教皇ベネディクト十六世の89回目の一般謁見演説 リヨンの聖イレネオ

2007年3月28日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の89回目の一般謁見が行われました。 この謁見の中で、教皇は、2006年3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会 […]

2007年3月28日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の89回目の一般謁見が行われました。
この謁見の中で、教皇は、2006年3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の36回目として、「リヨンの聖イレネオ」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
謁見には約20,000人の信者が参加しました。

次の日曜の4月1日から聖週間が始まります。3月27日(火)、教皇庁広報部はバチカンにおける聖週間の典礼の予定を発表しました。
4月1日(日)午前9時30分(日本時間同日午後4時30分)からサンピエトロ広場で、受難の主日と第22回「世界青年の日」のミサが教皇の司式で行われます。今年の「世界青年の日」のテーマは「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13・34)です。
4月2日(月)午後5時30分(日本時間4月3日午前0時30分)からサンピエトロ広場で、教皇の司式により教皇ヨハネ・パウロ二世の2回目の命日祭ミサが行われます。
過越の聖なる三日間の典礼の予定は次の通りです。
4月5日(木)午前9時30分(日本時間同日午後4時30分)からサンピエトロ大聖堂で、聖香油のミサが、午後5時30分(日本時間4月6日午前0時30分)からサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂で、主の晩さんのミサが、いずれも教皇の司式で行われます。
4月6日(金)午後5時(日本時間4月7日午前0時)からサンピエトロ大聖堂で、聖金曜日の主の受難の典礼(ことばの典礼、十字架の礼拝、交わりの儀)が、教皇の司式で行われます。同日午後9時15分(日本時間4月7日午前4時15分)からコロッセオで、十字架の道行が教皇の司式で行われます。
復活の主日の復活徹夜祭は、4月7日(土)午後10時(日本時間4月8日午前5時)からサンピエトロ大聖堂で、教皇の司式で行われます。日中のミサは、4月8日(日)午前10時30分(日本時間同日午後5時30分)からサンピエトロ大聖堂で、教皇の司式で行われます。その後、サンピエトロ大聖堂バルコニーから、教皇の復活祭メッセージ(ローマと全世界へ〔ウルビ・エト・オルビ〕)が発表されます。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 最初の数世紀の教会の偉大な人物に関する連続講話をしています。今日わたしたちは、リヨンの聖イレネオという傑出した人物を取り上げます。イレネオの生涯に関する情報は、イレネオ自身の証言に基づきます。この証言はエウセビオスの『教会史』第5巻により伝えられたものです。イレネオはおそらくスミルナ(現在のトルコのイズミル)で135-140年頃生まれました。彼はこのスミルナで幼少のときから司教ポリュカルポスの学校に入りました。ポリュカルポスは使徒ヨハネの弟子です。イレネオがいつ小アジアからガリアに移ったかはわかりませんが、イレネオがガリアに移ったのは、ちょうどリヨンのキリスト教共同体が最初の発展を始めたときと思われます。このリヨンで177年にイレネオは司祭団の一人に数えられています。この年、イレネオは、リヨンの共同体の手紙を教皇エレウテリオに運ぶためにローマに派遣されます。ローマに派遣されたおかげでイレネオはマルクス・アウレリウスの迫害を免れます。この迫害で少なくとも48名が殉教しました。その中にはリヨンの司教自身も含まれていました。90歳のリヨンの司教ポティヌスは獄中での暴行により死亡したのでした。そこで、ローマから戻ると、イレネオはリヨンの町の司教に選ばれました。新しい牧者は全身全霊で司教職に献身しました。イレネオの司教職はおそらく殉教によって202-203年頃終わります。
 イレネオは何よりも信仰の人であり、司牧者でした。よい牧者であるかたと同じく、イレネオは釣り合いのとれた感覚と、豊かな学識と、熱心な宣教精神を具えていました。著作家としてのイレネオは二つの目的を目指しました。すなわち、異端の攻撃から真の教えを守ること、そして、信仰の真理をわかりやすく説明することです。現存するイレネオの二つの著作はまさにこの目的と対応しています。すなわち、『異端反駁』5巻と、『使徒たちの使信の説明』(この著作は最古の「キリスト教の教えについてのカテキズム」と呼ぶこともできます)です。イレネオが異端との戦いの勝利者であることは間違いありません。2世紀の教会はいわゆる「グノーシス主義」の脅威にさらされていました。この「グノーシス主義」の教えが主張するところによれば、教会の教えは、難しいことを理解する力のない単純な人びとのための象徴的な表現にすぎません。これに対して、秘儀伝授を受けた覚知者(彼らは自分たちのことを「グノースティコス」と呼びました)は、この象徴的な表現の後ろにあることを理解できます。こうして彼らは選ばれた覚知者のキリスト教を造り上げました。当然のことながら、この覚知者のキリスト教はさらにさまざまな思潮へと分裂していきました。こうした思潮はしばしば奇怪で風変わりなものでしたが、多くの人を引きつけました。これらのさまざまな思潮の共通点は、二元論でした。すなわち彼らは、人類と世界の創造主にして救い主、万物の父である唯一の神への信仰を否定しました。世界の中の悪を説明するために、彼らは、善なる神だけでなく、否定的な原理が存在すると主張しました。この否定的な原理が物質的な存在と質料を造り出します。
 イレネオは、創造に関する聖書の教えにしっかりと根ざしながら、この二元論と、肉体的存在者に価値を認めないグノーシス主義の悲観主義に反駁しました。イレネオは、霊だけでなく、物質、身体、肉体が本来聖なるものであることをはっきりと主張しました。しかし、イレネオの著作は異端の反駁以上のことを行います。実際、わたしたちはイレネオを教会の最初の大神学者ということができます。彼は組織神学を創始したからです。イレネオ自身、神学の組織、すなわち信仰の内的な一貫性について述べています。イレネオの教えの中心にあるのは、「信仰の基準」とその伝達という問題です。イレネオにとって、「信仰の基準」は、事実上、「使徒信条」と同じです。そしてこの「信仰の基準」は、福音を解釈し、福音の光のもとに信条を解釈するための鍵をわたしたちに与えます。いわば福音の要約である使徒信条は、福音が何をいおうとしており、わたしたちがどのように福音を読むべきかを理解する助けとなるのです。
 実際、聖イレネオによって宣べ伝えられた福音は、スミルナの司教ポリュカルポスからイレネオが受けた福音です。そして、ポリュカルポスの福音は使徒ヨハネにさかのぼります。ポリュカルポスは使徒ヨハネの弟子だからです。ですから、真の教えは、教会の単純な信仰を超えて、覚知者たちによって造り出されたものではありません。真の福音は、司教たちによって伝えられた福音です。司教たちはこの福音を、途切れることのない連鎖を通じて使徒から与えられたからです。使徒たちが教えたのは、単純な信仰以外の何ものでもありません。そしてこの単純な信仰が、真に深い意味で神の啓示にほかならないのです。イレネオはいいます。教会の共通の信条の後ろに隠された教えなど存在しません。覚知者のための優れたキリスト教も存在しません。教会によって公に告白された信仰こそが、すべての人にとっての共通の信仰です。この信仰のみが使徒的です。それは使徒から、すなわちイエスと神から来るものだからです。使徒たちがその後継者に公に伝えたこの信仰と一致するために、キリスト信者は司教のいうことを守らなければなりません。特に、優れた最古の教会である、ローマ教会の教えを重んじなければなりません。このローマ教会は、その古さのゆえに最大の使徒性を有します。実際、その起源は、使徒団の柱であるペトロとパウロに由来します。全教会はローマ教会と一致しなければなりません。そして、ローマ教会の内に、真の使徒伝承と教会の唯一の共通な信仰の基準を認めなければなりません。とても簡単に要約しましたが、このような議論を通じて、イレネオはグノーシス主義者すなわち覚知者たちの主張の根拠を論駁しました。第一に、グノーシス主義者は、彼らがいうところの、共通の信仰の真理よりも優れた真理などもっていません。彼らの述べることは使徒に由来せず、彼らが考え出したものだからです。第二に、真理と救いは、少数の人が特権的に独占するものではなく、使徒の後継者の宣教を通じて、何よりもローマの司教の宣教を通じて、すべての人が獲得可能なものです。とりわけイレネオは、グノーシス主義の伝統における「秘教的」な性格をたえず論駁し、また彼らのさまざまな内的矛盾を指摘しました。こうしてイレネオは、使徒伝承の真の意味を説明しようと努めました。わたしたちはそれを次の三つの点にまとめることができます。
 (一)使徒伝承は、私的なものでも、秘密のものでもなく、「公」です。イレネオにとって、教会によって伝えられた信仰の内容が、使徒と神の子イエスから与えられたものであることは明らかでした。これ以外の教えはありません。ですから、真の教えを知りたければ、「使徒たち以来の伝承と、人びとに告げ知らされた信仰」を知るだけで十分です。この伝承と信仰は「司教の継承によりわたしたちにまでたどりついている」(『異端反駁』:Adversus haereses 3, 3, 4〔小林稔訳、『キリスト教教父著作集3/Ⅰ エイレナイオス3』教文館、1999年、10-11頁〕)のです。こうして、人間の原理である司教の継承と、教えの原理である使徒伝承は一致します。
 (二)使徒伝承は「唯一」です。グノーシス主義が多くの分派に分かれたのに対して、教会の聖伝は根本的な内容において唯一です。すでに明らかにした通り、イレネオはこの根本的な内容を「信仰の基準」(regula fidei)ないし「真理の基準」(regula veritatis)と呼びました。この基準は、それが唯一であるがゆえに、人びとの間に、すなわち、さまざまな文化、さまざまな民族の間に一致を生み出します。ことばや文化の違いがあっても、それは真理と同じく、共通の内容なのです。『異端反駁』の中で、聖イレネオは美しい表現を用いて次のように述べます。「教会は、全世界に広がっていても、一つの家に住んでいるかのように、注意深く(使徒の信仰を)守る。ただ一つの魂、同じ一つの心をもっているかのように、この真理を信じる。ただ一つの口をもっているかのように、完全に一致しながら、この真理を告げ知らせ、教え、伝える。世界のことばが違っても、伝承の力は唯一、同じである。ゲルマニアに創立された教会が、違う信仰を受けるわけでも、伝えるわけでもない。イスパニア、ガリア人や東方の民の間、エジプト、リビアに創立された教会でも、世界の中心の地域に創立された教会でも、同じである」(『異端反駁』:Adversus haereses 1, 10, 1-2)。わたしたちはすでにこの時代(200年という時代)に、教会の普遍性を――すなわち、教会のカトリック性と、その真理において一致をもたらす力を見いだします。この力が、ゲルマニアからイスパニア、イタリア、エジプト、リビアに至るまでのさまざまな地域を、キリストによってわたしたちに示された共通の真理において一致させるのです。
 (三)最後に、使徒伝承は――イレネオが著作を書いた言語のギリシア語でいうと――「霊的」(プネウマティコス)です。「霊的」とは聖霊に導かれているということです。ギリシア語で「霊」は「プネウマ」といいます。実際、使徒伝承における伝達は、ある程度学識のある人の能力に委ねられるのではなく、神の霊に委ねられます。神の霊は信仰が忠実に伝えられることを保証するからです。これこそが教会の「いのち」です。それは、教会に常に生気と若々しさを与え、多くのカリスマによって教会を豊かにします。イレネオにとって、教会と聖霊は切り離すことができません。『異端反駁』第3巻で述べられるように、「(この信仰)をわたしたちは教会から受けて守っている。そして(この信仰は)よきつぼの中にある特別優れた委託品のようなもので、神の霊のおかげで常に新たになり、自分を入れている器をも新たにしている。・・・・教会のあるところには神の霊もあり、神の霊のあるところには教会とすべての恵みがあるからである」(『異端反駁』:Adversus haereses 3, 24, 1〔前掲邦訳、124頁〕)。
 おわかりのように、イレネオは聖伝の意味を定義しただけではありません。イレネオにおける伝承、すなわち途切れることのない聖伝は、伝統主義ではありません。イレネオにおける聖伝は、聖霊によって絶えず内的に生かされるからです。聖霊は聖伝を新たに生かし、聖伝が教会の生命力によって解釈され、理解されることを可能にします。イレネオの教えによれば、教会の信仰は、「公」かつ「唯一」かつ「霊的」(プネウマティコス)となるようなしかたで伝えられなければなりません。この三つの性格から、わたしたちは「現代」の教会において真の意味で信仰を伝達することに関して、実り豊かな識別を引き出すことができます。もっと一般的にいうなら、イレネオの教えにおいて、身体と霊魂を含めた人間の尊厳は、神の創造と、キリストの像と、聖霊の変わることのない聖化のわざとに、しっかりと根を下ろしています。このようなイレネオの教えは、すべての善意の人びとに価値ある対話の目的と限界を示すとともに、教会の宣教活動と、真理の力とにさらなる刺激を与えるための、いわば「王道」といえます。この真理の力こそが、世界のあらゆる真の価値観の源泉だからです。

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