教皇ベネディクト十六世の2007年3月18日の「お告げの祈り」のことば 四旬節第四主日にあたって

教皇ベネディクト十六世は、四旬節第四主日である3月18日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文は […]

教皇ベネディクト十六世は、四旬節第四主日である3月18日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
教皇は3月13日(火)にシノドス後の使徒的勧告『愛の秘跡』(Sacramentum caritatis)を発布しました。これは、2005年10月2日から23日までバチカンで行われた世界代表司教会議(シノドス)第11回通常総会の議論を受けて書かれたものです。
この日教皇は、午前中、ローマのカサル・デル・マルモ少年院を訪問し、同施設に収容されている約50名の少年が参加する中、ミサをささげました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 わたしはたった今、ローマのカサル・デル・マルモ少年院から戻ったところです。わたしはそこを今日の四旬節第四主日に訪問しました。四旬節第四主日はラテン語で「ラエタレ」すなわち「喜び」の主日と呼ばれます。これはミサの入祭唱の最初のことばに基づきます。今日の典礼はわたしたちを喜ぶように招きます。なぜなら復活祭、すなわちキリストが罪と死に打ち勝った日が近づいているからです。しかし、キリスト教の喜びの源泉を聖体以外のどこに見いだすべきでしょうか。キリストはこの聖体を、わたしたちが地上の旅路を歩む間の霊的な糧としてわたしたちに残してくださったからです。聖体はいつの時代にも信者の中に深い喜びを育ててくれます。この深い喜びによって、わたしたちは皆、愛と平和に結ばれます。そしてこの深い喜びの元は、神と兄弟との交わりにあります。
 先週の火曜日にシノドス後の使徒的勧告『愛の秘跡』(Sacramentum caritatis)が発布されました。この文書のテーマは「聖体――教会生活と宣教の源泉と頂点」です。わたしは、2005年10月にバチカンで開催された世界代表司教会議(シノドス)第11回通常総会の成果をまとめながら、このテーマを扱いました。わたしはこのような重要な文書をもう一度考察するつもりです。とりあえず今はこのことを強調したいと思います。すなわち、この文書は聖体の神秘についての普遍教会の信仰を表したものだということです。また、この文書は第二バチカン公会議とわたしの敬愛すべき先任者であるパウロ六世とヨハネ・パウロ二世の教えと連続して書かれているということです。わたしはこの文書の中で何よりもその回勅『神は愛』とのつながりを明らかにしたいと望みました。だからわたしは『愛の秘跡』という標題を選んだのです。これは聖トマス・アクィナスによる聖体のすばらしい定義である「愛の秘跡」からとっています(トマス・アクィナス『神学大全』:Summa Theologiae, III, q. 73, a. 3, ad 3参照)。まことにキリストは、聖体によって、わたしたちに「ご自分の」愛を与えることを望まれました。この愛に促されて、キリストは十字架上でわたしたちのためにいのちをささげました。最後の晩餐のとき、イエスは弟子たちの足を洗うことにより、わたしたちに愛のおきてを残しました。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13・34)。しかしこのことが可能となるために、わたしたちはぶどうの木の枝のようにイエスとつながっていなければなりません(ヨハネ15・1-8参照)。だからイエスは、わたしたちがイエスの内にとどまることができるように、聖体の内にわたしたちの間にとどまることを選ばれました。ですから、わたしたちがイエスのからだと血によって信仰を養うとき、イエスの愛がわたしたちに注がれ、わたしたちも兄弟のためにいのちをささげることができるようになります(一ヨハネ3・16参照)。ここからキリスト教の喜び、すなわち愛の喜びがわき出るのです。
 マリアはすぐれた意味で「聖体に生かされた女性」であり、神の恵みの傑作です。神の愛はマリアを「愛して」(エフェソ1・4参照)、彼女を原罪の汚れのない者としました。神はあがない主の守護者として、聖ヨセフをマリアのそばに置きました。明日わたしたちは聖ヨセフの祭日を祝います。わたしは特にこの偉大な聖人に願い求めます。どうか神の民が聖体の神秘を信じ、祝い、生きることにより、キリストの愛に満たされ、全人類に喜びと平和の実りを広めることができますように。

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