教皇ベネディクト十六世の2007年6月10日の「お告げの祈り」のことば キリストの聖体の祭日にあたって

教皇ベネディクト十六世は、キリストの聖体の主日である6月10日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です( […]

教皇ベネディクト十六世は、キリストの聖体の主日である6月10日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行いました。
「残念なことに、わたしは、さまざまな理由で、また世界のさまざまな地域で誘拐された人びと――その中にはカトリック司祭も含まれます――を気遣ってほしいという要請をしばしば受けています。わたしはこれらすべての人を心にとめます。わたしはこれらすべての人を祈りの中で思い起こします。中でもわたしはコロンビアの悲惨な状況のことを考えています。わたしはこの憎むべき誘拐行為を行った人びとに向けて悲しみに満ちた呼びかけを行います。どうか自分が悪行を行ったことを自覚し、拘禁している人びとを、心から彼らを愛する人びとのもとへ一刻も早く戻してください。わたしは誘拐の犠牲者を、すべての人の母である至聖なるマリアの母としての保護にゆだねます」。
コロンビアではコロンビア革命軍(FARC)により多くの人が誘拐されています。現在誘拐されている人の中には、2003年以来誘拐されている3名のアメリカ人や、2002年2月に誘拐された前コロンビア大統領候補のイングリッド・ベタンクール氏(45歳)も含まれます。
フィリピン南部のパヤオでも10日、イタリア人宣教司祭のジャンカルロ・ボッシ神父(57歳)がミサをささげた直後に誘拐されています。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  今日はキリストの聖体の祭日です。バチカンと他の国ではキリストの聖体の祭日をすでに先週の木曜日に祝いました。キリストの聖体の祭日は、わたしたちに、至聖なる聖体という、自分たちの信仰の偉大な神秘を観想するように促します。聖体とは、祭壇の秘跡の内に主イエス・キリストが現実に現存されることです。司祭は聖体のいけにえをささげるたびに、聖別の祈りの中で繰り返してこう唱えます。「これはわたしのからだである。・・・・これはわたしの血である」。このとき司祭は自分の声と手と心をキリストにささげます。キリストは、脈打つ教会の心臓として、わたしたちとともにとどまることを望まれたからです。けれども、聖なる神秘を祝った後も、主イエスは聖櫃の中にとどまって生き続けます。だからイエスは特に「聖体礼拝」によって賛美されるのです。わたしが最近出したシノドス後の使徒的勧告『愛の秘跡』(66-69)で述べようとした通りです。それどころか、感謝の祭儀と聖体礼拝の間には本質的なつながりがあります。実際、聖なるミサはそれ自身、教会の偉大な礼拝行為です。聖アウグスチヌスはいいます。「誰もまず礼拝することなしにこの肉を食べてはなりません」(『詩編講解』[Enarrationes in Psalmos 98, 9: CCL XXXIX, 1385])。ミサ以外のときの聖体礼拝は、感謝の祭儀で行われることを延長し、かつ深めます。そして、真に深い意味でキリストを受け入れることを可能にします。
  さらに今日、すべてのキリスト教共同体では聖体行列が行われます。聖体行列は聖体を公に礼拝するためのかけがえのない形です。聖体行列は民間信心のさまざまなすばらしい伝統的表現によって豊かにされています。わたしは今日の祭日が与えてくれたこの機会を用いて、司牧者とすべての信者の皆様に聖体礼拝の実践を強く勧めたいと思います。聖体礼拝に特別なしかたで奉献された奉献生活の会、また運動団体と信心会に感謝したいと思います。彼らはすべての人に、わたしたちの個人の生活の中でも教会生活の中でもキリストが中心となるべきことを思い起こさせてくれるからです。わたしは多くの若者が、個人としてまた共同体として聖体礼拝を行うことのすばらしさを見いだしておられるのを見て、うれしく思います。わたしは司祭の皆様にお願いします。若者のグループに聖体礼拝を行うことを勧めてください。また、彼らとともに聖体礼拝を行ってください。それは、共同で行う聖体礼拝が、沈黙と、神のことばに耳を傾ける十分な時間をとりながら、常に適切でふさわしいしかたで行われるためです。しばしば喧騒に満ちた現代の生活の中で、内的な沈黙と精神の集中の力を取り戻すことがますます重要になっています。聖体礼拝を行うことによって、人は、自分の「わたし」の中においてだけでなく、イエス・キリストという、ともにいてくださる愛に満ちた「あなた」とともにこの力を取り戻せるようになります。イエス・キリストは「わたしたちの近くにいてくださる神」だからです。
  聖体に生かされた女性であるおとめマリアが、まことの礼拝の秘密へとわたしたちを導いてくださいますように。謙遜で単純なマリアの心は、常にイエスの神秘を思いめぐらしました。マリアはイエスの内に、神の現存と、あがないをもたらす神の愛とを礼拝しました。マリアの執り成しによって、全教会で聖体の神秘への信仰と、特に主日に聖なるミサにあずかる喜びと、キリストの限りない愛をあかししたいという強い望みが増し加わりますように。

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