教皇ベネディクト十六世の2007年8月5日の「お告げの祈り」のことば 地上の富と天の宝

教皇ベネディクト十六世は、年間第18主日の8月5日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  今日の年間第18主日に、神のことばは、わたしたちと物質的な財の関係がどうあるべきかについて考えさせます(ルカ12・13-21参照)。たしかに富はそれ自体としてよいものですが、絶対的な善とみなすべきものではありません。何よりもまず、富は救いの保証となりません。それどころか、深刻な意味で救いを危うくすることもあります。このような危険のゆえに、今日の福音の箇所で、イエスは弟子たちに注意します。この世の富に執着しないことは、知恵であり美徳です。すべては過ぎ去り、すべては突然終わりになることがあるからです。しかし、わたしたちキリスト信者が絶えず求めなければならない宝は「上にあり」ます。「そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます」。このことを今日、聖パウロはコロサイの信徒への手紙の中で思い起こさせてくれます。聖パウロは続けていいます。わたしたちのいのちは「キリストとともに神の内に隠されているのです」(コロサイ3・1-3参照)。
  明日わたしたちが祝う主の変容の祝日は、「上」すなわち天に目を向けるようわたしたちを招きます。山上でのご変容についての福音書の記事の中で、わたしたちは将来起こることを示すしるしを与えられます。このしるしは、わたしたちに聖人たちの国についてかいま見させます。わたしたちは地上の生涯を終えたとき、この国で、完全、十全かつ決定的なかたちでのキリストの栄光にあずかることができます。そのとき全宇宙は造り変えられ、神の救いの計画がついに完成します。主の変容の祝日は、わたしの敬愛すべき先任者である神のしもべパウロ六世の記念と結ばれています。パウロ六世は1978年に、ここカステル・ガンドルフォでその使命をまっとうし、天の父の家に入るよう招かれました。パウロ六世の記念が、わたしたちにとって、いと高きところを仰ぎ見、パウロ六世が前世紀の困難な時期に行ったように、主と教会に忠実に奉仕することへの招きとなりますように。
  おとめマリアの取り次ぎによって、わたしたちがこの恵みを得ることができますように。今日わたしたちはとくにサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の奉献を記念しながらおとめマリアを思い起こします。よく知られているように、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は、西方教会でマリアをたたえるために建設された最初の大聖堂です。この大聖堂は432年に教皇シクスト三世によって、神の母であるおとめを記念するために再建されました。「神の母マリア」の教義は、前年の431年にエフェソ公会議で荘厳に宣言されたものです。他のいかなる被造物よりもキリストの神秘にあずかったこのおとめが、信仰の道を歩むわたしたちを支えてくださいますように。こうして、今日の典礼がわたしたちを招いているように、「わたしたちが貪欲や利己主義にとらわれることなく、力を尽くして地を支配し、神のみ前にふさわしいことをいつも求めることができますように」(集会祈願参照)。

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