教皇ベネディクト十六世、復活祭メッセージ(ローマと全世界へ)(2008.3.23)

3月23日(日)正午に、サンピエトロ大聖堂階段上から、教皇ベネディクト十六世は、復活祭のメッセージを発表しました。メッセージは「ローマと全世界へ」(ウルビ・エト・オルビ)と呼ばれ、毎年、降誕祭と復活祭に発表されています。 […]

3月23日(日)正午に、サンピエトロ大聖堂階段上から、教皇ベネディクト十六世は、復活祭のメッセージを発表しました。メッセージは「ローマと全世界へ」(ウルビ・エト・オルビ)と呼ばれ、毎年、降誕祭と復活祭に発表されています。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
メッセージの発表の後、63か国語による祝福が述べられました。教皇は51番目に日本語で次のように述べました。「ご復活祭おめでとうございます」。最後の祝福は、ラテン語で行われました。「わたしは復活し、あなたとともにいる。アレルヤ」(Resurrexi, et adhuc tecum sum. Alleluia!)。この詩編139編18節からとられたことばは、復活祭メッセージ冒頭でも引用されています。最後に全世界の人々への祝福が行われました。
この日はあいにくの雨でしたが、教皇は、午前10時30分からサンピエトロ広場で復活の主日の日中のミサをささげました。


 

  「わたしは復活し、あなたとともにいる。アレルヤ」(Resurrexi, et adhuc tecum sum. Alleluia!)。親愛なる兄弟姉妹の皆様。十字架につけられて復活したイエスは、今日わたしたちにこの喜びの知らせを、すなわち復活の知らせを、繰り返して告げます。深い驚きと感謝をもってこの知らせを受け入れようではありませんか。
  「わたしは復活し、なおも永遠にあなたとともにいる」(Resurrexi, et adhuc tecum sum)。この詩編138編19節の古代の訳からとられたことばは、今日のミサの初めに唱えられました。復活の太陽がのぼったとき、教会はこのことばのうちに、イエスご自身の声を見いだしました。イエスは死から復活すると、歓喜と愛に満たされながら父に向かって叫びます。「わたしの父よ、わたしはここにいます。わたしは復活し、あなたとともにいます。そして永遠にあなたとともにいます。あなたの霊はけっしてわたしを見捨てることがありませんでした」。こうしてわたしたちも詩編のもう一つのことばの新たな意味を理解することができます。「天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。・・・・闇もあなたに比べれば闇とはいえない。夜も昼もともに光を放ち、闇も、光も、変わるところがない」(詩編139・8、12)。まことに、荘厳な復活徹夜祭に、闇は光になりました。夜は没することのない昼に取って代わりました。受肉した神のことばの死と復活は、打ち勝つことのできない愛のわざです。愛の勝利です。この愛は、罪と死の奴隷からわたしたちを解き放ってくれたからです。この愛は歴史の流れを変えました。それは人間のいのちに、打ち消すことのできない新たな意味と価値を与えたからです。
  「わたしは復活し、なおも永遠にあなたとともにいる」。このことばは、復活したキリストを仰ぎ見るようにわたしたちを招きます。キリストの声をわたしたちの心のうちに響き渡らせます。ナザレのイエスは、あがないをもたらすいけにえによって、わたしたちを神の子としてくださいました。こうしてわたしたちは、今やイエスと父の神秘的な対話の中に身を置くことができるようになりました。わたしたちは、イエスがかつてイエスに耳を傾けた人々に告げたことばを思い起こします。「すべてのことは、父からわたしに任されています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません」(マタイ11・27)。このことから、わたしたちは気づきます。すなわち、「わたしはなおも永遠にあなたとともにいる」――今日、復活したイエスが父に述べたこのことばは、間接的にわたしたちにも当てはまります。わたしたちは「神の子ども、しかもキリストと共同の相続人です。キリストとともに苦しむなら、ともにその栄光をも受けるからです」(ローマ8・17参照)。キリストの死と復活によって、わたしたちも今日、新たないのちに復活します。そして、キリストと声を合わせて叫びます。「わたしたちも永遠に神とともにいたいと望みます。神は限りなくいつくしみと憐れみに満ちたわたしたちの父だからです」。
  こうしてわたしたちは深い過越の神秘に入ります。イエスの復活という驚くべきわざは、本質的に愛のわざです。父は愛ゆえに、世の救いのために御子を渡されました。子は愛ゆえに、わたしたちすべてのために父にご自分をゆだねました。聖霊は愛ゆえに、イエスのからだを造り変え、死者のうちから復活させました。さらにそれ以上のことが起こります。父は愛ゆえに、子を「あらためて抱き」、栄光のうちに包みます。子は愛ゆえに、聖霊の力を帯びて、わたしたちの造り変えられた人間性をあらためてまとって父に向かいます。今日の祭日に、わたしたちはイエスの復活という、絶対的で独自の経験をあらためて体験します。それゆえこの日から、わたしたちは呼びかけられます。愛であるかたに立ち帰りなさい。わたしたちは招かれます。憎しみと利己主義を退けなさい。わたしたちの救いのためにほふられた小羊の後に従順に従いなさい。あがない主に似た者となりなさい。あがない主の心は「柔和で謙遜」であり、このかたのうちにわたしたちの魂は「安らぎを得られる」からです(マタイ11・29参照)。
  世界中のキリスト信者の兄弟姉妹の皆様。親愛なる、心から真理に心を開いている皆様。だれもこのあがないをもたらす愛の全能の力に心を閉ざすことがありませんように。イエス・キリストはすべての人のために死んで、復活しました。イエス・キリストはわたしたちの希望です。すべての人のまことの希望です。復活したイエスは、父のもとに戻る前にガリラヤで弟子たちになさったのと同じように、今日、わたしたちをも遣わします。わたしたちもあらゆるところで、イエスの希望の証人となるようにと。そしてイエスはわたしたちにも約束します。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる」(マタイ28・20参照)。心の目をイエスの変容したからだの傷に向けることによって、わたしたちは苦しみの意味と価値を知ることができます。現代においても人類を血で染め続けている多くの傷をいやすことができます。イエスの栄光ある傷のうちに、わたしたちは、預言者たちが述べた、神の限りない憐れみの打ち消しがたいしるしを見いだします。このかたこそ、打ち砕かれた心をいやし、無力な人を守り、捕らわれ人の解放を告げ、すべての悲しむ人を慰め、弔いの服に代えて喜びの香油を、暗い心の代わりに賛美の衣をまとわせるかたです(イザヤ61・1、2、3参照)。へりくだった信頼をもってこのかたに近づくなら、わたしたちはこのかたのまなざしのうちに、わたしたちの心の奥底からの願いに対するこたえを見いだします。それは神を知ることです。神と生きたきずなを結ぶことです。このきずなは、わたしたちの生活と、人々との関係また社会との関係を神の愛で満たします。それゆえ人類はキリストを必要としています。わたしたちの希望であるキリストによって「わたしたちは救われているのです」(ローマ8・24参照)。
  個人と個人、集団と集団、民族と民族の間の関係が、愛ではなく、利己主義と不正と憎しみと暴力によって示されることがどれほど多いことでしょうか。この人類の傷は、地上のあらゆるところに口を開き、人々を苦しめています。たとえそれがしばしば無視され、ときには意図的に隠されることがあったとしてもです。これらの傷は多くのわたしたちの兄弟姉妹の心とからだに痛みを与えています。これらの傷は、復活した主の栄光ある傷によって和らげられ、いやされることを待ち望んでいます(一ペトロ2・24-25参照)。これらの傷は、多くの人の連帯をも待ち望んでいます。人々は、キリストの道とキリストの名に従い、愛のわざを行います。正義をもたらすために積極的に働きます。紛争によって血が流され、人格の尊厳がないがしろにされ、侵害され続けているところに、光り輝く希望のしるしを広めます。まさにこれらの地に、柔和とゆるしがますます示されるようになることをわたしは望みます。
  親愛なる兄弟姉妹の皆様。この荘厳な日から輝く光に照らしていただこうではありませんか。まことの信頼をもって、復活したキリストに心を開こうではありませんか。それは、復活した師であるかたのすべてのものを新たにする力が、わたしたちのうちに、わたしたちの家族のうちに、わたしたちの町のうちに、わたしたちの国のうちに示されるためです。この光が世界のあらゆるところに示されますように。とくにわたしたちはこの時にあたり、ダルフールやソマリアのようなアフリカの一部の地域、苦しむ中東、とくに聖地、イラク、レバノン、そして最後にチベットに思いを致さずにいられるでしょうか。わたしはこれらすべての地域が、善と平和を保障する解決を探求してくださるよう励まします。マリアの執り成しによって、復活の完全なたまものが与えられることを祈り求めようではありませんか。マリアは、罪のない御子の受難と十字架の苦しみにあずかった後、御子の復活の言い表しがたい喜びをも味わったからです。キリストの栄光に結ばれたマリアが、わたしたちを守り、兄弟愛に基づく連帯と平和の道を歩むようわたしたちを導いてくださいますように。このようにわたしは復活祭のごあいさつを申し上げます。わたしはこのごあいさつを、ここにおられるすべての皆様と、ラジオとテレビを通じてわたしたちと結ばれているすべての国と大陸のかたがたに送ります。復活祭おめでとうございます。

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