教皇ベネディクト十六世の2007年3月25日の「お告げの祈り」のことば 神のお告げの祭日を前にして

教皇ベネディクト十六世は、四旬節第五主日である3月25日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文は […]

教皇ベネディクト十六世は、四旬節第五主日である3月25日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行いました。
「来週の日曜日は、荘厳で意味深い枝の主日の典礼を祝います。この日から聖週間が始まります。このような雰囲気の中で第22回世界青年の日が行われます。今年の世界青年の日のテーマは、イエスが述べた次のおきてです。『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい』(ヨハネ13・34)。この世界青年の日と復活祭を準備するために、わたしはローマ教区の青年の皆様をゆるしの式に招きます。わたしはこのゆるしの式を3月29日木曜日午後、サンピエトロ大聖堂で司式します。望む人はゆるしの秘跡にあずかることができます。ゆるしの秘跡は神の愛とのまことの出会いです。すべての人は喜びと平和の内に生きるためにこの神の愛を必要としています」。
この日教皇は、午前9時30分から北ローマのフィデーネ地区にあるサンタ・フェリチタ・エ・フィーリ・マルティリ小教区を訪問し、ミサをささげました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 3月25日は聖なるおとめマリアのお告げの祭日です。今年この祭日は四旬節の主日と重なったため、明日祝われます。いずれにせよわたしはこの驚くべき信仰の神秘に目を向けたいと思います。わたしたちはこの神秘を毎日「お告げの祈り」を唱える際に観想するからです。聖ルカによる福音書の初めに語られる神のお告げは、つつましい出来事です。それは隠れていますが――マリア以外の誰もそれを見ず、誰もそれを知りませんでした――、同時に人類の歴史にとって決定的な出来事です。おとめマリアが天使のお告げに「はい」と答えたとき、イエスは胎内に宿りました。そしてイエスとともに歴史の新しい時代が始まりました。この新しい時代は、後に「新しい永遠の契約」としての過越の中で確かなものとされます。実際、マリアの「はい」は、キリストが世に入ったときに述べた「はい」の完全な映しです。ヘブライ人への手紙が詩編40を解釈しながら次のように述べる通りです。「ご覧ください。わたしは来ました。聖書の巻物にわたしについて書いてある通り、神よ、み心を行うために」(へブライ10・7)。御子の従順は聖母の従順の内に反映しています。そして、このようにこの二つの「はい」が出会うことによって、神は人間の顔をとることができました。だから神のお告げはキリストの祭日でもあります。この祭日は受肉という、キリストの神秘の中心を祝うからです。
 「ご覧ください。わたしは主のはしためです。おことば通り、この身になりますように」。マリアの天使に対するこたえは教会の中で引き継がれます。教会は歴史の中にキリストを現存させるよう招かれているからです。ですから教会は、神があわれみをもって人類を訪れ続けることができるように、自らを進んでささげます。こうしてイエスとマリアの「はい」は、聖人たち、特に殉教者たちの述べる「はい」によって更新されます。殉教者たちは福音のために殺されたからです。わたしがこのことを強調するのは、昨日の3月24日のサン・サルバドルの大司教オスカル・ロメロ(1917-1980年)が暗殺された命日祭に、わたしたちは「殉教した宣教者のための祈りと断食の日」を行ったからです。司教、聖職者、男子修道者、女子修道者、そして信徒が、福音宣教と人間性の推進の使命を果たしているときにいのちを奪われました。今年の「殉教した宣教者のための祈りと断食の日」のテーマが述べるように、これらの殉教した宣教者たちは「世の希望」です。彼らは、キリストの愛が暴力と憎しみよりも強いことをあかししているからです。彼らは殉教を求めたわけではありませんが、福音に忠実にとどまるためにいのちをささげる準備ができていました。キリスト教の殉教は、ただ神と隣人への愛という最高の行いのゆえにのみ正当化されるのです。
 この四旬節の間、わたしたちはしばしば聖母を仰ぎ見ます。聖母は、ナザレで述べた「はい」に、カルワリオ(されこうべの場所)で証印を押したからです。御父の愛のあかしであるイエスと一つに結ばれながら、マリアは魂の殉教を生きました。信頼をもってマリアの執り成しを祈り求めようではありませんか。どうか教会がその使命を忠実に果たし、全世界に対して神の愛を勇気をもってあかしすることができますように。

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