教皇ベネディクト十六世の2007年9月16日の「お告げの祈り」のことば 神の憐れみについて

教皇ベネディクト十六世は、年間第24主日の9月16日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻 […]

教皇ベネディクト十六世は、年間第24主日の9月16日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
「お告げの祈り」の後、イタリア語で行われたあいさつの中で、教皇は、フロンを規制する「モントリオール議定書」採択20周年にあたって、次のように述べました。
「今日は、オゾン層を破壊する物質に関する『モントリオール議定書』採択20周年を記念する日です。オゾン層を破壊する物質は人間と生態系に深刻な損害を与えます。この20年間、国際社会における政治、科学、経済の模範的な協力のおかげで、現在と将来の世代によい影響を及ぼす重要な成果が得られました。わたしは、すべての人が、共通善と発展と被造物の保護の推進のために協力を強めることを望みます。そのために人間と環境のつながりを強固なものにしてください。人間と環境のつながりは、創造主である神の愛の鏡とならなければなりません。わたしたちは神から生まれ、神に向かって歩むからです」。
1985年3月22日に「オゾン層の保護のためのウィーン条約」が採択されたのに続き、1987年9月16日に「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」が採択されました。今週9月17日(月)からカナダのモントリオールで、「モントリオール議定書」の締約国会合が開催され、代替フロンの規制強化が議論されます。「モントリオール議定書」には2007年8月6日現在、世界191か国が加入しています。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日、典礼はわたしたちの黙想のために再びルカによる福音書15章を示します。ルカによる福音書15章は、聖書全体の中でもっとも崇高かつ感動的な箇所です。神は憐れみ深い愛です。なんとすばらしいことでしょう。全世界のあらゆるところでキリスト教共同体が主日の感謝の祭儀を行うために集まり、そこで今日、この真理と救いの福音が響き渡っています。福音書記者ルカはこの章の中に、神の憐れみに関する3つのたとえ話をまとめます。マタイとマルコにもある短い2つのたとえ話は、見失った羊と、なくした銀貨の話です。ルカだけにある長く詳細な3つ目のたとえ話は、憐れみ深い父に関する有名な話です。これは普通、「放蕩息子」のたとえ話と呼ばれます。この福音書の箇所で、わたしたちはイエスの声を聞いているかのように思われます。イエスは、ご自分の父であり、わたしたちの父であるかたのみ顔をわたしたちに示すからです。つまるところ、イエスは、このことのために世に来られました。すなわち、イエスはわたしたちに御父について語ります。見失った子であるわたしたちに御父を知らせます。わたしたちの心に、わたしたちが御父のものである喜びと、ゆるされて、わたしたちの完全な尊厳を回復される希望と、御父の家にとこしえに住む望みを呼び覚まします。御父の家はわたしたちの家でもあるからです。
 イエスが3つの憐れみのたとえ話を語ったのは、ファリサイ派の人々や律法学者たちが、イエスが罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしているのを見て、イエスに不平を述べたからです(ルカ15・1-3参照)。そこでイエスは、イエス特有のことばで次のことを説明されます。神はご自分の子のただ一人が失われることも望まれません。そして、罪人が悔い改めるとき、神の心には喜びがあふれるのだと。それゆえ真の宗教とは、この「憐れみ深い」神のみ心と心を合わせることにほかなりません。神のみ心はわたしたちに、わたしたちから離れた人も、敵も含めて、すべての人を愛することを求めます。そのためわたしたちは天の父に倣わなければなりません。天の父はすべての人の自由を尊び、ご自身の忠実さに基づくあらがうことのできない力によって、すべての人をご自身へと引き寄せます。イエスの弟子となることを望む人々にイエスが示す道とはこれです。「人を裁くな。・・・・人を罪人だと決めるな。・・・・ゆるしなさい。そうすれば、あなたがたもゆるされる。与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられる。・・・・あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(ルカ6・36-38)。わたしたちはこのたとえ話の中に、わたしたち信者の日々の行動に関する具体的な指示を見いだします。
 現代にあって人類は、神の憐れみが力強く告げ知らされ、あかしされることを必要としています。神の憐れみの偉大な使徒であった敬愛すべきヨハネ・パウロ二世は、予言的なしかたでこれが司牧的な急務であることを洞察していました。ヨハネ・パウロ二世は2番目の回勅で憐れみ深い父について書きました。そして教皇職全体を通じてすべての国民に対する神の愛の宣教者となりました。第3千年期の初めを暗い影で覆った2001年9月11日の悲惨な出来事の後、ヨハネ・パウロ二世は、神の憐れみはいかなる悪よりも強く、キリストの十字架のうちにのみ世の救いが見いだされることを信じるように、キリスト者と善意の人々を招きました。わたしたちは昨日、十字架の下に立つ悲しみの聖母を仰ぎ見ました。憐れみの母であるおとめマリアの執り成しによって、わたしたちが神の愛にいつも信頼する恵みを与えられますように。そして、マリアの助けによってわたしたちが、天におられるわたしたちの父と同じように憐れみ深い者となることができますように。

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