教皇ベネディクト十六世の125回目の一般謁見演説 キリスト教一致祈祷週間

1月23日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の125回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、1月18日(金)から25日(金)まで行われている「キリスト教一致祈祷週間」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、テサロニケの信徒への手紙一5章12、16-18節が朗読されました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 わたしたちは「キリスト教一致祈祷週間」を行っています。「キリスト教一致祈祷週間」は、使徒パウロの回心の祝日である、今週の金曜日、1月25日に終わります。さまざまな教会・教会共同体のキリスト者がこの機会に集まって、イエスの弟子の完全な一致が回復されることを、声を一つにして主イエスに祈り求めます。わたしたちは、あがない主ご自身の望みにこたえ、一つの魂、一つの心で、一致してこの祈願を行います。あがない主は最後の晩餐の中で、御父に向かっていわれたからです。「また、彼らのためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります」(ヨハネ17・20-21)。キリスト者は、一致の恵みを祈り求めることによって、キリストの祈りに結ばれます。そして、すべての人がキリストを受け入れ、キリストを唯一の牧者また唯一の主として認め、そこから、キリストを愛する喜びを味わうことができように、積極的に働きかけようと努めます。
 今年の「キリスト教一致祈祷週間」は特別に重要な意味をもっています。なぜなら、開始から100周年を記念するからです。じつに「キリスト教一致祈祷週間」は、初めから実り豊かな洞察を行っていました。それは1908年に始まりました。米国聖公会に属し、後にカトリック教会に入った、「アトンメントのフランシスコ会(アトンメントの兄弟姉妹会)」創立者のポール・ワトソン神父(1863-1940年)は、もう一人の聖公会司祭スペンサー・ジョーンズとともに、キリスト教一致のための八日間の祈りという預言的な考えを発表しました。この考えはニューヨーク大司教と教皇大使から好意的に迎えられました。その後1916年に、一致のための祈りの呼びかけは、わたしの敬愛すべき先任者である教皇ベネディクト十五世が書簡『アド・ペルペトゥアム・レイ・メモリアム(Ad perpetuam rei memoriam)』を公布したおかげで、カトリック教会全体に広まりました。「キリスト教一致祈祷週間」は、大きな関心を呼び、次第にあらゆる地域で行われるようになり、時とともにいっそう形を整えていきました。これにはクトゥリール大修道院長(1881-1953年)も貢献しました(1936年)。その後、第二バチカン公会議の預言的な息吹を受けて、一致の緊急性がますます意識されるようになりました。公会議後、すべてのキリスト者の完全な交わりを求める忍耐強い歩みが続いています。このエキュメニズムの歩みは、年を追うごとに、「キリスト教一致祈祷週間」を適切かつ有益な機会とみなすようになりました。一致のためにともに祈ろうという最初の呼びかけから100年が過ぎた今、「一致祈祷週間」は、ワトソン神父が最初に決めた精神と期間を保ちながら、しっかりとした伝統となっています。実際、ワトソン神父はこの期間を象徴的な性格に基づいて決めました。当時の典礼暦では1月18日は聖ペトロの使徒座の祝日でした。聖ペトロの使徒座は神の民の一致の強い基盤であり、また確実な保証です。1月25日は、現在と同じく、典礼で聖パウロの回心の祝日を祝います。わたしたちは100年にわたる祈りと、キリストの多くの弟子の共通の取組みが行われたことについて主に感謝します。そして、この摂理的な霊的祈りの考案者であるワトソン神父と、ワトソン神父とともに、この祈りをそれぞれの貢献によって推進し、豊かなものとし、すべてのキリスト者の共通の遺産としてくれたかたがたを感謝のうちに思い起こします。
 たった今お話ししたように、第二バチカン公会議は、とくに『エキュメニズムに関する教令(Unitatis redintegratio)』によって、キリスト者の一致というテーマに大きな注意を払いました。『エキュメニズムに関する教令』の中では、とりわけ一致のための祈りの役割と重要性が強く強調されています。公会議はいいます。祈りはエキュメニズムの歩み全体の中心です。「この回心と聖なる生活とは、キリスト教徒の一致のために行われる私的および公的祈願とともに、全エキュメニカル運動の魂とみなすべきである」(『エキュメニズムに関する教令』8)。この霊的エキュメニズム――聖なる生活、回心、私的および公的祈願――のおかげで、一致を求める共同の歩みは過去数十年の間に大いに進展しました。この歩みはさまざまな取組みによって多彩なしかたで行われています。すなわち、異なる教会・教会共同体に属する人々が互いに知り合うことから、兄弟として交わることまで。いっそう親しく話し合うことから、さまざまな分野における協力まで。神学対話から具体的な形での交わりと協力の探求まで。すべてのキリスト者の完全な交わりへの歩みを生かしてきたもの、またこれからも生かし続けるものは、何よりも祈りです。「絶えず祈りなさい」(一テサロニケ5・17)が今年の「一致祈祷週間」のテーマです。これは同時に、わたしたちの共同体の中でも絶えず響き渡り続ける招きです。なぜなら祈りは、わたしたちの共通の主にへりくだって忠実に聞き従う、わたしたちの歩みの光であり、力であり、導きだからです。
 第二に、公会議は共同の祈りを強調します。共同の祈りとは、カトリックの人々とカトリック以外のキリスト者が唯一の天の父にともにささげる祈りです。そのため『エキュメニズムに関する教令』は述べます。「このような共同の祈りは、確かに一致の恵みを求めるための効果的な手段である」(『エキュメニズムに関する教令』8)。それゆえキリスト教共同体は、共同の祈りにおいて、主の前で一つに結ばれ、分裂によって生じた違いを自覚し、主の全能の助けにより頼みながら、主のみ旨に忠実に従いたいという望みを表明します。さらに『教令』は続けていいます。祈りは「カトリック信者と分かれた兄弟とを今でも結び合わせているきずなを正しく表現するものである」(同)。それゆえ共同の祈りは、自発的な行為でも、たんなる社会的な行為でもなく、すべてのキリストの弟子を一致させる信仰の表現です。年が経つにつれて、この分野における実り豊かな協力関係が確立してきました。1968年以来、キリスト教一致推進秘書局――後のキリスト教一致推進評議会――と世界教会協議会は共同で「キリスト教一致祈祷週間」の手引きを作成しています。この手引きはやがて、単独で行えば手が届かないような世界のあらゆる地域に共同で配布されます。
 公会議の『エキュメニズムに関する教令』は、最後に、一致のための祈りについて述べます。それは、公会議が「キリストの一にして唯一の教会の一致の中にすべてのキリスト教徒を和解させるというこの聖なる目標が人間の力と才能を越えるものであることを自覚する」からです。「このために、キリストの教会のための祈り・・・・にそのすべての希望を置く」(『エキュメニズムに関する教令』24)のです。わたしたちの人間としての限界の自覚こそが、主のみ手に信頼をもって自分をゆだねることへとわたしたちを促します。「キリスト教一致祈祷週間」の深い意味は、キリストの祈りにしっかりとより頼むことだということができます。キリストは教会の中で祈り続けておられるからです。「すべての人を一つにしてください。・・・・そうすれば、世は・・・・信じるようになります」(ヨハネ17・21)。今日、わたしたちは、このことばが真実であることを強く感じます。世は神の不在によって、すなわち神に近づくことができないことによって苦しんでいます。世は神のみ顔を知ることを望んでいます。しかしわたしたちキリスト者が分裂し、ある教えが別の教えと対立し、一方が他方と対立しているなら、現代人はどうしてイエス・キリストのみ顔の内にこの神のみ顔を認めることができるでしょうか。わたしたちは一致することによって初めて、この世に――それを望んでいる世に――神のみ顔を、すなわちキリストのみ顔を本当に示すことができます。対話や、わたしたちが行っていることはとても必要なことです。けれども、わたしたち自身のさまざまな計画によってこの一致を達成できないことも明らかです。わたしたちにできるのは、主が与えようとされるときに、この一致を受け入れる準備をし、またその能力をもつことです。これが祈りの意味です。祈りとは、わたしたちの心を開き、わたしたちの内に、このようにキリストへと道を開く準備のできた状態を造り出すことです。古代教会の典礼の中で、説教の後、司教または司式者すなわち主司式者はこういっていました。「主に向かいなさい(Conversi ad Dominum)」。それから主司式者と会衆は立ち上がり、東に身を向けました。すべての者はキリストに目を向けようと望みました。このような回心を行うことによって、すなわち、このようにキリストに向かうことによって、ともにキリストに目を向けることによって、初めてわたしたちは、一致のたまものを見いだすことができるのです。
 一致のための祈りは、とくに第二バチカン公会議から始まったエキュメニズム運動のさまざまな歩みを生かし、これに同伴してきたということができます。第二バチカン公会議後の時期に、カトリック教会はさまざまな形の神学対話によって、東方と西方の諸教会・教会共同体と接触を開始しました。そして、これらの教会・教会共同体とともに、数世紀間に生じ、分裂の要素となった神学的・歴史的問題に取り組んできました。主は、こうした友好関係によって、わたしたちが相互理解を改善し、交わりを深めることを可能にしてくださいました。同時にわたしたちは、いまだに残っていて、分裂の元となっているさまざまな問題をはっきりと認識しています。キリスト教一致祈祷週間の中の今日、わたしたちは神に感謝します。神はこれまでの歩みを支え、照らしてくださったからです。この実り豊かな歩みを公会議の『エキュメニズムに関する教令』は「聖霊の恩恵に励まされ」、「日に日に盛んになっている」(『エキュメニズムに関する教令』1)と述べます。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。使徒パウロがテサロニケの初期のキリスト信者に向けて述べた、「絶えず祈りなさい」という招きにこたえようではありませんか。テサロニケの共同体はパウロが自ら創立したものです。対立が生じたことを知ったパウロは、彼らに勧告します。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。悪をもって悪に報いることのないようにしなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うように努めなさい。どんなときにも喜んでいなさい。なぜなら、主は近くにおられるからです。聖パウロのテサロニケの信徒への勧めは、現代においてもエキュメニカルな関係の分野におけるキリスト者の態度を力づけることができます。何よりもパウロはいいます。「互いに平和に過ごしなさい」。そして、「絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(一テサロニケ5・13、18参照)。わたしたちも使徒のこの切迫した勧めを受け入れようではありませんか。それは、エキュメニズム運動において達成された進展について主に感謝し、完全な一致を願い求めるためです。教会の母であるおとめマリアの執り成しによって、神である御子のすべての弟子が早く平和と互いの愛の内に生きることができるようになりますように。そして、全世界に説得力のあるしかたで和解のあかしを行うことができますように。それは、キリストのみ顔の内に神のみ顔に近づくことができるようにするためです。キリストはわたしたちとともにおられる神であり、平和と一致の神だからです。

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