教皇ベネディクト十六世の140回目の一般謁見演説 教皇大聖グレゴリオ(二)

6月4日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の140回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2007年3月7日から開始した教父に関する講話の43回目として、前週に続いて再び「教皇大聖グレゴリオ」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  今日わたしたちはこの水曜謁見の中でもう一度、教皇大グレゴリオという特別な人物を取り上げます。それは、その豊かな教えからさらなる光を得るためです。大グレゴリオは、ローマ司教の職務に関連してさまざまな仕事を行いましたが、多数の著作も残しました。グレゴリオ以後の時代の教会は、これらの著作をすべて受け入れました。厖大(ぼうだい)な書簡――先週の講話で言及した『書簡摘要』(Registrum epistularum)は800通以上の書簡を含みます――のほか、大グレゴリオは何よりも聖書釈義の著作を残しました。その中で際立っているのは、『道徳論(ヨブ記注解)』(Moralia sive expositio in Job)というラテン語の標題で知られる、ヨブ記の道徳的注解と、『エゼキエル書講話』(Homiliae in Hiezechielem)、『福音書講話』(Homiliae XL in Evangelia)です。さらに『対話』(Dialogi)という、重要な伝記的著作があります。グレゴリオはこれをランゴバルド族の王妃テオデリンデのために書きました。もっとも有名な主要著作が『司牧規則書』(Regula pastoralis)であることは間違いありません。教皇グレゴリオはこれを明確な計画のために教皇職の初めに著しました。
  これらの著作を足早に検討するに際して、何よりも注意しなければならないことがあります。それは、グレゴリオが自分の著作の中で、「自分」の教え、すなわち自分独自の教えを述べることに関心をもたなかったと思われることです。むしろグレゴリオは、教会の伝統的な教えを繰り返すことを望みました。すなわち彼はただ、神に達するために歩むべき道について語る、キリストと教会の口となることを望んだのです。そのよい例が彼の聖書釈義です。グレゴリオは熱心に聖書を読みました。グレゴリオは思弁的な理解だけによって聖書に近づきませんでした。グレゴリオの考えはこれです。キリスト信者は、聖書から、理論的知識だけでなく、自分の霊魂のための、すなわち、この世において人間として生きるための、霊的糧を引き出さなければなりません。たとえばグレゴリオは、『エゼキエル書講話』の中で、聖書がこのような役割を果たすことを強く主張します。ただ自分の知的欲求を満たすだけのために聖書に近づくなら、傲慢の誘惑に陥り、異端となる恐れがあります。聖書から流れ出る超自然的な富を究めることを目指す人にとって、第一の規則となるのは、知的な謙遜さです。もちろん謙遜は、真剣な勉学を排除するものではありません。しかし、真の意味でテキストの深みに達し、霊的な益を得るために、謙遜は不可欠です。謙遜という内的な態度をもつことによって初めて、人は真の意味で神の声を聞き、理解します。また、神のことばが問題となるとき、理解したことを実行に移さなければ、理解には何の意味もありません。『エゼキエル書講話』には、さらに次の美しいことばを見いだすことができます。「説教者は、自分のペンを自らの心の血に浸さなければなりません。そうすれば、隣人の耳に達することができます」。グレゴリオの講話を読むと、グレゴリオが本当に自分の血をもって著作し、だからこそ現代のわたしたちにも語りかけてくるのだということがわかります。
  グレゴリオは『道徳論(ヨブ記注解)』でもこのことを述べます。教父の伝統に従いながら、グレゴリオは聖書のテキストの三つの意味の次元を探ります。すなわち、文字どおりの意味、寓意的な意味、道徳的な意味です。これらは、聖書の唯一の意味のもつ、三つの次元です。しかしグレゴリオは道徳的な意味をはっきりと優先しました。このような観点のもとに、グレゴリオは自分の考えをいくつかの対(つい)を通して示します。すなわち、「知ることと行うこと」、「語ることと生きること」、「認識することと実践すること」です。これらの対を通してグレゴリオは人間生活の二つの側面を考えさせます。二つの側面は補い合わなければならないものですが、しばしば対立し合います。グレゴリオはいいます。道徳の理想は、ことばと行い、思考と行動、祈りと自分の身分における義務の遂行を、つねに完全に一致させることです。これこそが、神が人のところに降り、人が神と一つになるまでに高められるための一致を実現するための道です。教皇大グレゴリオはこのようにして、本物の信者のために、人生の完全な計画を示します。だから『道徳論(ヨブ記注解)』は、中世を通じて、いわばキリスト教道徳の「大全(Summa)」となったのです。
  『福音書講話』もきわめて重要ですばらしいものです。この著作の最初の講話は590年の待降節に、それゆえグレゴリオが教皇に選ばれて間もないときに、サンピエトロ大聖堂で行われました。最後の講話は593年の聖霊降臨後の第2主日にサン・ロレンツォ聖堂で行われました。教皇は、集会指定聖堂(statio)での礼拝――すなわち、典礼暦の重要な季節に行われる特別な礼拝――、または、その聖堂がささげられた殉教者の記念が行われる教会で、会衆に説教しました。さまざまな講話を一つに結びつける原則は、「説教者」(praedicator)ということばに要約できます。神への奉仕者だけでなく、すべてのキリスト信者が、自分の内面で体験したことをのべ伝える「説教者」となる務めをもっています。それは、すべての人に救いを告げ知らせるために人となったキリストの模範に従うためです。この務めは終わりの日の完成を目指します。キリストによって万物が完成されることへの期待――これが、大教皇グレゴリオのうちにつねにあった思いです。この期待は、ついにはグレゴリオの思想と活動のすべてを促す動機となりました。この期待から、目を覚まして、よいわざに励むようにという、グレゴリオの変わることのない呼びかけが生まれたのです。
  おそらく大グレゴリオのもっともまとまった著作は、教皇職の初めに書いた『司牧規則書』です。この著作の中でグレゴリオは、神の民の教師また導き手としての理想の司教像を描こうとしました。そのためにグレゴリオは、教会の牧者の職務の重大さと、この職務に伴う義務を示します。それゆえ、牧者は生半可な理由でこの職務に招かれるのでも、この職務を求めるのでもありません。しかし、よく考えずにこの職務を引き受ける者は、当然のことながら、心のうちに不安が生じるのを感じることになります。グレゴリオは彼が好んだテーマをあらためて取り上げていいます。司教とは、何よりもまず、優れた意味での「説教者」です。優れた意味での「説教者」であるがゆえに、司教は、何よりもまず、他の人の模範とならなければなりません。そうすれば、司教の行動はすべての人の基準となることができます。さらに、自らの活動が効果を上げるために、司教は、自分が司牧する人々を知り、それぞれの人の状況に合わせて話さなければなりません。グレゴリオは鋭く正確な記述で信者のさまざまな種類について述べます。この著作を心理学的考察と考えた人がいるのは、もっともなことです。ここから、グレゴリオが自分の民を本当によく知っていたこと、また、当時のローマの人々にあらゆることについて語ったことがわかります。
  しかし大教皇グレゴリオは、司牧者が日々、自分のみじめさを認めなければならないことも強調します。それは、傲慢により、至高の裁き主のみ前で、自分が行ったよいことを無に帰さないためです。そのため、『司牧規則書』の最後の章は謙遜について述べます。「多くの徳に達することができた人は、自分の不十分さを顧み、へりくだるがよい。自分がよいことを行ったと考えずに、行うのを怠ったことを考えなければならない」。こうした貴重な指示は皆、聖グレゴリオが魂への司牧的配慮に関して抱いていた崇高な思想を示しています。グレゴリオはこの思想を「諸学芸の中の学芸(ars artium)」と定義づけます。『司牧規則書』は大成功を収めました。きわめてまれなことですが、この書は間もなくギリシア語と英語に翻訳されました。
  もう一つの著作の『対話』も重要です。慣習がすでに堕落し、過去の時代のように聖人を生み出すことはできないと信じる友人と助祭ペトルスに対して、グレゴリオはその反対であることをこの書物の中で示します。すなわち、聖性は、いつの時代にも、困難な時代にあっても可能です。グレゴリオはこのことを、同時代人と最近亡くなった人の生涯を語ることによって証明します。これらは、たとえ列聖されていなくても、聖人と考えることのできる人々です。グレゴリオは、聖人の生涯の記述に、神学的・神秘的な考察を添えました。この考察によって、この書物は独自の聖人伝となり、すべての時代の読者の心をとらえることができました。『対話』の内容は民衆の生きた伝承からとられています。その目的は民衆の教化と教育です。『対話』はさまざまな問いについて読者の注意を引きつけます。たとえば、奇跡の意味、聖書の解釈、霊魂の不滅、地獄の存在、天国のありさまなどについての問いです。これらのテーマは皆、適切に説き明かされることを必要とするからです。第2巻全体はヌルシアのベネディクト(Benedictus de Nursia 480頃-547/560年頃)にあてられます。これはこの聖なる修道士に関する古代の唯一の証言です。『対話』のテキストは、ベネディクトの霊的なすばらしさをはっきりと示します。
  グレゴリオが著作を通して示した神学の中で、過去と現在と未来はあまり意味をもちません。グレゴリオにとって何よりも重要だったのは、救いの歴史の全体です。救いの歴史は、暗く曲がりくねった時代を照らし続けるからです。このことと関連して意味深いのは、グレゴリオがアングル族の改宗の知らせを『道徳論(ヨブ記注解)』の中心で述べたことです。グレゴリオから見ると、この出来事は、聖書の述べる神の国を発展させるものでした。そのため、聖書注解の中でこの出来事に触れるのは十分意味がありました。グレゴリオの考えでは、キリスト教共同体の指導者は、さまざまな出来事の意味を神のことばに照らして再解釈するよう努めなければなりません。その意味で、大教皇グレゴリオは、司牧者と信者を、「霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)」によって霊的に歩むよう導かなければならないと感じました。「霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)」は、具体的で、わたしたちの心を照らします。それは自分の生活の状況の中で行われるからです。
  終わりに、教皇グレゴリオがアンティオキア、アレキサンドリア、コンスタンチノープルの総主教と関係を深めたことについて一言述べなければなりません。グレゴリオはいつもこれらの総主教の権利を認め、尊重するよう気を配りました。そのために、彼らの正当な自治権を制限しないよう、あらゆる干渉を差し控えました。しかし、聖グレゴリオは歴史的な状況の中で、コンスタンチノープル総主教の「世界的」という称号に反対しました。そうだとしても、それは、正当な自治権を制限したり否定したりするためではなく、普遍教会の兄弟としての一致を気遣ったからでした。グレゴリオの行動は、何よりも、たとえ総主教であっても、すべての司教の根本的な美徳は謙遜でなければならないという、深い確信に基づいていたのです。グレゴリオは心の中で単純な修道士であり続けました。だからこそ彼は立派な称号にはきっぱりと反対しました。グレゴリオは――これは彼のことばですが――「神のしもべたちのしもべ(servus servorum Dei)」であることを望みました。グレゴリオが造ったこのことばは、空疎な表現ではなく、彼の生活・行動様式を真の意味で示すものでした。グレゴリオは神のへりくだりに心を打たれました。神はキリストのうちにわたしたちのしもべとなったからです。神はわたしたちの汚れた足を洗ってくださいました。そして今も洗ってくださいます。そこでグレゴリオはこう確信しました。何よりもまず司教は、神のへりくだりに倣い、そうすることによって、キリストに従わなければなりません。グレゴリオの望みは、修道士として生活し、神のことばといつまでも対話することでした。しかし彼は、神への愛のゆえに、不安と苦しみに満ちた時代の中で、すべての人のしもべとなることができました。「しもべたちのしもべ」となることができました。だからこそ、グレゴリオは偉大であり、わたしたちにも真の偉大さの基準を示してくれるのです。

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