教皇ベネディクト十六世の2008年1月27日の「お告げの祈り」のことば イエスの福音

教皇ベネディクト十六世は、年間第3主日の1月27日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリ […]

教皇ベネディクト十六世は、年間第3主日の1月27日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
「お告げの祈り」の後、教皇は、イタリア語で次の呼びかけを行いました。
「今日は『世界ハンセン病デー』です。『世界ハンセン病デー』は55年前にラウル・フォルロー(1903-1977年)によって始められました。ハンセン病を患うすべての人にわたしは心からのごあいさつを送ります。またわたしは、さまざまな形でハンセン病を患う人を助けるために働く人々、とくに『ラウル・フォルロー友の会』のボランティアのかたがたに特別な祈りをささげることを約束します」。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日の典礼で、今年の典礼暦年全体を通してわたしたちとともに歩む福音書記者マタイは、キリストの公生活の始まりを示します。キリストの公生活とは、本質的に、神の国を宣べ伝え、病人をいやすことでした。それは、神の国が近づいていること、そればかりか、神の国が実際にわたしたちのただ中にあることを示すためでした。イエスはガリラヤで宣教を始めました。イエスが育ったガリラヤは、ユダヤ人の国の中心と比べて「辺境」の地域でした。ユダヤ人の国の中心はユダヤであり、その中にあるエルサレムでした。しかし、すでに預言者イザヤは、ゼブルンとナフタリ族にあてがわれたこの地が未来の栄光を受けることをあらかじめ告げていました。暗闇に住む民は大いなる光を見ます(イザヤ8・23-9・1参照)。大いなる光とは、キリストとその福音の光です(マタイ4・12-16参照)。イエスの時代、「福音」ということばは、ローマ皇帝がその布告を表すために使われていました。内容とは無関係に、「福音」は「よい知らせ」、すなわち救いの知らせと定められました。なぜなら、皇帝は世界の主であり、皇帝の命令はすべて善いものをもたらすと考えられたからです。それゆえ、このことばをイエスの宣教にあてはめて用いることは、きわめて批判的な意味をもちました。それはいわば、皇帝ではなく、神が世界の主であり、まことの福音はイエス・キリストの福音だと述べることになるからです。
 イエスが宣べ伝えた「よい知らせ」は次のことばにまとめられます。「神の国――または、天の国――は近づいた」(マタイ4・17、マルコ1・15)。このことばは何を意味するのでしょうか。もちろんそれは、空間と時間によって限定された地上の王国を指すのではありません。むしろこのことばが告げるのはこれです。神こそが支配します。神こそが主であり、その支配は今ここにあって、働き、実現しています。それゆえ、イエスのメッセージの新しさは、「イエスのうちに」神が近づき、今やわたしたちのただ中におられるということです。イエスが行った奇跡や病人のいやしが示しているとおりです。神は、人となった御子を通して、聖霊の力によって世を支配します。聖霊は「神の指」(ルカ11・20参照)と呼ばれたからです。イエスが来られると、造り主である聖霊はいのちをもたらし、人はからだと心の病をいやされます。こうして神の支配は、人間が完全にいやされることによって示されます。このことによってイエスは、真の神のみ顔を示そうと望みました。真の神とは、近くにおられる神であり、すべての人に対する憐れみに満ちた神です。あふれるほど豊かないのちを、すなわち、ご自身のいのちをわたしたちに与えてくださる神です。ですから、神の国は、死に打ち勝ついのちです。無知と偽りの闇を追い払う、真理の光です。
 至聖なるマリアに祈ろうではありませんか。マリアの変わることのない執り成しによって、教会が、イエス・キリストに宣教を促したのと同じ神の国への熱意をもつことができますように。神への熱意、すなわち、愛といのちによる神の支配への熱意をもつことができますように。そして、真理のうちに、もっとも貴い宝を与えたいという望みをもって人々に向かう熱意をもつことができますように。この宝とは、人間の造り主であり父である、神の愛です。

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