教皇ベネディクト十六世の2007年2月18日の「お告げの祈り」のことば 四旬節を前にして

教皇ベネディクト十六世は、2月18日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、雨の中サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。 […]

教皇ベネディクト十六世は、2月18日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、雨の中サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
「お告げの祈り」の後、教皇はこの日、中国を初めとするアジア諸国で旧正月(春節)が祝われるにあたり、イタリア語で次のあいさつを送りました。
「東洋の諸国では今日、太陰暦による元日を喜びのうちに親しい家族のかたがたとともに祝います。これらの大いなる民に、わたしは心から平安と繁栄を願います」。
続けて教皇は、同じくイタリア語で、西アフリカのギニアの治安回復を祈って次の呼びかけを行いました。
「わたしは、特別に困難な時期を経験しているアフリカの国ギニアに心を寄せていることを表明したいと思います。ギニアの司教たちは、社会が麻痺した状況への彼らの懸念をわたしに示しました。広範なストライキと暴力的な対応によって、多数の犠牲者が生じています。わたしは、人権と市民権が尊重されることを求めるとともに、祈ることを約束します。どうか対話の道を歩む共通の取り組みが、危機の克服をもたらしますように」。
ギニアでは今年1月に大規模なゼネストが行われ、ランサナ・コンテ大統領は2月12日(月)に全土に戒厳令を施行することを宣言しました。ゼネスト参加者と政府治安部隊の衝突により、少なくとも110名が死亡しています。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日の主日の福音は、イエスの説教のもっとも典型的で力強いことばを含んでいます。すなわち、「敵を愛しなさい」(ルカ6・27)です。これはルカによる福音書からとられていますが、マタイによる福音書(マタイ5・44)の中にも、有名な真福八端から始まる、イエスの計画を述べた説教の文脈において見いだされます。イエスはこのことばを公生活の初めにガリラヤで述べました。それはすべての人に示された「マニフェスト(宣言)」のようなものでした。イエスはこの「マニフェスト」に従うよう弟子たちに求めました。そして彼らに徹底的なことばでご自分の生き方の模範を示しました。しかし、イエスのこのことばの意味は何なのでしょうか。なぜイエスは自分の敵を愛することを、すなわち、人間の能力を超えた愛を求めるのでしょうか。実際には、イエスの提案は現実的なものです。なぜならそれは、世界の中に「あまりも大きな」暴力と「あまりにも大きな」不正があること、ですから、「より大きな」愛、「より大きな」いつくしみをもって対抗しなければ、このような状況を克服することはできないことを考慮に入れているからです。この「より大きな」ものは神から来ます。神の憐れみはイエスにおいて肉となりました。そしてこの神の憐れみのみが、世界の「均衡」を悪から善へと変えることができます。この変化は、あの小さく、しかし決定的な「世界」、すなわち人間の心から始まります。
 この福音の箇所はキリスト教の非暴力の「憲章」と考えてよいものです。キリスト教の非暴力とは、悪に屈することではなく――それは「もう一方の頬をも向けなさい」(ルカ6・29参照)の間違った解釈です――、むしろ、善をもって悪に対抗することです(ローマ12・17-21参照)。こうして不正の鎖を断ち切ることができます。ですから、キリスト信者にとって非暴力はたんなる戦術的な行動ではなく、人格のあり方だということがわかります。それは神の愛とその力を確信する人の態度です。このような人は愛と真理という武器のみによって悪に立ち向かうことを恐れないからです。敵への愛は「キリスト教の革命」の核心です。「キリスト教の革命」は経済や政治やメディアの力に頼りません。それは愛の革命です。この愛は、人間的な手段を決定的な支えとするのではなく、むしろ神のたまものです。神のたまものは神の憐れみ深いいつくしみのみを無条件に信頼することによって与えられるからです。ここに福音の新しさがあります。福音は静かに世界を変えるからです。ここに「小さな者」の勇敢さがあります。「小さな者」は神の愛を信じ、いのちを犠牲にしてまでこの神の愛を広めるからです。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。今週の水曜日に灰の式によって始まる四旬節は、すべてのキリスト信者がいっそう深くキリストの愛へと回心するよう招かれるためのよい時期です。あがない主の忠実な弟子であるおとめマリアに願おうではありませんか。マリアの助けによって、わたしたちがこのキリストの愛に無条件にとらえられ、キリストが愛するように愛することを学び、わたしたちの天の父が憐れみ深いように憐れみ深い者となることができますように(ルカ6・36参照)。

PAGE TOP