教皇ベネディクト十六世の129回目の一般謁見演説 聖アウグスチヌスの回心

2月27日(水)午前10時15分から、サンピエトロ大聖堂とパウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の129回目の一般謁見が行われました。教皇はまずサンピエトロ大聖堂で、パウロ六世ホールに入ることのできなかった信者との謁見を行いました。その後、教皇はパウロ六世ホールに移動し、そこで、2006年3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の68回目(2007年3月7日から開始した教父に関する講話の36回目)として、「聖アウグスチヌスの生涯と著作」についての最後の解説を行いました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日の謁見で、わたしは聖アウグスチヌスという人の紹介を終えたいと思います。アウグスチヌスの生涯と著作とその思想のいくつかの側面について述べた後、今日わたしはアウグスチヌスの内的回心に戻りたいと思います。アウグスチヌスの内的回心は、キリスト教の歴史の中で最大の回心の一つだからです。昨年、教会堂にある教父アウグスチヌスの亡骸を崇敬するために行ったパヴィア訪問において、わたしはとくにこのアウグスチヌスの体験を考察しました。その際わたしは、聖アウグスチヌスに対して全カトリック教会からの敬意を表すことを望みました。しかし、同時にわたしは、この人物に対するわたしの個人的な信心と評価も示したいと思いました。わたしの神学者、司祭、司牧者の生活の中で果たしたその役割のゆえに、わたしはアウグスチヌスとの深いきずなを感じているからです。
 現代でも、何よりも『告白』のおかげで、聖アウグスチヌスの体験を追体験することができます。『告白』は神への賛美のために書かれました。そして、自伝という西洋独特の文学形式の起源となりました。自伝は、自己認識を個人的に表現したものです。この本は今日でもよく読まれています。さて、誰でもこの特別に魅力的な書物を手にとるならすぐにわかるように、聖アウグスチヌスの回心は、突然起こったのでも、初めから完全に実現したのでもありません。それはむしろ、真の意味での彼の歩みだということができます。この歩みはわたしたち皆にとっての模範であり続けます。この旅路はたしかに回心とそれに続く洗礼で頂点に達しました。しかし、それは387年の復活徹夜祭で終わりませんでした。そのとき、このアフリカの雄弁家はミラノの司教アンブロジオから洗礼を受けたのでした。実際、アウグスチヌスの回心の歩みは、その生涯の終わりまで謙遜に続けられました。わたしたちはまことにこういうことができます。アウグスチヌスの生涯のさまざまな段階――それは容易に3段階に区分することができます――は、一つの大きな回心をなしています。
 聖アウグスチヌスは情熱的な真理の探求者でした。それは初めから、また全生涯を通していえます。回心の歩みの第一段階は、キリスト教への段階的な接近の中で行われました。実際、アウグスチヌスはキリスト教の教育を母モニカから受けました。アウグスチヌスはこの母につねに結ばれていました。青年時代、放縦な生活を送っていたときも、アウグスチヌスはキリストに深い魅力を感じていました。アウグスチヌスは、母の乳を吸っていた頃から、主の名を愛していたからです。アウグスチヌス自身が強調しているとおりです(『告白』:Confessiones, III, 4, 8参照)。しかし、哲学、何よりもプラトン主義的哲学が、後にアウグスチヌスをキリストに近づけるのに役立ちました。それは「ロゴス」、すなわち創造主としての理性の存在を彼に示したからです。哲学者の書物は、全世界は理性から生じたことを教えました。しかしどうすればこの「ロゴス」に達することができるかは教えてくれませんでした。それゆえ「ロゴス」は遠く離れたものに思われました。カトリック教会の信仰のもとで、聖パウロの手紙を読むことによって初めて、完全な意味で真理が明らかになりました。この体験はアウグスチヌスによって『告白』のもっとも有名な箇所にまとめられています。アウグスチヌスはいいます。自らを振り返って苦悩しながら、庭に出ました。すると突然、幼い子どもが繰り返して歌う声が聞こえてきました。「とれ、よめ、とれ、よめ(tolle, lege, tolle, lege)」(『告白』:Confessiones, VIII, 12, 29〔山田晶訳、『世界の名著14』中央公論社、1968年、285頁〕)。そのときアウグスチヌスはアントニオス(Antonios 251頃-356年)の回心を思い起こしました。アントニオスは修道制の父です。そして、急いで、少し前に手にしていたパウロの手紙を読み返しました。パウロの手紙を開くと、ローマの信徒への手紙の箇所に目がとまりました。そこで使徒は、肉のわざを捨て、キリストを身にまとうように勧めていました(ローマ13・13-14)。アウグスチヌスは、このことばがこのとき自分に個人的に向けられたものであることを悟りました。このことばは使徒を通して神から来たものです。そして、今このときに自分が何をすべきかをアウグスチヌスに示していました。こうしてアウグスチヌスは、疑いの闇が消え失せ、ついに自分のすべてをキリストに進んでささげることができると感じました。アウグスチヌスはいっています。「あなたはわたしを、ご自分のほうにむけてくださった」(『告白』:Confessiones, VIII, 12, 30〔前掲山田晶訳、288頁〕)。これが第一の、決定的な回心でした。
 アフリカの雄弁家だったアウグスチヌスが長い歩みを経てこの根本的な段階に達することができたのは、彼の人間と真理に対する情熱のおかげでした。この情熱が、偉大で近づきがたい神を探求するようアウグスチヌスを導いたのです。キリストへの信仰によって、アウグスチヌスは、遠く離れているように見えた神は、実際には遠く離れたかたでないことを悟りました。実際、神はわたしたちの近くに来られ、わたしたちの一人となられたのです。この意味で、キリストへの信仰は、真理への道を歩むアウグスチヌスの長い探求を終わらせました。わたしたちが「触れることができる」者となり、わたしたちの一人となってくださった神のみが、そのかたに向かって祈ることができる神となったのです。この神のために、またこの神とともに、わたしたちは生きることができるからです。これは勇気とともに謙遜をもって歩まなければならない道です。それは絶えざる清めヘの道でもあります。わたしたちはつねに清めを必要としているからです。しかし、すでに述べたように、この387年の復活徹夜祭でアウグスチヌスの歩みが終わったわけではありませんでした。アウグスチヌスはアフリカに帰り、小さな修道院を創立しました。アウグスチヌスはこの修道院にわずかな友人とともに隠れ住み、観想生活と勉学に励みました。これがアウグスチヌスの生涯の夢でした。今やアウグスチヌスは、キリストとの友愛のうちに、完全に真理のため、また真理とともに生きるよう招かれました。キリストは真理だからです。このすばらしい夢は3年しか続きませんでした。3年後にアウグスチヌスは、不本意ながら、ヒッポで司祭として聖別され、信者に奉仕することになったからです。アウグスチヌスはキリストとともに、キリストのために生き続けました。しかしそれは、すべての人に奉仕するためでした。これはアウグスチヌスにとってたいへん難しいことでした。けれども彼は初めから悟りました。自分の私的な観想のためだけでなく、人のために生きることによって初めて、本当の意味でキリストとともに、キリストのために生きることができるのだということを。こうして黙想にのみささげた生き方を断念することによって、アウグスチヌスは、困難を伴いながらも、自分の理解の成果を人のために用いることを学びました。自分の信仰を民衆に伝え、そこから、自分の町となった町の人々のために生きることを学びました。彼は膨大な重い仕事を、倦(う)むことなく果たしました。アウグスチヌスのすばらしい説教の一つに述べられているとおりです。「たえず説教し、議論し、繰り返し話し、教え、すべての人のために働くこと――それは莫大な責務であり、大きな重荷であり、途方もない労苦です」(『説教集』:Sermones, 339, 4)。しかしアウグスチヌスはこの重荷を負いました。まさにこのことによって自分がキリストに近づくことができると知っていたからです。単純さと謙遜をもって初めて人に近づけることを悟ること――これが、アウグスチヌスの真の意味での第二の回心でした。
 しかし、アウグスチヌスの歩みには最後の段階、すなわち第三の回心があります。この回心によって、アウグスチヌスは、その生涯の毎日、神にゆるしを願うよう導かれました。初めアウグスチヌスはこう考えました。ひとたび洗礼を受け、キリストとの交わりと、秘跡と、感謝の祭儀を生きるようになれば、山上の説教で示された生活を実現できる。すなわち、洗礼によって、また聖体に強められることによって、完徳が与えられるのだと。生涯の終わりに、アウグスチヌスは悟りました。山上の説教についての最初の説教で自分が述べたこと――すなわち、わたしたちキリスト信者はこの理想を絶えず生きるということ――は、間違いだったと。キリストご自身だけが、山上の説教を、真の意味で完全に実現するのです。わたしたちはいつもキリストに清めてもらわなければなりません。キリストはわたしたちの足を洗ってくださるからです。そして、キリストによって新たにしてもらわなければなりません。わたしたちは絶えず回心しなければなりません。わたしたちは最後までこのへりくだりを必要としています。へりくだって、こう認めることを必要としています。わたしたちは、主が決定的にわたしたちに手を差し伸べ、永遠のいのちに導いてくださるまで、罪人して歩みます。このような徹底したへりくだりの態度をもって、アウグスチヌスは死までの日々を過ごしました。
 唯一の主イエスに対するこのへりくだりの態度は、アウグスチヌスに知的な謙遜をも体験させました。実際、アウグスチヌスは思想史の中で最大の思想家ですが、生涯の終わりに自分の多くの著作を批判的に吟味することを望みました。これが『再考録』(Retractationes)を書いた理由です。こうして『再考録』は、真の意味で偉大なアウグスチヌスの神学思想を、謙遜で聖なる信仰の中に加えました。アウグスチヌスはこの信仰を単純に「カトリック」の信仰、すなわち教会の信仰という名で呼びます。この独創的な書物の中でアウグスチヌスは述べます。「わたしは理解しました。唯一のかただけが真の意味で完全です。山上の説教のことばは唯一のかたによってのみ、すなわちイエス・キリストご自身によってのみ、完全に実現されます。しかし全教会――すなわち、使徒を含めた、わたしたち――は、毎日祈らなければなりません。わたしたちの負い目をゆるしてください。わたしたちも自分に負い目のある人をゆるしましたように」(『再考録』:Retractationes, I, 19, 1-3)。
 真理と愛であるキリストへと回心したアウグスチヌスは、全生涯にわたってキリストに従い、すべての人、すなわち神を求めるすべての人の模範となりました。だからわたしはパヴィア訪問の終わりに、神を愛したこの偉大な人物の墓前で、教会と世界に向けて、理想的なしかたで、『神は愛』という題をつけたわたしの最初の回勅をささげることを望んだのです。実際、この回勅は、とくに第一部において、聖アウグスチヌスの思想に多くを負っています。アウグスチヌスの時代と同じく、今日も、人類は、この根本的な現実を知り、何よりも生きることを必要としています。神は愛です。そして神と出会うことのみが、人の心の不安に対するこたえです。心は希望が宿る場所です。もしかすると、多くの現代人の心は今なお暗闇のうちにあり、このことに気づいていません。しかし、わたしたちキリスト信者の心はすでに未来へと開かれています。聖パウロがいうとおりです。「わたしたちは、このような希望によって救われているのです」(ローマ8・24)。わたしは2番目の回勅『スペ・サルヴィ(キリスト教的希望について)』を希望にささげることを望みました。この回勅も、アウグスチヌスと、アウグスチヌスの神との出会いに多くを負っています。
 聖アウグスチヌスは、もっともすばらしい文章の中で、祈りは望みの表現だといっています。そして、神はわたしたちの心をご自身に向けて広げることによってこたえてくださると述べています。わたしたちも自分の望みと希望を清めなければなりません。それは、神の優しさを受け入れるためです(『ヨハネの手紙一講解』:In Johannis epistulam ad Parthos tractatus, 4, 6)。実際、このことだけが、すなわち自分の心を他の人に開くことだけが、わたしたちを救います。ですから祈ろうではありませんか。わたしたちも、この偉大な回心者の模範に従って日々を生きることができますように。そして、アウグスチヌスと同じように、生涯のあらゆるときに主イエスと出会うことができますように。主イエスは、わたしたちを救い、清め、まことの喜びと、まことのいのちを与えてくださる唯一のかただからです。

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