教皇ベネディクト十六世の118回目の一般謁見演説 シリアの聖エフレム

11月28日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の118回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2006年3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の […]

11月28日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の118回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2006年3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の61回目(2007年3月7日から開始した教父に関する講話の29回目)として、「シリアの聖エフレム」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、詩編149編・1-5節が朗読されました。謁見には8,000人の信者が参加しました。
演説の後、最後にイタリア語で行われたイタリア人の巡礼者に対するあいさつの初めに、教皇は12月1日(土)の世界エイズデーを前にして、次の呼びかけを行いました。
「今週の12月1日に世界エイズデーが行われます。わたしはこの恐ろしい病気に苦しむすべての人と、そのご家族、特に親族を亡くしたかたがたに霊的に寄り添います。私はこれらすべての人のために祈ることを約束します。
 さらにわたしはすべての善意の人にお願いしたいと思います。HIVウィルスの蔓延を止め、HIVウィルスに感染した人にしばしば向けられる偏見と戦い、エイズ患者、特にまだ子どもの患者の世話を行うよう、いっそう努力してください」。
国連合同エイズ計画(UNAIDS)の11月20日(火)の発表によると、2007年のHIVウィルス保有者は3320万人、新規感染者は250万人、エイズによる死者は210万人と推定されています。また、アフリカの南サハラ地域では2007年の新規感染者が170万人に上ると推定されています。南サハラ地域のHIVウィルス保有者は推定2250万人で、これは世界の保有者の68%にあたります。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 現代の一般の考えによれば、キリスト教はヨーロッパの宗教であり、このヨーロッパの宗教が後にヨーロッパ大陸から他の国々に輸出されたとされます。しかし現実はもっと複雑です。なぜなら、キリスト教の起源は旧約に、それゆえエルサレムとセム語世界に見いだされるからです。キリスト教は常にこの旧約という起源によって養われてきました。また、最初の数世紀のキリスト教の拡大も西方に向けて、すなわちギリシア・ラテン世界に向けて行われました。その後、ギリシア・ラテン世界において、キリスト教はヨーロッパ文化に霊感を与えました。そして、ペルシア、インドに至るまでの東方世界に霊感を与えました。そこからセム語による、独自性をもった独特な文化の成長を促しました。初期キリスト教信仰の初めから見られるこのような文化的多様性を示すために、わたしは先週の水曜日の講話で、このもう一つのキリスト教の代表者でありながら、わたしたちがあまり知らない、ペルシアの賢者アフラハトについてお話ししました。これと同じ流れに沿って、わたしは今日、シリアの聖エフレム(Ephraem Syrus 306頃-373年)についてお話ししたいと思います。聖エフレムは306年頃ニシビスでキリスト教徒の家庭に生まれました。エフレムはシリア語によるキリスト教のもっとも重要な代表者です。また彼は独自のしかたで神学者の召命と詩人の召命を調和させることに成功しました。エフレムはニシビスの司教ヤコボス(303-338年)のもとで養成を受け、ヤコボスとともにニシビスに神学校を設立しました。助祭に叙階され、363年まで地域のキリスト教共同体と深く生活をともにしました。363年にニシビスはペルシア人の手に落ちたからです。そこでエフレムはエデッサに移住し、この町で説教者としての活動を続けました。エフレムはペスト患者の看病をしているときにこの病気に感染して、373年にエデッサで没します。エフレムが修道士だったかどうかは定かではありません。しかし、いずれにせよ、エフレムが生涯助祭にとどまり、貞潔と清貧を守ったことは確かです。そして、エフレムの独特の文化的表現を通して、キリスト教の共通かつ根本的な性格が示されます。すなわち、信仰と希望――この希望が、主にあらゆる望みを置きながら清貧と貞潔を生きることを可能にします――と、最後に愛です。エフレムはペスト患者の世話のために自分のいのちをささげたからです。
 聖エフレムはわたしたちに偉大な神学の遺産を残しました。エフレムの膨大な著作は4つの種類に分類できます。(一)散文で書かれた著作(異端を論駁する著作や、聖書注解)。(二)韻文で書かれた著作。(三)韻文による説教。(四)そして最後に賛歌です。エフレムがもっとも多く著したのはこの賛歌です。エフレムはさまざまな意味で多産かつ興味深い著作家ですが、とりわけこのことは彼の神学的経歴についていえます。エフレムの著作の特徴は、神学と詩の出会いにあります。エフレムは詩の形式で神学を行いました。エフレムの教えに近づきたければ、最初からこのことを強調しなければなりません。詩はエフレムが逆説や比喩を通じて神学を深めることを可能にしました。同時にエフレムの神学は典礼また音楽となりました。実際、エフレムは偉大な作曲家にして音楽家でした。神学において信仰を考察することと、詩をもって神に賛歌と賛美をささげることは同時に行われます。そしてまさにこの典礼的な性格を通じて、エフレムの神学は神の真理をはっきりと示します。神の探究と神学において、エフレムは逆説と象徴の道をたどりました。エフレムは対照的な比喩をたいへん好みました。なぜならこうした比喩は神の神秘を強調するのに役立つからです。
 ここでエフレムの著作をたくさん引用することはできません。それは、詩は翻訳するのが難しいためでもあります。わたしは少なくともエフレムの詩的神学の一端を示すために、2つの賛歌の一部を引用したいと思います。待降節が近づいているので、賛歌『キリストの降誕について』からいくつかのすばらしい比喩を示したいと思います。おとめマリアを前にして、エフレムは霊感に満たされた調子で自らの驚きを表します。

 「主はおとめのところに来られました
 自らをしもべとするために。
 みことばはおとめのところに来られました
 胎の中で沈黙するために。
 光はおとめのところに来られました
 何の音も立てることのないように。
 牧者はおとめのところに来られ
 見よ、小羊が生まれました。小羊は小さな声で泣いています。
 マリアの胎が
 おのおののものの役割を逆さまにしたからです。
 万物を造られたかたは 
 豊かな者としてでなく、貧しい者としてお生まれになりました。
 至高のかたがおとめ(マリア)のところに来られました
 しかしこのかたはつつましい姿でお現れになりました。
 輝きがおとめのところに来られました
 しかしこのかたはつつましい服をまとっておられました。
 万物を与えてくださるかたが
 空腹を味わわれました。
 すべての人に飲ませてくださるかたが
 渇きを覚えられました。
 裸で衣服をまとわずにおとめのところに来られました
 万物を(美で)装わせるかたが」(『賛歌――降誕について』11・6-8)。

 エフレムはキリストの神秘を表すためにさまざまなテーマ、表現、比喩を用います。ある賛歌の中でエフレムは(楽園における)アダムと(聖体のうちにおられる)キリストを生き生きと結びつけます。

 「ケルビムの剣で
 いのちの木に至る道は
 閉ざされました。 
 しかし民のために
 この木の主は
 (聖体の)献げ物によってご自身を
 食物として与えてくださいました。
 エデンの木は
 最初のアダムのために
 食物として与えられました。
 人となられた園の園丁は
 わたしたちのために
 わたしたちの魂のための
 食物となってくださいました。
 じつにわたしたちは皆
 楽園を去ったアダムとともに
 楽園を後にしました。
 今や剣は
 槍によってかしこ(十字架)から取り去られ、
 わたしたちは楽園に戻ることができます」(『賛歌』49・9-11)。

 エフレムは聖体について述べるために、燃える炭火(コークス)と真珠という2つの比喩を使います。燃える炭火というテーマは預言者イザヤ(イザヤ6・6参照)からとられます。セラフィムは火鋏(ひばさみ)で炭火をとり、預言者の口を清めるためにこれに触れさせるだけです。しかしキリスト信者は燃える炭火であるキリストご自身をとり、これを食べます。

 「あなたのパンのうちに
 食べることのできない霊が隠れておられます。
 あなたのぶどう酒のうちに飲むことのできない火が隠れておられます。
 あなたのパンのうちにおられる霊、あなたのぶどう酒のうちにおられる火。
 これこそ、わたしたちの口が受け入れる驚くべきかたです。
 セラフィムは自分の指を炭火に近づけることができません。
 炭火はイザヤの口にのみ近づくことができるからです。
 指は炭火をとることができず、口も炭火を呑み込むことはできません。
 しかし主はわたしたちがそのいずれもできるようにしてくださいました。
 火は罪人を滅ぼすために怒りをもって降ります。
 しかし恵みの火はパンの上に降ってそこにとどまります。
 わたしたちは人を滅ぼす火ではなく、
 パンのうちにある火を食べて、
 生かされました」(『賛歌――信仰について』10・8-10)。

 別の賛歌の中で、聖エフレムは信仰の豊かさと美しさの象徴としての真珠について述べます。

 「わたしの兄弟たち。わたしは(真珠を)自分の掌(てのひら)に置きます
 よく見ることができるように。
 わたしは真珠の表と裏を見ます。
 真珠はどちらから見ても同じに見えます。
 御子を尋ね求めるのも(同じ)です。御子はきわめがたいかた
 彼は光そのものだからです。
 その透明さのうちに、わたしは透明さそのものであるかたを見ます。
 彼は曇ることができないからです。
 その清らかさのうちに
 わたしはわたしたちの主のからだの偉大なしるしを見ます。
 彼は清いかただからです。
 その不可分の姿のうちに、わたしは真理を見ます。
 真理は不可分だからです」(『賛歌――真珠について』1・2-3)。

 エフレムの姿はさまざまなキリスト教教会の生活にとっても豊かな現代的意味をもっています。まずわたしたちが見いだすのは神学者としてのエフレムです。エフレムは聖書から出発して、キリストが行う人間のあがないの神秘を詩的に考察します。キリストは受肉した神のことばだからです。エフレムの神学的考察は、自然や日常生活や聖書からとられた比喩や象徴によって表現されます。エフレムは、詩や典礼のための賛歌に、教育とカテケージスの性格を与えました。こうした神学的賛歌は、唱えたり、典礼で歌ったりするのに適していたからです。エフレムはこうした賛歌を祭日の典礼の際に、教会の教えを伝えるために用いました。賛歌は、時代を超えて、キリスト教共同体にとってきわめて有効なカテケージスの手段であることが示されました。
 創造主である神に関するエフレムの考察は重要です。被造物の中のいかなるものも聖書から切り離すことができません。世界は聖書とともにあります。聖書は神について述べた書だからです。人間は自分の自由を間違った形で用いることによって、宇宙の秩序を覆してしまいます。エフレムは女性の役割を重視しました。彼は常に女性について繊細で敬意に満ちたしかたで語ります。イエスがマリアの胎に宿ったことは、女性の尊厳をきわめて高めました。エフレムにとって、イエスなしにあがないがありえないのと同じように、マリアなしに受肉はありえません。わたしたちのあがないの神秘における神的な要素と人間的な要素が、すでにエフレムのテキストに見いだされます。エフレムは、詩と、聖書に根ざした比喩の形で、5世紀の公会議の偉大なキリスト論の定義の神学的背景と、ある意味ではその用語までも先取りしました。
 キリスト教の伝統において「聖霊の竪琴」の名でたたえられたエフレムは、生涯、教会の助祭にとどまりました。これは決定的で象徴的な選択でした。エフレムは、典礼の奉仕においても、もっと根本的な意味では、キリストへの愛においても、助祭、すなわち奉仕者でした。彼は比類のないしかたで、また兄弟に対する愛を通して、キリストに賛歌をささげました。エフレムは兄弟に神の啓示に関する知識をこの上なく巧みなしかたで伝えたからです。

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