教皇ベネディクト十六世の2008年1月13日の「お告げの祈り」のことば 主の洗礼

教皇ベネディクト十六世は、主の洗礼の祝日の1月13日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタ […]

教皇ベネディクト十六世は、主の洗礼の祝日の1月13日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
「お告げの祈り」の後、教皇は、その日ローマで行われる「世界難民移住移動者の日」にあたって、次のようにイタリア語で述べました(日本では、世界難民移住移動者の日を9月の第4日曜日――2008年は9月28日――に行います)。2008年の「世界難民移住移動者の日」のテーマは「移住者の青年」です。教皇の「2008年世界難民移住移動者の日メッセージ」(2007年10月18日付)は2007年11月28日に発表されています。
「今日は『世界難民移住移動者の日』が行われます。今年の『世界難民移住移動者の日』は移住者の青年に注目します。実際、多くの青年が、さまざまな理由で家族と祖国を離れて暮らすことを強いられています。若年の女性と未成年者がとくに危険にさらされています。難民キャンプで生まれる子どもと青少年もいます。彼らも未来に対する権利をもっています。移住者の青年とその家族のために働き、彼らの労働と就学の支援に努める人々に感謝します。教会共同体にお願いします。若者と両親に伴われた子どもを共感をもって受け入れ、彼らの事情を理解し、社会参加を促すことに努めてください。親愛なる移住者の青年の皆様。同世代の若者とともに、より公正で兄弟愛に満ちた社会を築き、自らの務めを果たし、法を尊重し、暴力に捉えられることのないように努めてください。皆様を全人類の母であるマリアにゆだねます」。
なお、この日、教皇は、午前10時からシスティーナ礼拝堂でささげたミサの中で、13名の新生児(8名の女児と5名の男児)に洗礼を授けました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日の主の洗礼の祝日をもって、降誕節が終わります。東方から来た占星術の学者は、ベツレヘムで象徴的な贈り物をささげながら幼子を拝みました。この幼子は、今や大人となって、ヨルダン川で偉大な預言者ヨハネから洗礼を受けます(マタイ3・13参照)。福音書はこう記します。イエスが洗礼を受け、水の中から上がると、天が開け、聖霊が鳩のようにイエスの上に降って来ました(マタイ3・16参照)。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者」(マタイ3・17)という声が、天から聞こえました。こうして、ナザレでの30年間にわたる隠れた生活の後、イエスは初めて公に姿を現しました。この特別な出来事を、洗礼者ヨハネのほかに、ヨハネの弟子が目撃しました。この弟子の幾人かは、そのときからイエスに従う者となりました(ヨハネ1・35-40参照)。「キリストの顕現」は、同時に「神の顕現」でした。何よりもイエスはご自分を「キリスト」として現しました。「キリスト」はヘブライ語の「メシア」をギリシア語に翻訳したことばです。「メシア」は「油を注がれた者」の意味です。イエスは、イスラエルの王や大祭司の場合のように油によって油を注がれたのではなく、聖霊によって油を注がれました。神の子のしるしと同時に、聖霊のしるしと天の父のしるしも現されたのです。
 イエスは、洗礼者ヨハネが思いとどまらせようとしたのをさえぎって、父のみ旨を果たすことを望みました(マタイ3・14-15参照)。このイエスの行為は何を意味するのでしょうか。その深い意味は、キリストの地上での生涯の終わりに、すなわちキリストの死と復活のときに、初めて明らかになります。イエスは罪人たちとともにヨハネから洗礼を受けることによって、全人類の罪の重荷を自らの上に担い始めました。イエスは世の罪を「除く」神の小羊だからです(ヨハネ1・29参照)。これが、イエスが十字架上で完成するわざです。イエスは十字架上でも「洗礼」を受けるからです(ルカ12・50参照)。実際、イエスは死ぬことによって御父の愛のうちに自らを「浸し」、聖霊を注ぎます。それは、彼を信じる者が、言い表しがたい新しい永遠のいのちの泉から復活することができるようにするためです。キリストの使命全体は、わたしたちに聖霊によって洗礼を授けることだと、まとめることができます。こうしてわたしたちは死の奴隷状態から解放されます。すると「わたしたちに向かって天が開け」ます。すなわち、わたしたちはまことの完全ないのちに近づくことができるようになります。まことの完全ないのちに近づくとは、「存在の無限の広がりにますます浸されることです。こうしてわたしたちはひたすら喜びに満たされます」(教皇ベネディクト十六世回勅『キリスト教的希望について(Spe salvi)』12)。
 これが、今朝わたしがシスティーナ礼拝堂で洗礼の秘跡を授けた13名の子どもたちにも行われたことです。この子どもたちとそのご家族のために至聖なるマリアのご加護がありますように祈り求めます。また、すべてのキリスト信者のために祈ります。どうかすべてのキリスト信者が、洗礼の恵みをいっそう理解し、一貫したしかたでこの恵みを生き、父と子と聖霊の愛をあかしすることができますように。

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