教皇ベネディクト十六世の2008年1月20日の「お告げの祈り」のことば 絶えず祈りなさい

教皇ベネディクト十六世は、年間第2主日の1月20日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 2日前、「キリスト教一致祈祷週間」が始まりました。「キリスト教一致祈祷週間」の間、カトリック、正教会、聖公会、そしてプロテスタントの人々は、自分たちの分裂が人々に福音が受け入れられるための障害となっていることを自覚しながら、主が完全な交わりのたまものを与えてくださるように、ますます強く、ともに祈り求めます。この摂理的な祈りは100年前に生まれました。100年前、ポール・ワトソン神父(1863-1940年)が、キリストのすべての弟子の一致を求める「八日間の祈り」を始めたからです。今日この機会に、ワトソン神父の霊的な兄弟姉妹である、アトンメントのフランシスコ会の兄弟姉妹がサンピエトロ広場に来ておられます。わたしは心からこのかたがたにごあいさつ申し上げるとともに、彼らが一致のためのその特別な取り組みを続けてくださるよう励まします。わたしたちには皆、「一つになるように」というキリストの望みにこたえて、キリスト者の間のあらゆる分裂を克服するために祈りかつ働く務めがあります。祈り、心の悔い改め、交わりの絆を強めることが、この霊的な運動の本質です。この霊的な運動が、キリストの弟子を、ともに感謝の祭儀(ユーカリスト)を行うことへとすぐに導いてくれることをわたしたちは希望します。感謝の祭儀(ユーカリスト)をともに行うことこそが、キリストの弟子の完全な一致を示すからです。
 今年の「キリスト教一致祈祷週間」の聖書のテーマはたいへん意味深いものです。すなわち「絶えず祈りなさい」(一テサロニケ5・17)です。聖パウロは、内部の対立と争いを経験していたテサロニケの共同体に手紙を書きました。それは、ある根本的な態度に彼らの注意を強く促すためでした。この根本的な態度の中で際立っていたのが、まさに絶えず祈ることでした。この招きによって聖パウロがいいたかったのは、キリストと聖霊における新しい生活から、利己主義を乗り越え、平和と兄弟の一致のうちにともに生き、他の人の重荷と苦しみを進んで担う力が生まれるということです。わたしたちはキリスト者の一致のために倦(う)むことなく祈らなければなりません。イエスが最後の晩餐の中で、弟子たちが「一つになる」ことを祈ったのは、はっきりとした目的をめざしてのことでした。すなわち、「世が信じるようになるため」(ヨハネ17・21)です。それゆえ、教会の福音宣教の使命はエキュメニズムの道を通って行われます。エキュメニズムの道とは、信仰の一致と、福音のあかしと、真の意味での兄弟愛の道だからです。
 例年のように、わたしは今週、1月25日の木曜日にサン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ大聖堂に行き、荘厳な夕の祈りをもって「キリスト教一致祈祷週間」を終えます。わたしはローマに住む人々と巡礼者の皆様にお願いします。どうかわたしと、この集会に参加するすべての教会・教会共同体のキリスト者とともに、洗礼を受けたすべての人の和解という貴いたまものを与えてくださるよう神に祈り求めてください。わたしたちは今日、神の母がローマのサンタンドレア・デッレ・フラッテ教会でアルフォンソ・ラティスボン(1814-1884年)に現れたこと(1842年)を記念します。神の母の取り次ぎによって、主が主のすべての弟子に豊かな聖霊の恵みを与えてくださいますように。こうしてわたしたちがともに完全な一致に達し、世が緊急に必要としている信仰と生活のあかしを行うことができますように。

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