教皇ベネディクト十六世の2007年12月23日の「お告げの祈り」のことば 福音宣教について

教皇ベネディクト十六世は、待降節第四主日の12月23日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
この「お告げの祈り」の前のことばの中で、教皇は、12月14日(金)に教皇庁教理省が発表した文書『教理についての覚書――福音宣教のいくつかの側面について』を解説しました。教皇は12月19日(水)の一般謁見における講話でもこの文書に言及しています。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日の待降節第四主日と聖なる降誕祭は1日の違いしかありません。明日の晩、わたしたちは集まって、偉大な愛の神秘を祝います。この神秘はわたしたちを驚かせ続けます。神は、わたしたちを神の子とするために、人の子となりました。待降節の間、教会の中心から、しばしば次の祈願がささげられてきました。「主よ来てください。あなたの平和をもってわたしたちを訪れてください。あなたがともにいてくださることによって、わたしたちを喜びで満たしてください」。教会の福音宣教は、「主イエスよ、来てください」という叫び声に対するこたえです。この叫び声は救いの歴史全体から聞こえてきます。そして、信じる者の口から今も上がり続けます。主よ来てください。わたしたちの心を造り変えてください。正義と平和が世にゆきわたりますように。つい最近、教皇庁教理省が発表したばかりの『教理についての覚書――福音宣教のいくつかの側面について』があらためていおうとしたのはこのことです。実際、この文書は、多くのキリスト信者にとって福音宣教を行う理由がしばしば明らかでなくなっている状況の中で、すべてのキリスト信者にあらためて述べます。「信仰のうちに福音を受け入れた人は」、たまものとして与えられた救いを伝えるよう「促されます」(同7)。
 実際、「人生を救う真理――すなわちイエスのうちに肉となった真理――は、この真理を受け入れた人の心を隣人愛で燃え上がらせます。この隣人愛に促されて、その人は、自分が自由に与えられたものを進んで人に伝えます」(同)。神は降誕祭にわたしたちのところに来て、わたしたちとともにいるという、比類のない恵みを与えてくださいました。この恵みによってわたしたちは、「世界中の神の友に抱かれて生きること」(同)ができるようになります。わたしたちは「キリストとの友愛のつながり」のうちに生きることができるようになります。このつながりは「天と地を結びつけ」(同9)、人間の自由を完成します。そして、もしこのつながりを本当の意味で生きるなら、「愛は自由に与えられ、すべての人の善を気遣うに至るまでに」(同7)あふれ出ます。神から無償で与えられたものを人々にただで与えることほど、すばらしく、緊急に必要で、重要なことはありません。わたしたちは、この労苦が多いとはいえ、魅力的な務めから免除されることも、解放されることもありえません。わたしたちは希望に満たされながら、降誕祭の喜びを前もって味わっています。この喜びに促されて、わたしたちは、神がわたしたちのただ中にともにいてくださることを、すべての人に告げ知らせます。
 おとめマリアはたぐいのない福音宣教の模範です。マリアは世に対して、思想ではなく、受肉したみことばであるイエスを伝えました。信頼をもってマリアに願おうではありませんか。現代にあっても教会が救い主キリストを告げ知らせることができますように。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。・・・・御子によって世が救われるためである」(ヨハネ3・16-17)。すべてのキリスト信者とすべての共同体が、このよい知らせを他の人々と分かち合う喜びを味わうことができますように。これが降誕祭の真の意味です。わたしたちはこのことをいつも再発見し、深く体験しなければなりません。

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