教皇ベネディクト十六世の2007年10月14日の「お告げの祈り」のことば 信仰と救い

教皇ベネディクト十六世は、年間第28主日の10月14日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイ […]

教皇ベネディクト十六世は、年間第28主日の10月14日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
「お告げの祈り」の後、最後にイタリア語で行われた祝福の中で、教皇は前日10月13日にイラクで誘拐された2人の司祭の解放を求める次の呼びかけを行いました。
「イラクからは毎日、襲撃と暴力に関する深刻な知らせがもたらされています。それは、イラクの善とイラク地域の平和を心にかける人々の良心を揺さぶります。これらの知らせの中で、今日わたしはシリア・カトリック教会のモスル大司教区に属する2人の司祭が誘拐され、死の危険にさらされていることを知りました。わたしは誘拐を行った人々に呼びかけます。すぐに2人の宗教者を解放してください。わたしは、暴力が対立を解決しないことをあらためて述べるとともに、2人の解放のため、暴力で苦しむ人々のため、また平和のために、主に心から祈りをささげます」。
10月13日(土)、マゼン・イショア神父(35歳)とピウス・アファス神父(60歳)がモスル近郊の教会にミサをささげに向かう途中で誘拐されました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日の主日の福音は、イエスが10人の重い皮膚病を患っている人をいやす姿を示します。10人の中の1人のサマリア人、すなわち異邦人が戻ってきて感謝します(ルカ17・11-19参照)。主はこの人に向かっていいます。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」(ルカ17・19)。この福音の箇所は2つのことを考察するようにわたしたちを招きます。まず何よりも、それはいやしの2つの段階について考えさせます。1つはより表面的な、からだのいやしです。もう1つは、より深く、人格の奥底に触れるいやしです。この人格の奥底を聖書は「心」と呼びます。この「心」から全存在が現れます。完全で根本的ないやしが「救い」です。普通のことばの上での「健康」と「救い」の区別から、わたしたちは救いが健康にはるかに勝るものであることを理解できます。実際、救いは、新しく、完全で、決定的ないのちです。さらにここでイエスは、他の場合と同じように、「あなたの信仰があなたを救った」という表現を用います。人間を救うのは信仰です。信仰は深い意味での神との関係、自分自身との関係、人との関係を回復するからです。そして信仰は感謝によって表されます。いやされたサマリア人と同じように、感謝することを知る人は、すべては当然のことではなく、賜物だと考えていることを示します。この賜物は、たとえ人間や自然を通して与えられたものであっても、究極的には神から来るものだからです。それゆえ信仰は、人が主の恵みに心を開くことを求めます。すべては賜物であり、すべては恵みであることを知ることを求めます。「感謝します」という短いことばの中にどれほどの宝が隠されていることでしょうか。
 イエスは10人の重い皮膚病を患っている人をいやしました。当時この病気は「伝染する汚れ」と考えられ、清めの儀式を必要としました(レビ14・1-37参照)。本当に人と社会を歪める重い皮膚病とは、罪です。すなわち、人間の心に無関心と憎しみと暴力を生み出す、傲慢と利己主義です。神は愛です。この神以外の誰も、人類の姿を損なう、この心の重い皮膚病をいやすことはできません。心を神に開くことによって、回心した人は悪から内面においていやされます。
 「悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1・15参照)。イエスは公生活の初めにこういって招きました。この招きは教会の中で響きわたり続けます。さらに至聖なるおとめは、特に最近の出現によってあらためてこの呼びかけを行いました。今日わたしたちは特にファティマのことを思います。ちょうど90年前の5月13日から10月13日まで、ファティマにおいて、おとめはルチア、ジャシンタ、フランシスコの3人の牧童に現れました。わたしはテレビ中継によってファティマの聖母の巡礼所に霊的に赴きたいと思います。巡礼所では国務省長官のタルチジオ・ベルトーネ枢機卿がわたしの代わりにこの重要な90年祭閉会式を司式しました。わたしは、現地におられるベルトーネ枢機卿と他の枢機卿、司教の皆様、巡礼所で活動する司祭の皆様、そしてこの機会に世界中から巡礼所に来られた巡礼者の皆様に心からごあいさつ申し上げます。すべてのキリスト信者に真の回心の恵みが与えられるよう聖母に祈り求めます。こうしてすべてのキリスト信者が福音の永遠の知らせを、変わることのない忠実さをもって告げ知らせ、あかしすることができますように。福音はまことの平和への道を人類に示すからです。

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