教皇ベネディクト十六世の142回目の一般謁見演説 セビリャの聖イシドルス

6月18日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の142回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2007年3月7日から開始した教父に関する講話の45回目として、「セビリャの聖イシドルス」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。謁見には11,000人の信者が参加しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  今日わたしはセビリャの聖イシドルス(Isidorus Hispalensis 560頃-636年)についてお話ししたいと思います。聖イシドルスはレアンデル(Leander 549以前-599年)の弟で、セビリャの司教を務め、教皇大グレゴリオの親友でした。この背景は重要です。それゆえわたしたちは、イシドルスの人となりを理解するために、文化的・霊的な面からの考察が不可欠であることを心にとめなければなりません。実際、イシドルスはレアンデルに多くを負っています。レアンデルはしつけの厳しい、勤勉で、厳格な性格の人でした。彼が弟イシドルスの周りに築いた家庭環境は、修道士に要求される禁欲と、真剣に勉学に打ち込むために必要な作業の時間割を特徴としました。さらにレアンデルは、当時の政治的・社会的状況に対応するのに必要な教育を施すことにも留意しました。実際、当時、アレイオス派の異民族である西ゴート族がイベリア半島に侵入し、ローマ帝国属領を支配していました。そこで西ゴート族をローマ文化とカトリック信仰に変えることが求められました。レアンデルとイシドルスの家の書庫は、多数の異教的およびキリスト教的古典の書物を所蔵していました。イシドルスは異教の著作にもキリスト教の著作にも心を引かれました。それゆえ彼は兄レアンデルの責任のもとに行われた教育を通じて、思慮と識別をもってこれらの著作の研究に大いに努めました。
  それゆえセビリャの司教館の生活は、静かで開かれたものでした。わたしたちはこのことを、イシドルスの著作そのものから現れる、文化的・霊的な関心から窺い知ることができます。イシドルスの著作は、異教的な古典文化に関する百科全書的な知識と、キリスト教文化の深い認識を含んでいるからです。このことからイシドルスの著作が折衷的性格をもつことを説明することができます。イシドルスの著作は、マルティアリス(Marcus Valerius Martialis 40頃-104年頃)からアウグスチヌスに至るまで、また、キケロ(Marcus Tullius Cicero 前106-43年)から大グレゴリオに至るまでを、自在に引用するからです。イシドルスは兄レアンデルの後継者として599年にセビリャの司教座に着きました。若きイシドルスが味わわなければならなかった内面の戦いは小さなものではありませんでした。イシドルスは最後の古代キリスト教教父といわれます。わたしたちがこの偉大な著作家の著作を読むとき、極端に意志が重視される印象をもつのは、もしかするとこの絶えざる自己との戦いによるものかもしれません。636年にイシドルスが死んでからしばらく後、653年のトレド教会会議は次のようにイシドルスについて述べます。「われわれの時代の著名な教師にして、カトリック教会の栄光」。
  イシドルスがはっきりとした二つの欲求の対立を生きた人であることは間違いありません。彼は個人としての生涯においても、絶えず内面的な葛藤を経験しました。それは、すでに大聖グレゴリオや聖アウグスチヌスが感じたのと同じものです。すなわち、孤独のうちに神のことばの瞑想にのみ努めたいという望みと、兄弟に愛のわざを行わなければならないことの間の葛藤です。イシドルスは司教として、これらの兄弟の救いに責任を負っていると感じたからです。たとえば彼は、教会について責任のある立場にある人について次のように述べます。「教会に責任を負う人(vir ecclesiasticus)は、肉に打ち勝つことによって世に対して自らを十字架につけなければなりません。また、それが神から出たものであれば、教会の叙階に関する決定を受け入れ、自分の望みでなくても、謙遜に統治に努めなければなりません」(『命題集』:Sententiarum liber III, 33, 1, PL 83, 705B)。それから彼はすぐ次の節で続いてこう述べます。「じつに神の人(sancti viri)は、この世のことがらに身をささげようと望みません。そして、神の不思議な計画によって、ある種の責務を負ったなら、苦しみます。・・・・神の人はこの責務を免れようとあらゆることをしますが、逃れようとしたことを受け入れ、免れようと望んだことを行います。実際、神の人は心の隠れたところに入り、そこで神の不思議なみ旨が求めることを悟ろうと努めます。そして、神の計画に従わなければならないと知ると、神の決定のくびきに心から従います」(『命題集』:Sententiarum liber III, 33, 3, PL 83, 705-706)。
  イシドルスをよく理解するためには、何よりもまず当時の複雑な政治情勢を思い起こさなければなりません。すでにわたしはそのことに触れました。幼少のとき、イシドルスは追放の苦しみを味わいました。にもかかわらず彼は使徒的な情熱に満たされていました。イシドルスは民の教育のために貢献する喜びを味わいました。この民はついに政治的な意味でも宗教的な意味でも一致を回復したからです。これは、西ゴート王位を継いだヘルメネギルド(Hermenegild)がアレイオス派からカトリック信仰に摂理的なしかたで回心したことによります。けれどもわたしたちは、深刻な問題を適切なしかたで解決するのがきわめて困難であったことを見過ごしてはなりません。たとえば、異端者やユダヤ人との関係という問題です。これらの問題は現代でも具体的なしかたで見られます。それには、6世紀のイベリア半島と同じような状況が再び生じたように思われる、いくつかの地域を考えてみれば十分です。イシドルスは、その豊かな文化的教養によって、キリスト教の新しい要素とギリシア・ローマ古典の遺産を絶えず一致させることができました。もっともイシドルスは、貴重な総合力だけでなく、「収集(collatio)」力ももっていたように思われます。この「収集」力は彼の並外れた博識に示されました。しかしこの博識はかならずしも常に思いどおりに秩序立てて示されたわけではありませんでした。
  いずれにせよ、自国と全世界の歴史の中で人間の経験が作り出したものを何も見逃すまいとするイシドルスの情熱は驚嘆すべきです。イシドルスは、異教、ユダヤ教、キリスト教の区別を問わず、古代人が獲得したいかなるものも失うまいと望みました。それゆえ、この目的のために、イシドルスが、キリスト教信仰の水で清めた知識を、時として思いどおりの適切なしかたで伝えられなかったとしても、驚いてはなりません。しかし、実際イシドルスは、自分が示したものが常に、自分が固く信じるカトリック信仰と一致することを目指していました。さまざまな神学的問題を論じるとき、イシドルスは問題の複雑さを示し、しばしば正確な解決を提示します。この解決は完全なキリスト教の真理を受け入れ、表現します。それゆえ後の時代の信者は、現代に至るまで、イシドルスの定義を感謝をもって用いることができました。そのはっきりとした例は、活動的生活と観想的生活の関係に関するイシドルスの教えに示されます。イシドルスはこう述べます。「観想の安らぎを得ることを求める人は、まず活動的生活の段階で自らを鍛えなければなりません。そこから、その人はつまらない罪から解放されて、清い心を示すことができるようになります。清い心だけが神を見ることを可能にするからです」(『事物の相違について』:De differentiis rerum II, 34, 133, PL 83, 91A)。けれどもイシドルスは、真の司牧者としての現実主義に基づいて、信者が一面的な人間となることの危険を確信していました。そのため彼は続けていいます。「普通は、二つの生活様式から成る中間の道が、対立を解決するのに役立ちます。この対立は、しばしば一種類の生活だけを選ぶと激しくなりますが、二つの生き方を代わる代わる行うことによって和らげられます」(同:ibid. II, 34, 134, PL 83, 91B)。
  イシドルスは生活の正しい方向づけに関する決定的な確証を、キリストの模範のうちに見いだして、こう述べます。「救い主イエスはわたしたちに活動的生活の模範を与えます。日中、町でしるしや奇跡を示すことに努めたからです。しかしイエスは観想的生活も示します。山に退いて一晩中祈られたからです」(同所:loc. cit.)。この神である師の模範に照らしながら、イシドルスは終わりに次のように正確な道徳的教えを述べることができました。「それゆえ、神のしもべは、キリストに倣いながら、活動的生活をないがしろにすることなく、観想に励まなければなりません。もしそうしないなら、正しい行いとはいえません。実際、観想によって神を愛さなければならないように、行いによって隣人を愛さなければなりません。ですから、両方の生き方を両立させずに生きることはできませんし、両方の生き方を経験せずに愛することもできません」(同:ibid. II, 34, 135, PL 83, 91C)。わたしは、これこそが、二つのものを一致させた生活だと思います。この生活は、神の観想を追求します。すなわち、祈りと聖書の読書による神との対話を追求します。また、人間社会と隣人に奉仕する活動も追求します。この一致こそ、セビリャの偉大な司教がわたしたち現代のキリスト信者に残した教訓です。わたしたちは新千年期の初めに、キリストをあかしするよう招かれているからです。

略号
PL=Patrologia Latina

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