 おわかりの通り、この称賛は教会の歴史全体における女性に向けられ、また、教会共同体全体の名において表明されています。わたしたちもこの評価に賛同したいと思います。そして、主に感謝したいと思います。主は幾世代を通じて、男性と女性を区別なく用いながら、ご自分の教会を導いてくださったからです。男性も女性も、教会のからだ全体の善のために、すなわち神のより大いなる栄光のために、自らの信仰と洗礼から実りをもたらすことができたのです。

PAGE TOP