教皇ベネディクト十六世の115回目の一般謁見演説 聖ヒエロニモ

11月7日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の115回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2006年3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の58回目(2007年3月7日から開始した教父に関する講話の26回目)として、「聖ヒエロニモ」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、テモテへの手紙二3章14-17節が朗読されました。謁見には40,000人の信者が参加しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  今日わたしたちは聖ヒエロニモ(Eusebius Hieronymus 347-419/420年)に目を向けます。聖ヒエロニモは自分の人生の中心に聖書を置いた教父です。聖ヒエロニモは聖書をラテン語に訳し、著作によって聖書を注解しました。何よりも彼は、よく知られている天性の難しい激情的な性格にもかかわらず、長い地上の生涯の中で聖書を具体的なしかたで生きました。
  ヒエロニモは347年頃、ストリドンでキリスト教徒の家庭に生まれました。この家庭は彼に行き届いた教育を受けさせ、さらに勉学を完成させるために彼をローマに送りました。ヒエロニモは若いときこの世の生活に引きつけられましたが(『書簡22』:Epistulae 22, 7参照)、キリスト教への望みと関心が彼の心の中でこれに打ち勝ちました。366年頃洗礼を受けたヒエロニモは禁欲的生活に引かれ、アクイレイアに向かいます。そこで彼は熱心なキリスト教徒のグループに加わりました。このグループをヒエロニモは「祝福された人々の聖歌隊」(『司祭聖ヒエロニモ年譜』:Chronica S. Gironimi presbyteri ad ann. 374) のようだと述べています。この人々は司教ウァレリアヌスの周りに集まっていました。次いでヒエロニモは東方に向かい、アレッポの南のカルキスの荒れ野で隠修士として過ごし(『書簡14』:Epistulae 14, 10参照)、真剣に勉学に励みます。ヒエロニモはギリシア語の知識を完璧なものとした後、ヘブライ語の学習を開始し(『書簡125』:Epistulae 125, 12参照)、教父の写本や著作を書き写しました(『書簡5』:Epistulae 5, 2参照)。瞑想と孤独と神のことばに触れることによって、彼のキリスト教的感覚は深まりました。ヒエロニモは青年時代の過去の重荷を強く感じ(『書簡22』:Epistulae 22, 7参照)、異教的精神とキリスト教的生活の違いをはっきりと自覚しました。この有名な対比をヒエロニモは有名な劇的で生き生きとした「幻」によって書き残しています。この「幻」の中でヒエロニモは自分が神の前で鞭打たれているように感じます。なぜなら彼は「キケロの徒ではあるが、キリスト教徒ではない」(『書簡22』:Epistulae 22, 30〔荒井洋一訳、上智大学中世思想研究所編訳・監修『中世思想原典集成4 初期ラテン教父』平凡社、1999年、707頁〕参照)からです。
  382年、ヒエロニモはローマに赴きます。このローマで、ヒエロニモの禁欲生活の評判と学者としての力量を知った教皇ダマソ(Damasus I 在位366-384年)は、ヒエロニモを秘書また顧問として迎え入れます。教皇は、司牧的かつ文化的な理由から、聖書の新しいラテン語訳に着手するようヒエロニモに促します。ローマの貴族に属する一部の人々、とりわけパウラ(Paula 347-404年)、マルケラ(Marcella 325頃-410年)、アセラ(Asella 334頃-405年以降)、レア(Lea 384年没)などの高貴な女性たちがキリスト教的完徳の道に努め、神のことばの知識を深めることを望みました。この女性たちはヒエロニモを、霊的指導者、また聖書を秩序あるしかたで読むための教師としました。この高貴な女性たちはギリシア語とヘブライ語も学びました。
  教皇ダマソの死後、ヒエロニモは385年にローマを離れ、巡礼の旅に出ました。まずキリストの地上での生活を沈黙のうちにあかしする聖地を訪れ、その後、多くの修道士が選んだ地であるエジプトに向かいました(『ルフィヌス駁論』:Apologia adversus libros Rufini 3, 22; 『書簡108』:Epistulae 108, 6-14参照)。386年、ヒエロニモはベツレヘムに住むことを決め、高貴な女性パウラの援助を受けて、そこに男子修道院と女子修道院、そして聖地を訪れた巡礼者のための宿泊所を建てました。「マリアとヨセフに泊まる場所がなかったことを考えた」(『書簡108』:Epistulae 108, 14)からです。ヒエロニモは死ぬまでベツレヘムにとどまり、活発な活動を続けました。すなわち彼は聖書を注解しました。信仰を擁護し、さまざまな異端に強く反論しました。修道者を完徳に向けて励ましました。若い学生に古典文化とキリスト教文化を教えました。司牧者の心をもって、聖地に来た巡礼者を迎え入れました。ヒエロニモは419/420年9月30日に降誕の洞窟の近くにある修室で亡くなりました。
  文学的素養と幅広い教養のおかげでヒエロニモは多くの聖書テキストを改訂し、翻訳することができました。この仕事は西方教会と西洋文化にとって貴重です。ギリシア語とヘブライ語の原文に基づき、先行するラテン語訳と照らし合わせながら、ヒエロニモは4福音書のラテン語訳を改訂し、続いて詩編と旧約聖書の大部分も改訂しました。ヘブライ語原文とギリシア語原文、キリスト教以前にさかのぼる旧約の古代ギリシア語訳である「七十人訳(セプトゥアギンタ)」、そして先行するさまざまなラテン語訳を参照しながら、ヒエロニモと、後に加わった他の協力者たちは、よりよい翻訳を作ることができました。この翻訳がいわゆる「ウルガタ」となりました。「ウルガタ」は西方ラテン教会の「公式の」聖書テキストです。「ウルガタ」を「公式の」聖書テキストとすることはトリエント公会議で承認されました。「ウルガタ」は最近の改訂の後も依然として、ラテン語を用いる教会の「公式の」テキストです。偉大な聖書学者ヒエロニモが翻訳者として作業する上でどのような基準に従ったかを明らかにするのは興味深いことです。ヒエロニモはこの基準を自ら示しています。すなわち彼は聖書の語順に至るまで尊重したと述べます。彼はいいます。なぜなら聖書においては「語順さえも神秘」すなわち啓示「だからです」(『書簡57』:Epistulae 57, 5)。さらにヒエロニモは原文に戻ることの必要性を強調します。「写本の読みの不一致により、新約聖書のラテン語訳に関して問題が生じたときは、原文、すなわちギリシア語テキストに戻らなければなりません。新約はギリシア語で書かれたからです。同じように旧約の場合も、ギリシア語テキストとラテン語テキストの間に違いがあれば、原文、すなわちヘブライ語を参照しなければなりません。それゆえ泉から流れ出るものはすべて小川の中に見いだすことができるのです」(『書簡106』:Epistulae 106, 2)。さらにヒエロニモは聖書のかなりの数のテキストの注解も行いました。ヒエロニモの考えでは、注解は多くの見解を示さなければなりません。「それは、賢明な読者がさまざまな説明を読み、この説明に対する肯定と否定を含めたさまざまな意見を知った後、どの説明が信頼できるかを判断し、熟練した両替人のように偽の通貨を退けることができるためです」(『ルフィヌス駁論』:Apologia adversus libros Rufini 1, 16)。
  ヒエロニモは、教会の伝統と信仰に異議を唱える異端を、力強くまた激しく論駁しました。ヒエロニモはまたキリスト教文学の重要性と価値も示しました。キリスト教文学はすでに古典文学に匹敵しうる真の文化となっていたからです。ヒエロニモはこのことを『著名者列伝』(De viris illustribus)を著すことによって行いました。ヒエロニモはこの著作の中で100名以上のキリスト教的著作家の伝記を示します。ヒエロニモはまた修道士たちの伝記も書きました。それは他の霊的な道と並んで、修道生活の理想を説明するためです。さらに彼はギリシアの著作家のさまざまな著作を翻訳しました。最後に、ラテン文学の傑作である重要な『書簡集』(Epistulae)の中で、ヒエロニモは文化人、禁欲生活者、霊魂の指導者としての際立った姿を示します。
  聖ヒエロニモからわたしたちは何を学ぶことができるでしょうか。聖書における神のことばを愛すること――わたしには、何よりもこれだと思われます。聖ヒエロニモはいいます。「聖書を知らないことは、キリストを知らないことです」。だからキリスト信者が皆、聖書によって示される神のことばに触れ、神のことばと個人的に対話しながら生活することが重要なのです。わたしたちが行うこの対話には二つの次元が伴わなければなりません。まず、この対話は本当の意味で個人的なものでなければなりません。なぜなら神は聖書を通じてわたしたち一人ひとりに語りかけるからです。神には一人ひとりに告げたいことがあるからです。聖書を過去のことばとしてではなく、わたしたちにも語りかけていることばとして読まなければなりません。そして、主がわたしたちに何を語ろうとしているか理解しようと努めなければなりません。しかし、個人主義に陥らないために、神のことばは交わりを築くためにわたしたちに与えられたことを忘れずにいなければなりません。すなわち、神のことばは、わたしたちが真理のうちに一致しながら神へと歩むために与えられたのです。ですから神のことばは常に個人に向けられたことばですが、共同体を築くことばでもあります。すなわちそれは教会を築くことばでもあります。だからわたしたちは生きた教会との交わりのうちに神のことばを読まなければなりません。神のことばを読み、これに耳を傾けるための特別に優れた場は典礼です。わたしたちは典礼の中で、みことばを記念し、キリストのからだを秘跡のうちに現存させます。このことを通して、わたしたちはみことばを自分たちの生活の中で現実のものとし、わたしたちの間に現存させるからです。神のことばは時間を超越することを忘れてはなりません。人間の考えは生まれては過ぎ去ります。今日最新のものが、明日には古臭くなります。しかし、神のことばは永遠のいのちのことばです。神のことばはいつの時代にも通じる永遠のものをもっています。それゆえ、神のことばを携えることによって、わたしたちは永遠を携えます。すなわち永遠のいのちを携えます。
  聖ヒエロニモがノラの聖パウリヌス(Paulinus Nolanus 353/354-431年)に宛てたことばで終りたいと思います。神のことばのうちにわたしたちは永遠、すなわち永遠のいのちを与えられます。パウリヌスへのことばの中で偉大な釈義学者ヒエロニモはまさにこの現実を語ります。聖ヒエロニモはいいます。「天においてもとこしえに有効なこの真理を、地上においても学ぼうと努めようではありませんか」(『書簡53』:Epistulae 53, 10)。

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