教皇ベネディクト十六世の133回目の一般謁見演説 復活祭の意味

3月26日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の133回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は「復活祭の意味」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。謁見には30,000人の信者が参加しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  「聖書にあるとおり三日目に復活し〔・・・・〕(Et resurrexit tertia die secundum Scripturas)」。毎日曜日、わたしたちはキリストの復活に対する信仰宣言をあらためて行います。キリストの復活という驚くべき出来事は、キリスト教の要です。わたしたちは、教会において、すべてはこの偉大な神秘から生じたことを知っています。この神秘は歴史の流れを変えたからです。そして、感謝の祭儀を祝うたびごとに現実のものとなるからです。しかし、豊かな教えと、汲みつくすことのできない力に満ちたこのキリスト教信仰の中心的な出来事が、もっとも力強く信者に示される典礼の季節があります。それは、この出来事を多くの人が再発見し、いっそう忠実に生きるためです。それが、復活節です。毎年、聖アウグスチヌスのことばによれば、「キリストの十字架と死と復活の聖なる三日間」の間、教会は祈りと悔い改めの雰囲気の中で、イエスの地上における生涯の最後の歩みを振り返ります。すなわち、イエスは死刑判決を受け、十字架を担いながらカルワリオ(されこうべ)へと登り、わたしたちの救いのためにご自身をいけにえとしてささげ、墓に葬られました。それから「三日目」に、教会はイエスの復活をあらためて体験します。それが復活祭です。復活祭は、イエスの死からいのちへの過越です。この過越によって、昔からの預言が完全に実現しました。復活節の典礼は皆、キリストの復活への確信と喜びを歌います。
  親愛なる兄弟姉妹の皆様。わたしたちは、わたしたちのために死んで復活したキリストとの一致をつねに新たにしなければなりません。キリストの復活はわたしたちの復活でもあります。なぜなら、復活したキリストは、わたしたちに、わたしたちが復活することを確信させてくれるからです。キリストが死者のうちから復活したという知らせは、古びることがありません。イエスはいつも生きておられます。イエスの福音も生きています。聖アウグスチヌスはいいます。「キリスト信者の信仰は、キリストの復活です」。使徒言行録はこのことをはっきりと説明します。「神はこの方(イエス)を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです」(使徒言行録17・31)。実際、イエスの死だけでは、イエスがまことに神の子であり、人々が待ち望んでいた救い主(メシア)であることを示すのに十分ではありませんでした。歴史上、どれほど多くの人が、自らが正しいと信じることのために自らのいのちをささげて死んだことでしょうか。しかし、死者は死者のままです。主の死は、主がどれほど大きな愛をもって、すなわちわたしたちのためにご自身をささげるに至るまで、わたしたちを愛してくださったかを示しました。けれども、主の復活だけが「確証」となります。主がいわれたことが、わたしたちにとっても、すべての時代にとっても真実であることを確信させてくれます。父は主を復活させることによって、主に栄光をお与えになりました。それゆえ聖パウロはローマの信徒への手紙でいいます。「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです」(ローマ10・9)。
  わたしたちの信仰にとって根本的なこの真理をあらためて述べることが重要です。この真理が歴史的真理であることは、多くの文書に記されています。しかし、過去と同じように現代でも、少なからぬ人がさまざまなしかたでそれを疑うばかりか、否定することさえあります。イエスの復活に対する信仰が弱まれば、信者のあかしも弱まります。実際、教会の中で人々が復活をあまり信じなくなれば、すべてが止まり、頼りないものとなります。その反対に、死んで復活したキリストと心と思いを一致させるなら、生活は変わり、個人と民の生活全体が照らされます。キリストが復活したという確信が、すべての時代の殉教者に勇気と大胆な預言と堅忍を与えたのではないでしょうか。生きたキリストとの出会いが、多くの人を回心させ、その心をとらえたのではないでしょうか。多くの人が、キリスト教の初めから、すべてのものを捨て続けています。それは、キリストに従い、福音に仕えるために自分のいのちをささげるためです。使徒パウロはいいます。「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」(一コリント15・14)。しかし、キリストは復活したのです。
  この数日間、わたしたちは次の知らせをつねに耳にしています。イエスは復活しました。イエスは生きておられ、わたしたちはイエスと出会うことができます。それは、イエスと出会った婦人たちと同じようにです。婦人たちは三日目の朝、すなわち安息日の翌日、墓に行きました。イエスと出会った弟子たちと同じようにです。弟子たちは婦人たちが告げたことを聞いて、驚き、うろたえました。復活の後の日々、イエスと出会った多くの他の証人たちと同じようにです。昇天の後も、イエスは友の間にとどまり続けました。次のように約束したとおりです。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる」(マタイ28・20)。主は世の終わりまで、わたしたちとともに、教会とともにおられます。聖霊に照らされながら、初代教会の人々は、公に、恐れることなく、復活の知らせを告げ知らせ始めました。この知らせは、世々にわたって伝えられ、わたしたちのところにまで達しました。そして、毎年、復活祭のとき、つねに新たに力強く響き渡ります。
  とくに復活の八日間の間、典礼はわたしたちをこう招きます。復活した主と個人として出会うように、また、主のわざが歴史の出来事や、わたしたちの日常生活を生かしているのを知るようにと。たとえば、今日の水曜日に、わたしたちはエマオの二人の弟子の感動的な物語にあらためて耳を傾けます(ルカ24・13-35参照)。イエスが十字架につけられた後、悲しみと失意に満たされた二人の弟子は、悲嘆に暮れながら家路についていました。歩きながら、二人はこの数日間エルサレムで起こったことを話し合いました。イエスは彼らに近づき、二人と話し、教え始めました。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちのいったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」(ルカ24・25-26)。モーセとすべての預言者から始めて、イエスは二人に聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明しました。キリストの教え、すなわち、預言についての説明は、エマオの弟子たちにとって思いもかけない啓示でした。この啓示は二人を照らし、力づけました。イエスは聖書を読むための新しい鍵を与えました。こうして、すべてはこの瞬間をめざしていたことがはっきりとしたように思われました。見知らぬ旅人のことばに心をとらえられた二人は、一緒に泊まって夕食をとるようにイエスを招きました。イエスはこの招きを受け入れ、一緒に食事の席に着きました。福音書記者ルカはいいます。「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」(ルカ24・29-30)。この瞬間、二人の弟子の目が開け、イエスだとわかりました。しかし「その姿は見えなくなった」(ルカ24・31)。二人は驚きと喜びに満たされながら、いいました。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」(ルカ24・32)。
  これは典礼暦年全体を通じていえることですが、とくに聖週間と復活の八日間の間、主はわたしたちとともに歩み、聖書を説明してくださいます。主はこの神秘を悟らせてくださいます。すなわち、すべては主について語ります。このことはわたしたちの心をも燃え立たせてくれます。こうしてわたしたちの目も開けます。主はわたしたちとともにいて、わたしたちにまことの道を示してくださいます。二人の弟子が、パンが裂かれるときにイエスだとわかったのと同じように、現代のわたしたちも、パンが裂かれるときに、イエスがともにいてくださることがわかります。エマオの弟子たちはイエスだとわかり、イエスがパンを裂いたときのことを思い起こしました。パンを裂くことによって、わたしたちは、最後の晩餐のときに行われた最初の感謝の祭儀を思い起こします。最後の晩餐は、イエスがご自身を弟子たちにささげた、その死と復活を先取りました。イエスはわたしたちとともに、またわたしたちのためにもパンを裂かれます。聖体のうちにわたしたちとともにいてくださいます。わたしたちにご自身を与え、わたしたちの心を開きます。わたしたちは感謝の祭儀をささげ、みことばに触れます。こうしてわたしたちも、みことばの食卓と、聖別されたパンとぶどう酒の食卓において、イエスと出会い、イエスを知ることができます。主日ごとに、共同体は主の復活をあらためて体験し、愛と兄弟への奉仕のおきてを救い主から与えられます。親愛なる兄弟姉妹の皆様。この数日間の喜びは、十字架につけられて復活したキリストとのわたしたちの忠実な一致を強めます。何よりも、キリストの復活のすばらしさに心をとらえられようではありませんか。マリアの助けによって、わたしたちが復活祭の光と喜びを多くの兄弟に伝える者となることができますように。皆様にあらためて復活祭のお祝いを申し上げます。

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