2008年2月1日の死刑執行に強く抗議します

内閣総理大臣 福田康夫 様   法務省は、2月1日に3人の死刑を執行しました。執行されたのは持田孝さん(65)東京拘置所収容、松原正彦さん(63)大阪拘置所収容、名古圭志さん(37)福岡拘置所収容の3人です。  安倍政権 […]

内閣総理大臣
福田康夫 様

  法務省は、2月1日に3人の死刑を執行しました。執行されたのは持田孝さん(65)東京拘置所収容、松原正彦さん(63)大阪拘置所収容、名古圭志さん(37)福岡拘置所収容の3人です。

 安倍政権のもと、長勢前法務大臣での死刑の執行は10人、福田政権に替わり鳩山法務大臣になってから12月7日に東京、大阪両拘置所で計3人の死刑を執行し、今回の3人を合わせて6人の刑を執行したことになります。安倍政権と福田政権を合わせた1年4か月で、16人にも及ぶ死刑執行が行われ、改めてこの2つの政権の人命軽視の姿勢が伺えます。また昨年の、死刑の執行から2か月たらずの執行は、鳩山法務大臣の進めようとする「死刑執行の自動化」が実施されているのではないかと思います。現在、死刑が確定している人は100人を超えている状況です。確定者が100人を超えれば、自動的に死刑が執行されるのなら、まさに「自動化」への足がかりで、このような死刑の執行はゆるされるはずがありません。

 昨年、12月18日に国連総会で「死刑執行停止を求める決議」が、104か国の承認で採択されました。またG8サミット8か国中で日本と米国を除く6か国には死刑制度はありません。今回の執行は、多くの団体が、死刑制度に反対と疑問を投げかける時代に逆行するものです。聖書には、生殺与奪の権利は神の分野に属するものと書いてあります。また「神は、どんな罪人も悔いあらためるよう望まれる」と教えています。私たちは、被害者とその家族の心痛を考えると、遺族が加害者に極刑を求める思いを理解できます。しかし、人一人のいのちは、何にも代えがたい尊いものであり、そのいのちを奪う権利は、たとえ国家であってもありません。

 犯罪に対する償いはしなければなりませんが、被害者とその家族の本当の癒しに関するプログラムが、日本にはないということも死刑制度に伴う大きな問題です。被害者遺族の真の癒しとなる、加害者の慙愧(ざんき)の心、反省の姿勢に触れることなく、死刑によって、すべてを何も解決しないまま終らせることにもなっているからです。

 歴代法務大臣はたびたび、死刑存置の根拠として、「日本には、死によって償うという文化がある」と発言しています。確かに日本には「仇討ち」や「切腹」を認める精神風土があり、そのことが死刑存置という国民感情につながっているかもしれません。しかし、こうした精神風土は、「死には死を」という「復讐の精神」を育み、「暴力の連鎖」を容認してしまうおそれがあります。現代世界を見るとき、残念ながら、私たちはいまだに「暴力の連鎖」を断ち切ることができません。日本が死刑制度を認めるかぎり、「暴力の連鎖」の背景にある「復讐心」を育むことになってしまいます。一方で「死には死を」と言いながら、他方で未来ある子どもたちに「いのちの大切さ」を教えることが、どうしてできるでしょうか。「正義なしに平和はなく、ゆるしなしに正義はありません」(2002年世界平和メッセージ・教皇ヨハネ・パウロ二世)という精神にこそ、人間らしい道を生み出す力があると確信します。

 以上、「いのちの尊厳」という観点から、度重なる死刑執行に強く抗議し、政府が直ちに死刑執行を停止し、死刑制度の廃止に向けた取り組みの中で、加害者と被害者の双方への対応を根本的に考え直していくことを求めます。

2008年2月8日
日本カトリック正義と平和協議会
死刑廃止を求める部会
委員長ホアン・マシア

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