教皇ベネディクト十六世の111回目の一般謁見演説 ポワティエの聖ヒラリオ

10月10日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の111回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2006年3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の […]

10月10日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の111回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2006年3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の54回目(2007年3月7日から開始した教父に関する講話の22回目)として、「ポワティエの聖ヒラリオ」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、コリントの信徒ヘの手紙一8章4-6節が朗読されました。謁見には23,000人の信者が参加しました。
演説の後、最後にイタリア語で行われたイタリア人の巡礼者に対するあいさつの中で、教皇は10月8日(月)から14日(日)までイタリアのラヴェンナで開催された「第10回国際カトリック-正教会神学的対話のための合同委員会」のために次の呼びかけを行いました。
「この数日間、ラヴェンナで第10回国際カトリック-正教会神学的対話のための合同委員会が開催されています。この委員会は特にエキュメニズムに関わる神学的テーマを議論しています。すなわち、『教会の秘跡的性格が神学的・教会法的にもたらす事柄――教会の交わり、和解、権威』です。わたしとともに祈ってくださるようお願いします。どうかこの重要な会議がカトリックの人々と正教会の人々の完全な交わりに向けた歩みを助け、わたしたちが早く主の同じ杯をともにすることができますように」。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日わたしは西方教会の偉大な教父であるポワティエの聖ヒラリオ(Hilarius Pictaviensis 315頃-367年)についてお話ししたいと思います。聖ヒラリオは4世紀の偉大な司教です。アレイオス派は、神の子は卓越したものではありますが、被造物だと考えました。ヒラリオはこのアレイオス派に反対して、イエス・キリストの神性を擁護するためにその全生涯をささげました。イエス・キリストは神の子であり、父である神はこのかたを永遠の初めから生んだからです。
 ヒラリオの生涯の大部分に関して正確なことは知られていません。古代の資料によれば、ヒラリオはおそらく310年頃ポワティエに生まれました。裕福な家庭の出身のヒラリオは、その著作からよくわかるように、優れた文学教育を受けました。ヒラリオはキリスト教的な環境で育ったようには見えません。ヒラリオ自身、真理を探求した歩みについてわたしたちに語っています。この歩みの結果、ヒラリオは少しずつ、造り主である神と、受肉し、死んでわたしたちに永遠のいのちを与えた神へと導かれました。345年頃洗礼を受け、353-354年頃、生まれた町ポワティエの司教に選ばれました。その後の時期にヒラリオは最初の著作『マタイ福音書注解』([Commentarius] in Matthaeum)を著しました。これはラテン語で書かれた最古の福音書注解です。356年、ヒラリオは司教として南フランスのベジエで開催された教会会議に参加しました。ヒラリオ自身が「偽りの使徒たちの教会会議」と呼んだこの教会会議は、イエス・キリストの神性を否定する、アレイオス派の支持者の司教が支配する中で招集されました。この「偽りの使徒たち」は、皇帝コンスタンティウス(Flavius Julius Constantius II在位337-361年)にポワティエの司教ヒラリオを追放するよう求めました。こうしてヒラリオは356年の夏、ガリアを離れることを余儀なくされました。
 現在のトルコのフリュギアに追放されたヒラリオは、アレイオス派に完全に支配された宗教的状況に触れました。ここでもヒラリオは司牧者としての関心に促され、ニケア公会議が定式化した正しい信仰に基づいて、教会の一致を回復するために懸命に努めました。そのため彼はその最も重要かつ有名な教義的著作である『三位一体論』(De Trinitate)を書き始めました。この『三位一体論』の中でヒラリオは、神を知るに至った自らの歩みを明らかにします。そして、御子の神性と、御子が御父と等しいことは、聖書が新約聖書の中だけでなく旧約聖書の多くの箇所でもはっきりとあかししていることを示そうとします。旧約聖書の中にはすでにキリストの神秘が示されているからです。ヒラリオはアレイオス派に対して父と子の名の真理を主張します。そして、「父と子と聖霊のみ名によって」という、主ご自身がわたしたちに与えた洗礼の定式から出発して、自らの三位一体論の神学を展開します。
 御父と御子は同じ本性をもっています。新約聖書のある箇所は、御子が御父に劣るかのように思わせることがあります。そのため、ヒラリオは人を惑わせる解釈を避けるための正確な規則を示します。すなわち、聖書のある箇所は神としてのイエスについて語り、他の箇所はイエスの人間性を強調します。ある箇所はイエスが御父とともに先在したことを示します。他の箇所はイエスがご自分を低くされ(ケノーシス)、死に至るまで降られたことを考察します。最後に別の箇所は、イエスが復活の栄光に上げられたことを観想します。ヒラリオは追放されている間、『教会会議について』(De synodis)も書きました。この著作の中でヒラリオは、ガリアの司教の兄弟たちのために、信条と4世紀半ば頃東方で開催された教会会議の諸文書を引用し、解説します。聖ヒラリオは極端なアレイオス派に強く反対しながら、御子が御父と本質において「類似する」ことを告白することを受け入れる人々に対しては和解の精神を示しました。もちろんそれは彼らを完全な信仰に導こうとするためでした。完全な信仰によれば、御父と御子は類似しているだけでなく、神性において真に同等だからです。ヒラリオの和解の精神は、優れた神学的な理解力をもって、完全な真理にまだ到達していない人を理解しようとし、そして、御子イエス・キリストのまことの神性に対する完全な信仰に達するように彼らを助けようとしました。このこともヒラリオの特徴であるように思われます。
 360年か361年、ヒラリオはついに追放の地から故郷に帰ることができました。そしてすぐに教会での司牧活動を再開しました。しかしヒラリオの教えの影響はポワティエ以外の地にまで広がりました。360年ないし361年にパリで開かれた教会会議はニケア公会議のことばを再び採用しました。一部の古代の著作家の考えでは、ガリアの司教の間でこのようにアレイオス派に反対する動きが展開したのは大部分、ポワティエの司教ヒラリオの力と柔和さによるものです。信仰の強さと人間関係における柔和さを結び合わせること――まさにこれがヒラリオに与えられた賜物でした。晩年、ヒラリオは『詩編講解』(Tractatus super Psalmos)を著しました。これは58の詩編の解説です。この著作の序文はそこでの解釈の原理を明らかにしています。「詩編で述べられたことを福音の使信に従って理解しなければならないことは間違いありません。預言者の霊がいかなることばで語っているとしても、すべてはわたしたちの主イエス・キリストの到来、すなわちその受肉と受難と神の国と、わたしたちの復活の栄光と力に関する知識を示しているからです」(「詩編の教え」:Instructio Psalmorum 5)。ヒラリオは、すべての詩編のうちにキリストの神秘とそのからだである教会が映し出されていると考えます。ヒラリオはさまざまな機会に聖マルチノ(Martinus Turonensis 336頃〔または316/317〕-397年)と会いました。マルチノはポワティエの近郊に修道院を創立した、後のトゥールの司教です。この修道院は現在も残っています。ヒラリオは367年に没しました。ヒラリオの記念日は1月13日です。1851年、福者ピオ九世(在位1846-1878年)はヒラリオを教会博士と宣言しました。
 ヒラリオの教えの本質を要約するために、わたしはヒラリオの神学的考察の出発点は洗礼に基づく信仰であるといいたいと思います。『三位一体論』の中でヒラリオは述べます。イエスは「父と子と聖霊の名によって洗礼を授けるように命じられた(マタイ28・19参照)。それは、創り主と独り子と贈り物とを告白することによってなされるのである。すべてのものの創り主はひとりである。というのは、すべてのものがそこから創られたところの父なる神はひとりだから。また、すべてのものがそれを通じてあるところのわれらの主、独り子イエス・キリストはひとりである(一コリント8・6参照)。また、すべてのものにおいて贈り物であるところの聖霊はひとりである(エフェソ4・4)。・・・・これほどまでの完成には、何か欠けているものを見いだすことはないのであり、父と子と聖霊のうちにあるものは、その完成のうちにあり、永遠者における無限性、似像における姿、贈り物における効用が見いだされるのである」(『三位一体論』:De Trinitate 2, 1〔出村和彦訳、上智大学中世思想研究所編訳・監修『中世思想原典集成4 初期ラテン教父』平凡社、1999年、475-476頁〕)。完全な愛である父なる神は、その神性をあますところなく子に伝えます。聖ヒラリオの次のことばは特にすばらしいものだと思います。「神は愛されること以外知らない。神は父であること以外を知らない。愛する者はねたみを知らない。父は完全であられる。父の名は妥協を許さない。ある側面では父であり、ある側面ではそうでないというようなことがありえないのだ」(同:ibid. 9, 61)。
 だから子は何を欠くことも何を減らされることもなしに完全に神です。「子は完全な者から生まれた完全な者である。なぜなら、すべてをもつ者が自身のすべてを彼に与えたのであるから」(同:ibid. 2, 8〔前掲出村和彦訳、482頁〕)。神の子であり、人の子であるキリストのうちにのみ、人類は救いを見いだします。キリストは人間の本性をとることにより、すべての人をご自身と一つに結びつけました。「キリストはわたしたちの肉となられた」(『詩編講解』:Tractatus super Psalmos 54, 9)。「キリストはすべての肉の本性をとられた。こうして彼は真のぶどうの木となられた。ご自身がすべての枝の幹となるために」(同:ibid. 51, 16)。だからキリストへの道はすべての人に開かれています。キリストはすべての人をご自分の人間性へと引き寄せるからです。もちろんそのためには一人ひとりの人の回心が常に必要です。「このかたの肉との関わりを通じて、すべての人にとってキリストに近づく道が開かれている。そのためには古い人を脱ぎ捨て(エフェソ4・22参照)、自分をキリストの十字架に釘付けにしなければならない(コロサイ2・14参照)。そのためには以前のわざを捨てて回心しなければならない。それは、洗礼によってキリストとともに葬られ、いのちを仰ぎ見るためである(コロサイ1・12、ローマ6・4参照)」(同:ibid. 91, 9)。
 神に忠実であることが、ヒラリオに与えられた恵みでした。それゆえ聖ヒラリオは『三位一体論』の結びで、洗礼に基づく信仰にいつも忠実であり続けることができるよう願います。考察が祈りに変わり、祈りが考察を導くこと――これが『三位一体論』の特徴の一つです。『三位一体論』は全体が神との対話です。今日の講話を次の祈りをもって終えたいと思います。この祈りがわたしたちの祈りともなりますように。霊感に満たされてヒラリオは祈ります。「ああ主よ。わたしを生まれ変わらせたしるしの中で告白したことに、いつも忠実であり続けることができるようにしてください。わたしは父と子と聖霊の名によって洗礼を受けたからです。わたしたちの父であるあなたと、御子をともにあがめることができますように。わたしをあなたの聖霊にふさわしい者としてください。聖霊はあなたの御独り子を通してあなたから出るかただからです。・・・・アーメン」(『三位一体論』:De Trinitate 12, 57)。

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