教皇ベネディクト十六世の97回目の一般謁見演説 聖チプリアノ

6月6日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の97回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2006年3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」 […]

6月6日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の97回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2006年3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の41回目として、「聖チプリアノ」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、エフェソの信徒への手紙4章1-6節が朗読されました。謁見には40,000人の信者が参加しました。

演説の後、最後にイタリア語で行われたイタリアの巡礼者への祝福の中で、教皇はまず、6月6日から8日までドイツ・ハイリゲンダムで開催される主要国首脳会議(ハイリゲンダム・サミット)に向けた呼びかけを行いました。呼びかけの全文は以下の通りです。
 「今日から、ドイツ連邦共和国首相のもと、ドイツのハイリゲンダムで、毎年開催されるG8――すなわち、世界の先進七カ国とロシア連邦――政府首脳会議が始まります。12月16日にわたしはアンゲラ・メルケル首相に手紙を送りました。そこでわたしは、カトリック教会を代表して、特にアフリカとの関連で世界の貧困というテーマをG8の議題として堅持する決定をしてくださったことを感謝しました。メルケル首相は2月2日に返書をくださり、ミレニアム開発目標達成に向けてG8が努力することを約束してくださいました。ここでわたしはハイリゲンダムに集まる指導者の皆様にあらためて呼びかけを行いたいと思います。どうか特にアフリカ大陸における最貧困国の人びとのための開発援助を実質的に増やすという約束を破らないでください。
  このことに関連して、二つ目のミレニアム目標に特に注目すべきです。すなわち、『2015年までにすべての地域の児童が、男子も女子も同様に、初等教育課程を完全に修了できるようにすること』です。これは他のすべてのミレニアム目標達成のための不可欠な部分となるものです。これこそが、すでに達成した目標を強化するための保証です。これこそが、自律的かつ持続可能な開発の過程の出発点です。
  カトリック教会が常に教育の分野の前線にいたことを忘れてはなりません。カトリック教会は、特に最貧国の、国家機構の力がしばしば及ばないような地域で働いているからです。他のキリスト教会、宗教団体、民間団体もこうした教育事業にともに携わっています。補助性の原理に従って、政府や国際機関は何よりも十分な財政支援を通じて、このような活動を認め、評価し、支援すべきです。それは、ミレニアム開発目標の達成をより効果的に保証するためです。わたしはこの目標実現のために真剣な取り組みがなされることを望みます」。
なお、教皇のドイツのメルケル首相宛書簡とメルケル首相の返書は4月23日にバチカン広報部から公表されています。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  古代教会の偉大な人物についての連続講話を続けます。今日わたしたちは3世紀の優れたアフリカの司教、聖チプリアノ(Thascius Caecilius Cyprianus 200/210-258年)を取り上げます。チプリアノは「殉教の栄冠を得た最初のアフリカの司教」です。チプリアノの最初の伝記作者である助祭ポンティウスの証言によれば、チプリアノの名声は、その回心から殉教までの13年間の著述と司牧活動と結びついています(ポンティウス『キュプリアヌス伝』:Pontius, Vita Caecilii Cypriani 19, 1; 1, 1参照)。チプリアノはカルタゴの裕福な異教徒の家庭に生まれました。放埓(ほうらつ)な青年時代を過ごした後、35歳のときキリスト教に回心しました。チプリアノ自身が自分の霊的な旅路を次のように述べています。これは洗礼から数か月後に書かれたものです。「わたしはかつて・・・・闇夜の中をさまよっていたとき、・・・・わたしの救いのために神のあわれみが約束されているなどということは、むずかしくて厄介なことに思われました。・・・・というのも、わたし自身、以前の生活の多くの誤りに混乱しながらつながれ、そこから逃れることができるとは信じなかったからです。そのようにわたしはこびりついてしまった悪徳に身をゆだねてしまい、・・・・自分の悪癖を・・・・寵遇してきました。しかし、生命を授ける水の助けによって、以前の生活の汚れは洗い流され、あがなわれ清められた心には上から光が注がれました。・・・・第二の誕生がわたしを新しい人に変えてからは、不思議な方法で、疑っていたことはたちまち確実なものと・・・・なったのです。つまり、肉に生まれ、罪の奴隷として生きていた者は、地上的、現世的なものであったことを(悟り)、そしてまた今や聖霊によって生かされた者は、神のものとなり始めたことも悟ったのです」(『ドナトゥスに送る』:Ad Donatum 3-4〔吉田聖訳、「ドナートゥスに送る」『南山神学』第24号、2000年、187-189頁〕)。
  回心後すぐにチプリアノは――嫉妬や抵抗があったとはいえ――司祭、次いで司教に選任されました。短い司教職の間に、チプリアノは、皇帝の命令に基づく最初の二回の迫害に遭いました。すなわち、デキウス帝の迫害(250年)とウァレリアヌス帝の迫害です(257-258年)です。デキウス帝の特別に厳しい迫害の後、司教チプリアノはキリスト教共同体の規律の回復のために尽力しなければなりませんでした。実際、多くの信者が背教するか、いずれにせよ適切なしかたで試練に対応しなかったからです。これらの人びとがいわゆる「背教者(lapsi)」です。「背教者」たちは共同体に復帰することを熱心に願いました。「背教者」の復帰をめぐる論争により、カルタゴのキリスト信者は寛容派と厳格派とに分裂しました。この問題に加えて、ペストの大流行が起こりました。ペストはアフリカを混乱させるとともに、教会共同体内でも、異教徒に対しても、苦悩に満ちた神学的な問いを生み出しました。最後に、チプリアノとローマ司教ステファヌスの間の論争のことも思い起こさなければなりません。この論争は、キリスト教の異端者によって異教徒に授けられた洗礼の有効性をめぐって行われたものです。
  このようなまことに困難な状況の中で、チプリアノは優れた統治のたまものを示しました。チプリアノは「背教者」に対して厳格でしたが、柔軟さを欠いてはいませんでした。彼は、模範的なつぐないを果たせばゆるされる可能性を「背教者」に与えました。彼はローマに対しては、アフリカ教会の健全な伝統を固く守りました。彼は人間性に満ち、真実の意味での豊かな福音的精神をもっていました。だから彼は、ペスト流行の際、異教徒を兄弟愛をもって助けるようキリスト信者を促したのです。彼は信者に対して公正で釣り合いのとれた態度で、地上の生命と財産を失うことをあまりにも恐れるキリスト信者にこう思い起こさせました。彼らにとって、真の意味でのいのち、真の意味での財産は、この世のいのちでもこの世の富でもないのだと。チプリアノは断固として道徳的生活を破壊する腐敗や罪、特に貪欲と戦いました。助祭ポンティウスは述べます。「こうした日々を送るうちに、総督の命令で兵士が突然彼の居宅にやって来た」(ポンティウス『キュプリアヌス伝』:Pontius, Vita Caecilii Cypriani 15, 1)。その日、司教チプリアノは逮捕され、簡単な尋問を受けた後、自分の民の中で勇気をもって殉教しました。
  チプリアノは多くの論考と書簡を著しましたが、それらは常に彼の司牧的奉仕職と関わるものです。チプリアノは神学的な思弁的考察はあまり行いません。著述の目的は、何よりもまず共同体の教育と、信者をよいわざへと導くことでした。実際、チプリアノは教会をテーマとして特に好んで取り上げました。チプリアノは、位階的な「目に見える教会」と、神秘的な「目に見えない教会」を区別します。しかし彼は、教会が唯一で、ペトロの上に基盤を置くことを強く主張します。チプリアノはうむことなく繰り返して述べます。「教会がその上に建てられたペトロの座を放棄する人が、どうして依然として自分は教会の中にいると確信するのでしょうか」(『カトリック教会の一致について』:De ecclesiae catholicae unitate 4〔吉田聖訳、『南山神学』第9号、1986年、103頁〕)。「教会の外に救いはない」(『書簡集』:Epistula 4, 4; 73, 21)。また、「教会を母としてもたない者は、神を父としてもつことができない」(『カトリック教会の一致について』:De ecclesiae catholicae unitate 6〔吉田聖訳、上智大学中世思想研究所編訳・監修『中世思想原典集成4 初期ラテン教父』平凡社、1999年、190頁〕)。チプリアノはこのことをよく知っており、またそれを強いことばで述べました。教会の譲ることのできない特徴は一致です。この一致は、縫い目のないキリストの衣服によって象徴的なしかたで表されます(同:ibid. 7)。チプリアノがいう通り、この一致はペトロを基盤とし(同:ibid. 4)、聖体において完全に実現します(『書簡集』:Epistula 63, 13)。チプリアノは勧告します。「神は唯一、キリストはただ一人、教会も信仰もただ一つである。その民は『和合の膠(にかわ)』によって、堅固な単一体として結ばれた一つの民なのである。この一致は裂かれることもなく、この一つのからだの継ぎ目は力ずくで分離させられることもない」(『カトリック教会の一致について』:De ecclesiae catholicae unitate 23〔吉田聖訳、上智大学中世思想研究所編訳・監修『中世思想原典集成4 初期ラテン教父』平凡社、1999年、206頁〕)。
  チプリアノの教会に関する思想についてお話ししましたが、最後にチプリアノの祈りについての教えに触れないわけにはいきません。わたしはチプリアノの「主の祈り」についての著作がとても好きです。この著作は、わたしが「主の祈り」をもっとよく理解し、もっとよく唱えられるように助けてくれるからです。チプリアノは、「主の祈り」の中で祈りの正しい方法がキリスト信者に示されていると教えます。そして、チプリアノは、「主の祈り」が「わたしたちの」と唱えられることを強調します。チプリアノが述べるように、それは、「人びとが祈るとき、・・・・自分のためだけに祈ったり」しないためです。「われわれの祈りは公のものであり、共同のものである。祈るときは、ただ個人のために祈るのではなく、民全体は一つなのだから、民全体のために祈るのである」(『主の祈りについて』:De dominica oratione 8〔吉田聖訳、上智大学中世思想研究所編訳・監修『中世思想原典集成4 初期ラテン教父』平凡社、1999年、151頁〕)。こうして個人の祈りと典礼の祈りは互いにしっかりと結び合わされたものであることが示されます。この二つの祈りの一致は、それらがともに同じ神のことばにこたえるものだということに基づきます。キリスト信者は、自分の部屋で密かに祈るときにも、「わたしの父よ」ではなく、「わたしたちの父よ」と唱えます。なぜなら、キリスト信者は、どのような所にいても、どのような時でも、自分が同じ一つのからだに属する者であることを知っているからです。
  カルタゴの司教チプリアノはいいます。「愛する兄弟たちよ。だから、師である神が教えられた通りに祈ろうではないか。神自らのことばによって神に懇願することは、すなわち、キリストの祈りが神の耳に届くことであり、さらにまた愛と親しみを込めた祈りなのである。われわれが祈りをささげるとき、父が子のことばを認めてくださるように。われわれの心に住まわれる主が、われわれの声にも現存されるように。・・・・しかし、祈るときには、ことばも願い方も、規律正しく、穏やかに、慎み深いものでなければならない。神の眼前に立っているのだ、と考えるようにしよう。姿勢も声の調子も、神の目を喜ばせるように。・・・・また、われわれが兄弟として一つ所に集まって、神の司祭とともに神にいけにえをささげる(聖体祭儀の)ときにも、慎み深く、規律正しくするように心がけなければならない。落ち着きのない声で、祈りを撒き散らしてはならない。慎み深く神にささげるべき願いを、仰々しい饒舌(じょうぜつ)をもって、神に投げつけたりしてはならない。神は声だけでなく、心を聞くかたであり、また人の思いを見通すかたである(non vocis sed cordis auditor est)」(同:ibid. 3-4〔前掲吉田聖訳、147-149頁〕)。このことばは今日にも当てはまります。そして、わたしたちが聖なる典礼をふさわしくささげるための助けとなります。
  それゆえ、チプリアノは、祈るための特別な場所を「心」に見いだす、豊かな神学的・霊的伝統の起源に位置しています。実際、聖書と教父によれば、心は、人間の奥深くにある、神が住まわれる場所です。この心で、出会いが行われます。すなわち、神は人に語りかけ、人は神のことばに耳を傾けます。人は神に語りかけ、神は人のことばに耳を傾けます。これらすべてのことは、唯一の神のことばを通して行われます。まさにこのような意味で、チプリアノのことばを反映しながら、スマラグドゥス(9世紀初頭のサン・ミイェル修道院の修道院長)はいいます。祈りとは「心のわざであって、口のわざではありません。なぜなら、神はことばをご覧になるのではなく、祈る人の心をご覧になるからです」(スマラグドゥス『修道者の王冠』:Smaragdus, Diadema monachorum 1)。
  親愛なる皆様。聖書(列王記上3・9)や教父がいっている、このような「聞き分ける心」をもとうではありませんか。どれほどわたしたちはこの「聞き分ける心」をもつことを必要としていることでしょうか。「聞き分ける心」をもつことによって初めて、わたしたちは神がわたしたちの父であり、キリストの聖なる花嫁である教会が真の意味でわたしたちの母であることを完全に知ることができるのです。

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