教皇ベネディクト十六世の113回目の一般謁見演説 ミラノの司教アンブロジオ

10月24日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の113回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2006年3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の56回目(2007年3月7日から開始した教父に関する講話の24回目)として、「ミラノの司教聖アンブロジオ」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、テモテヘの手紙二4章1-2節が朗読されました。謁見には30,000人以上の信者が参加しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日わたしは司教聖アンブロジオ(Ambrosius Mediolanensis 339頃-397年)についてお話しします。聖アンブロジオは397年4月3日から4日にかけての晩、ミラノで亡くなりました。それは聖土曜日の夜明けでした。前日の午後5時前、アンブロジオは床に横たわりながら、十字架の形に手を広げて祈り始めました。こうしてアンブロジオは復活の聖なる3日間における主の死と復活にあずかりました。アウグスチヌス(Augusinus 354-430年)から『アンブロジオ伝』(Vita Sancti Ambrosii)を書くよう請われた忠実な助祭パウリヌス(Paulinus Mediolanensis 417以降没)は証言します。「わたしたちは彼が唇を動かしているのを見ました。けれども彼の声は聞こえませんでした」。突然、状況は終わりに近づいたように思われました。アンブロジオを介護するために上の階で寝ていたヴェルチェリの司教ホノラトゥス(Honoratus 397年以降没)は、次のように繰り返す声で目覚めました。「早く起きてください。アンブロジオが死のうとしています」。パウリヌスは続けていいます。ホノラトゥスは急いで下の階に降り、「聖なる司教に主のからだを授けた。アンブロジオは聖体を拝領して飲み込むと、最後の糧を担いながら息を引き取った。こうして最後の糧で強められたアンブロジオの魂は、今や喜んで天使に伴われた」(『アンブロジオ伝』:Vita Sancti Ambrosii 47)。この397年の聖金曜日に臨終のアンブロジオが広げた手は、彼が主の死と復活に神秘的なしかたであずかることを表しました。これが彼の最後の教理講話でした。ことばを発さずに、彼は生涯のあかしによって語ったのです。
 アンブロジオは、亡くなったとき、それほど高齢ではありませんでした。彼は60歳にもなっていませんでした。アンブロジオは340年頃トリーアに生まれたからです。このトリーアでアンブロジオの父はガリア道長官でした。アンブロジオの家族はキリスト教信者でした。父の死後、母はまだ少年だったアンブロジオを連れてローマに行き、公職に就くための準備をさせました。そのため彼は修辞学と法律の教育をしっかりと受けました。370年頃、アンブロジオはエミリアとリグリアの執政官格州知事として派遣され、ミラノに住みました。このミラノでは、特にアレイオス派の司教アウクセンティウス(Auxentius 374年没、司教在位355-没年)の死後、正統キリスト教とアレイオス派が激しく争っていました。アンブロジオは対立する両派の気持ちを鎮めるために仲裁を行いました。この権威を見て、まだ洗礼志願者だったにもかかわらず、アンブロジオは民衆によってミラノ司教に選出されました。
 この時までにアンブロジオは北イタリアにおけるローマ帝国の最高官となっていました。文化的には高い教育を受けていたとはいえ、聖書の知識を欠いていた新司教は、熱心に聖書を学び始めました。アンブロジオはオリゲネス(Origenes 185頃-254年頃)の著作によって聖書を知り、注解することを学びました。オリゲネスは誰もが認める「アレキサンドリア学派」の教師だったからです。こうしてアンブロジオは、オリゲネスが創始した聖書の黙想を西方世界に伝えました。すなわちアンブロジオは西洋で初めて「霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)」を実践したのです。「読書(レクチオ)」の方法はアンブロジオの説教と著作全体を導くようになりました。アンブロジオの説教と著作は、まさに神のことばに「祈りのうちに耳を傾ける」ことから生まれたからです。アンブロジオの教理講話の有名な書き出しは、この聖なる司教がどのように旧約聖書をキリスト教的生活に当てはめたかをよく示しています。ミラノの司教は洗礼志願者と新しい信者に向かっていいます。「太祖たちの歴史物語や箴言の格言が読まれたとき、わたしは毎日、倫理道徳に関する説教を行った。その太祖の歴史や箴言の格言が読まれたのは、あなたがたがこれらによって陶冶(とうや)され教化されて、祖先の道に入り、彼らの道に従って歩み、神の掟に従うことに慣れるためであった」(『秘義について』:De mysteriis 1, 1〔『秘跡論』熊谷賢二訳、創文社、1963年、39頁参照〕)。いいかえれば、司教アンブロジオの考えでは、洗礼志願者や新しい信者は、善く生きる方法を学んだ後に、キリストの偉大な神秘を学ぶ準備ができたと考えることができます。それゆえ、膨大(ぼうだい)な著作の中核である、アンブロジオの説教は、聖書(「太祖たち」すなわち歴史書と「箴言」すなわち知恵文学)を読むことから生まれました。それは神の啓示に倣って生きるためです。
 説教者の個人的なあかしとキリスト教共同体の優れた模範が、説教を効果的なものとするための条件であることは明らかです。このことを考えると、聖アウグスチヌスの『告白』の一節は重要です。アウグスチヌスは修辞学の教師としてミラノにやって来ました。アウグスチヌスは当時キリスト教徒ではなく懐疑主義者でした。彼は探求していましたが、真の意味でキリスト教の真理を見いだせずにいました。懐疑し、絶望した若きアフリカの修辞学教師の心をまず動かし、決定的な回心へと導いたのは、アンブロジオの美しい説教ではありませんでした(もちろんアウグスチヌスはそれを評価しはしましたが)。むしろアウグスチヌスの心をまず動かしたのは、司教アンブロジオとミラノの教会のあかしでした。ミラノの教会は、一つのからだのように結ばれながら、祈り、かつ歌っていたからです。教会は皇帝とその継母の横暴に抵抗することができました。皇帝とその継母は386年の初め、アレイオス派の祭儀を行うために会堂の接収を再び要求したからです。アウグスチヌスはこう書いています。接収を求められた会堂の中で「敬虔な民は、あなたのしもべである司教とともに死を覚悟して、教会に夜を過ごしていました」。この『告白』の証言は貴重です。なぜならそれはアウグスチヌスの心が大きく動かされていたことを示しているからです。アウグスチヌスは続けて述べます。「わたしたちはまだ、あなたの霊の熱に対して冷淡でしたが、それでも驚きと混乱で心を動かされていました」(『告白』:Confessiones 9, 7〔山田晶訳、中央公論社、1968年、304-305頁〕)。
 アウグスチヌスは司教アンブロジオの生活と模範から、信じることと説教することを学びました。わたしたちはこのアフリカ人アウグスチヌスの有名な説教を引用することができます。この説教は数百年経っても、公会議の『啓示憲章』の中で引用される価値のあるものだったからです。実際、『啓示憲章』25は勧めます。「すべての聖職者、なかでも、キリストの司祭、その他助祭あるいはカテキスタとして、みことばの奉仕職に正当に携わる者は、絶えず聖書を読みまた熱心に研究しながら、聖書に親しまなければならない。それは、・・・・(これがアウグスチヌスの引用です)『内において神のことばを聞かない者は外において空しい説教者である』といわれることがないためである」。アウグスチヌスはアンブロジオ自身からこの「内において聞く」こと、すなわち聖書を祈りの態度のうちに熱心に読むことを学びました。それは神のことばをほんとうに自分の心に受け入れ、自分のものとするためです。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。わたしは皆様に一種の「教父のイコン」を示したいと思います。すでに述べたことによってその意味を解釈できる、この「イコン」は、アンブロジオの教えの「核心」を生き生きと表します。『告白』第6巻の中で、アウグスチヌスはアンブロジオとの出会いについて述べます。この出会いが教会史にとって重大な意味をもつものであることはいうまでもありません。アウグスチヌスは述べます。アウグスチヌスがミラノの司教アンブロジオを訪ねると、アンブロジオはいつも用件をかかえた人々の「群れ」(catervae)と会って、彼らの問題を解決しようと努めていました。アンブロジオと話して慰めと希望を見いだしたいと望む人がいつも長い列を作っていました。これらの群衆とともにいないとき(そしてそれはわずかな時間にすぎませんでしたが)、アンブロジオは必要な食事をとって身体を回復するか、あるいは読書によって精神を養っていました。それはアウグスチヌスを驚かせました。なぜならアンブロジオは口を閉じ、目だけで聖書を読んでいたからです(『告白』:Confessiones 6, 3参照)。実際、最初の数世紀のキリスト信者にとって、読書は厳密な意味で朗読することと考えられていました。大きな声で朗読することは、読んでいる人にとっても理解を容易にするものでした。アンブロジオが目だけで聖書を読むことができたことは、アウグスチヌスを驚かせ、またアンブロジオが聖書を読み、聖書に親しむ独自の力をもっていることを示しました。この「無言の読書」の姿――心が神のことばの理解を得ようと努める姿――、これこそがわたしたちのいう「イコン」です。ここにわたしたちはアンブロジオの信仰教育(カテケージス)の方法をかいま見ることができます。すなわち、心のうちで自分のものとした聖書自身が、回心を促すために告げる内容を教えるのです。
 それゆえ、アンブロジオとアウグスチヌスの教えによれば、信仰教育は生活のあかしと切り離すことができません。わたしが『キリスト教入門』で神学者のために書いたことはカテキスタにも役立ちます。信仰を教える者は、「技術」を披露する一種の「道化師」のように見えることがあってはなりません(『キリスト教入門』小林珍雄訳、エンデルレ書店、1973年、1-2頁参照)。むしろ、アンブロジオが特に尊敬した著作家であるオリゲネスのたとえを使っていうなら、信仰を教える者は、愛された弟子のようでなければなりません。愛された弟子は師であるかたの胸もとに寄りかかり、そこで、どのように考え、語り、行動するかを学びました。こうしてまことの弟子は、信頼の置ける、生き生きとしたしかたで世に福音を告げ知らせました。
 使徒ヨハネと同じように、司教アンブロジオもうむことなく繰り返してこう述べました。「キリストはわたしたちのすべてです」(Omnia Christus est nobis!)。だから彼は主の真の証人であり続けました。イエスへの愛に満ちた同じこのことばでわたしたちの講話を結びたいと思います。「キリストはわたしたちのすべてです(Omnia Christus est nobis!)。傷を治すことを望む人にとって、キリストは医師です。熱で焼かれる人にとって、キリストは泉です。不正によって虐げられる人にとって、キリストは正義です。助けを求める人にとって、キリストは力です。死を恐れる人にとって、キリストはいのちです。天を望む人にとって、キリストは道です。暗闇の中にいる人にとって、キリストは光です。・・・・味わい、見よ、主のいつくしみ深さを。主に希望を置く人は幸い(詩編34・9)」(『処女性について』:De virginitate 16, 99)。わたしたちも主に希望を置こうではありませんか。主に希望を置くならば、わたしたちは祝福され、平和のうちに生きるでしょう。

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