2008年「第16回 世界病者の日」メッセージ

2008年「第16回 世界病者の日」メッセージ

2008年「第16回 世界病者の日」メッセージ

親愛なる兄弟姉妹の皆様。

1. 2月11日のルルドの聖母の記念日に、「世界病者の日」が行われます(1)。「世界病者の日」は、苦しみの意味と、どのような状況の下に生じたものであっても、キリスト信者が苦しみを受け入れる務めがあることについて考察するためのよい機会です。「聖体、ルルド、病者に対する司牧的配慮」という今年のテーマからも分かるとおり、今年のこの意義深い日は、教会生活にとって重要な二つの行事と結ばれています。すなわち、ルルドにおける無原罪の聖マリアの出現150周年記念と、カナダ・ケベックにおける国際聖体大会の開催(2008年6月15-22日)です。こうして、聖体の神秘と、救いの計画におけるマリアの役割、そして人間の苦しみと苦難の現実の間の密接な関係を考察するための特別な機会がわたしたちに与えられています。
 ルルドでの出現から150年の歳月は、わたしたちが聖なるおとめに目を向けるよう招きます。聖なるおとめの無原罪の御宿りは、神が一人の女性に無償で与えた最高の恵みです。それは、この聖なるおとめが、どのような試練や苦しみに遭っても、堅固で揺るぎない信仰をもって神の計画に完全に忠実に従うことができるようにするためでした。だからマリアは、神のみ旨に完全に身をゆだねることの模範です。マリアは自らの心に永遠のみことばを受け入れ、このみことばをおとめの胎に宿しました。マリアは神に信頼を置きました。心を悲しみの剣で刺し貫かれながら(ルカ2・35参照)、ためらうことなく御子の受難にともにあずかりました。そして、カルワリオ(されこうべ)の十字架の下で、あらためてお告げのときの「はい」という答えを繰り返しました。それゆえ、マリアの無原罪の御宿りを考察することによって、わたしたちはこの「はい」という答えに引きつけられます。この「はい」が、マリアを、人類のあがない主としてのキリストの使命と不思議なしかたで結びつけました。またわたしたちは、マリアに手をとられて導かれながら、神のみ旨に対して自ら「おことばどおり、この身になりますように(フィアット)」というようになります――喜びと悲しみ、希望と失望を織り交ぜた全存在をもって。また、試練、苦しみ、苦難がわたしたちの地上の旅路の意味を豊かなものとすることを自覚しながら。

2. 人はマリアを仰ぎ見るとき、キリストに引きつけられずにはいられません。また人はキリストに目を向けるとき、すぐにマリアがともにおられることに気づかずにはいられません。母であるかたと御子の間には切り離すことのできないきずながあります。御子は聖霊によって母であるかたの胎から生まれたからです。そしてわたしたちはこのきずなを、神秘的なしかたで、聖体の神秘の中にも認めます。最初の数世紀から、教父や神学者たちが明らかにしてきたとおりです。ポワティエの聖ヒラリオ(315頃-367年)はいいます。「マリアから生まれ、聖霊がもたらした肉は、天から降って来たパンです」。9世紀の『ベルガモの秘跡書』はこう述べます。「マリアの胎は花を実らせ、パンとしました。このパンは天使のたまものでわたしたちを満たします。マリアは、エバが罪によって壊した救いを建て直してくださいました」。後に聖ペトロ・ダミアノ(1007-1072年)はいいます。「わたしはいいます。わたしたちが今、聖なる祭壇から与えられるのは、間違いなく、至聖なるおとめが産み、その胎内で母としての気遣いをもって育てたからだです。またわたしたちは、このかたの血をわたしたちのあがないの秘跡として飲みます。これがカトリックの信仰です。これが聖なる教会の忠実な教えです」。世の罪を取り除くいけにえの小羊である御子と、聖なるおとめのきずなは、キリストの神秘的なからだである教会に延長します。神のしもべヨハネ・パウロ二世はいいます。マリアは全生涯において「聖体に生かされた女性」です。そのため、マリアを模範と考える教会は、「マリアのこの聖なる神秘とのかかわりを見習うように招かれているのです」(教皇ヨハネ・パウロ二世回勅『教会にいのちを与える聖体』53)。このような観点から、わたしたちは、なぜルルドで、聖なるおとめマリアへの崇敬が、たえず強く聖体とのかかわりと結びつけられているかをいっそうよく理解できます。そこでは毎日の感謝の祭儀と、聖体礼拝と、病者の祝福が行われます。聖体とのかかわりは、巡礼者がマッサビエールの洞窟を訪問する強い動機の一つです。
 多くの病気の巡礼者と、これに同伴するボランティアの人々がルルドを訪れます。このことは、聖母が人間の苦しみと苦難に対して示す母としての優しい気遣いについてわたしたちが考察するための助けとなります。「悲しみの聖母(Mater Dolorosa)」であるマリアは、キリストのいけにえにあずかり、十字架の下で神の子とともに苦しみます。それゆえキリスト教共同体は特別にマリアを身近に感じます。キリスト教共同体は、主の受難のしるしを担う、苦しみのうちにある自分たちの仲間のまわりに集まるからです。マリアは試練のうちにある人とともに苦しみ、彼らとともに希望します。マリアは彼らを力づけ、母としての助けをもって支えます。「神であるあがない主は、あがなわれた者の中で、もっとも高められた聖なる母の心を通して、すべての苦しむ者の心に入りたいと願われます」(教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡『サルヴィフィチ・ドローリス――苦しみのキリスト教的意味――』26)。まことに、多くの病者の霊的経験は、わたしたちがこのことをますます理解するよう促しているのではないでしょうか。

3. ルルドは、わたしたちが、病気や苦しみのうちにある子らに対する無原罪のおとめの母としての愛に思いを致すように導きます。そうだとすれば、これから開催される国際聖体大会は、祭壇の秘跡のうちにおられるイエス・キリストを礼拝し、決して失望させることのない希望であるこのかたにわたしたちをゆだね、からだと心をいやす不死の妙薬であるこのかたを受け入れるための、よい機会となります。イエス・キリストはご自分の苦難と死と復活によって世をあがない、地上を旅するわたしたちの「いのちのパン」として、わたしたちとともにとどまることを望まれました。「聖体――世のいのちのための神のたまもの」。これが次の国際聖体大会のテーマです。それは次のことを強調します。聖体は、御父が、受肉して十字架につけられた御独り子により、世のために与えてくださったたまものです。独り子は、聖体の食卓のまわりにわたしたちを集めます。弟子たちが、苦しむ人、病気の人を愛深く気遣うよう促します。キリスト教共同体は、苦しむ人、病気の人のうちに、主のみ顔を認めるからです。シノドス後の勧告『愛の秘跡』の中で指摘したように、「わたしたちの共同体は、感謝の祭儀を行うとき、ますますこのことを自覚しなければなりません。すなわち、キリストのいけにえはすべての人のためのものです。だから聖体は、キリストを信じるすべての人が他の人のために『裂かれたパン』となるよう駆り立てます」(同88)。こうしてわたしたちは、とくに困難のうちにある兄弟を自ら助けようと努めるように励まされます。まことに、すべてのキリスト信者の召命は、イエスとともに、世のいのちのために裂かれたパンであることだからです。

4. それゆえ、保健分野の司牧は、まさに聖体から必要な霊的力を得なければならないことが明らかとなります。それは、効果的なしかたで人々を援助し、人々が自らの苦しみの霊的な意味を理解できるように助けるためです。すでに引用した使徒的書簡『サルヴィフィチ・ドローリス――苦しみのキリスト教的意味――』の中で神のしもべヨハネ・パウロ二世が述べているように、教会は、苦しむ兄弟姉妹が、キリストの超自然的な力をもつ多くの人であるかのように考えます(同27参照)。神秘的なしかたでキリストと一つに結ばれ、愛のうちに、神のみ旨に忠実に身をゆだねながら苦しむ人は、世の救いのためにささげられた者として生きるようになります。わたしの愛すべき前任者はまたこういいます。「人が罪によって脅かされれば脅かされるほど、また、今日の世界の罪の構造が深くなればなるほど、人間の苦しみはいっそう雄弁に語るようになります。そして教会は、世の救いのために、人間の苦しみの価値にますます頼る必要を感じるようになります」(同)。それゆえ、「世界病者の日」に、わたしたちは世のいのちのための神のたまものである聖体の神秘を、霊的な意味で観想します。そうであれば、わたしたちはケベックにおいて、人間の苦しみが実際に神の救いのわざにあずかることを記念するだけでなく、ある意味で、信じる者に約束された貴いたまものを味わうでしょう。こうして、信仰のうちに受け入れられた苦しみは、あがないをもたらすイエスの苦難の神秘に入り、イエスとともに復活の平和と幸いに至るための扉となります。

5. わたしはすべての病者と、さまざまな形で病者を世話するすべての人々に心からごあいさつ申し上げます。そして、教区と小教区共同体が、ルルドにおける聖母の出現150周年と国際聖体大会の幸いな偶然の一致を十分に生かしながら、今回の「世界病者の日」を開催してくださるようお願いします。この「世界病者の日」が、ミサと、聖体礼拝と、聖体への信心の重要性を強調するための機会となりますように。こうして、医療施設の礼拝堂が、イエスが人類のいのちのために御父に絶えずご自身をささげる、心臓の鼓動となりますように。品位をもって、祈りの心のうちに病者に聖体を授けることも、さまざまな病気によって苦しむ人々にまことの慰めを与えます。
 さらにこの「世界病者の日」が、病に苦しむ人、保健従事者、保健分野の司牧のために働く人々の上に、マリアの母としてのご保護を特別に祈り求めるための貴重な機会となりますように。とくにわたしは、この分野に従事する司祭や、身体と精神の両面で、病者と助けを必要とする人に奉仕するために献身的に働いておられる、修道者、ボランティアとすべての人々に思いを致します。わたしはすべての人を、神の母にしてわたしたちの母である、無原罪の聖マリアにゆだねます。人間の苦しみと苦難に対する唯一の有効なこたえはキリストであることをすべての人があかしできるよう、マリアが助けてくださいますように。復活したキリストは、死に打ち勝ち、終わりのないいのちをわたしたちに与えてくださったからです。このような思いを込めて、わたしは皆様に心から特別な使徒的祝福を送ります。

バチカンにて
2008年1月11日
教皇ベネディクト十六世

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