教皇ベネディクト十六世の2008年1月6日の「お告げの祈り」のことば 主の公現

教皇ベネディクト十六世は、主の公現の祭日の1月6日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリ […]

教皇ベネディクト十六世は、主の公現の祭日の1月6日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
この日教皇は、午前10時からサンピエトロ大聖堂で主の公現の祭日のミサをささげました。
「お告げの祈り」の後、教皇はまず、その日行われる「カトリック児童福祉の日」(日本では1月の最終日曜日、2008年は1月27日)について、イタリア語で次のように述べました。
「今日はカトリック児童福祉の日です。フランスの司教シャルル・ド・フォルバン・ジャンソン(1785-1844年)の創始以来、160年以上にわたり、幼子イエスは、祈りと犠牲と連帯のわざによって教会の福音宣教の使命を助けるキリスト信者の児童の活動のイコン(模範)となってきました。幼子となった神の子は地上に愛をもたらしました。この愛に促されて、何千人もの子どもが困っている他の子どもたちを助けます。この小さな子どもたちに感謝します。そして、この小さな子どもたちがいつも宣教者であり続けられるように祈ります。子どもたちを助けてくださるかたがたにも、寛大な心と、兄弟愛と、希望を生み出す信仰の道を子どもたちとともに歩んでくださっていることを感謝いたします」。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日わたしたちは主の公現を喜びをもって祝います。主の公現とは、主が全世界の民に示されたということです。この民を、東方からユダヤ人の王を拝むためにやって来た占星術の学者たちが代表しました。この謎めいた人々は、天文現象を観察していたとき、新しい星が上るのを見ました。そして、古代の預言の教えも知っていた彼らは、この星のうちにダビデの子孫である救い主(メシア)の誕生のしるしを認めました(マタイ2・1-12参照)。それゆえキリストの光は、現れた最初のときから、あらゆる言語、民族、文化の「み心にかなう」(ルカ2・14)人々をご自分のもとへ引き寄せ始めました。聖霊の力は、真理と美と正義と平和を求めるように人々の心と思いを促します。神のしもべヨハネ・パウロ二世は回勅『信仰と理性』の中でこのことを確認していいます。「人間は、人間の力では終わらせることのできない、一種の探究の旅路にあるということです。それは、真理の探究であり、信頼できるある人を探し求めることです」(同33)。占星術の学者たちはベツレヘムの幼子のうちに、この真理と信頼できる人をともに見いだしました。
 すべての時代の人々は、このような旅路において方向づけを必要とします。では、人々はどのような星についていけばよいのでしょうか。「幼子のいる場所の上に止まった」(マタイ2・9)後、占星術の学者たちを導いた星はその役目を終えました。けれどもその霊的な光は福音のことばの中でいつまでも輝きます。福音のことばは今もすべての人をイエスへと導くことができるからです。福音のことばは、真の人にして真の神であるキリストの反映でなければ、何の意味もありません。教会はこのことばを、それを受け入れる用意のできたすべての人に向けて信頼できるしかたで響かせます。そのため、教会も、人類のために星の使命を果たします。けれども同じことはすべてのキリスト信者にもいうことができます。キリスト信者は、そのことばと生活のあかしによって兄弟の歩みを照らすよう招かれているからです。ですから、わたしたちキリスト信者が自分の召命に忠実であることは、どれほど重要なことでしょうか。すべての本物の信仰者は常に個人の信仰の旅路を歩みます。同時に、本物の信仰者は、自分がもっている小さな光で、道すがら出会った人、もしかするとキリストへと導く道を見いだすのに困難を覚えている人を、助けることができますし、また助けなければなりません。
 「お告げの祈り」を唱える準備をしながら、わたしは東方教会の兄弟姉妹の皆様に心からごあいさつ申し上げます。皆様はユリウス暦に従って、明日、降誕祭を祝うからです。さまざまな豊かな形式の典礼によって信仰の神秘をともに祝えることは、大きな喜びです。この豊かな典礼は教会の2千年の歴史をあかししているからです。聖なる神の母に深い信心をささげる東方のキリスト信者の共同体とともに、マリアが普遍教会を守ってくださるよう祈り求めたいと思います。こうして、諸民族の光(Lumen gentium)であるキリストの福音が全世界に広まりますように。

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