教皇ベネディクト十六世の145回目の一般謁見演説 二人のアウシュヴィッツの殉教者

8月13日(水)午前10時30分から、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸中庭で、教皇ベネディクト十六世の145回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、十字架の聖テレサ・ベネディクタ(エディット・シュ […]

8月13日(水)午前10時30分から、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸中庭で、教皇ベネディクト十六世の145回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、十字架の聖テレサ・ベネディクタ(エディット・シュタイン)と聖マキシミリアノ・マリア・コルベについて考察しました。二人の聖人はそれぞれ8月9日(土)と14日(木)に記念されます。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
教皇は7月28日(月)から8月11日(月)までの北イタリアのブレッサノーネでの休暇を終えて、8月11日にカステル・ガンドルフォ教皇公邸に移りました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  カステル・ガンドルフォの住民の皆様、そして、今日わたしを訪問するためにおいでくださった巡礼者の皆様。休暇期間を過ごすことのできたブレッサノーネから帰って、皆様と会い、ごあいさつできることをうれしく思います。わたしを迎え入れ、山地での滞在を見守ってくださったかたがたにあらためて感謝申し上げたいと思います。静かにくつろぐ日々を送ることができました。この日々の間も、わたしは、わたしの祈りに身をゆだねた人々のことを主のうちに思い起こし続けました。本当に多くの人が、自分たちのために祈ってくれるよう願う手紙をわたしに寄せています。これらの人々はわたしに示します。自分たちの喜びと心配を。生涯の計画と家族と仕事の問題を。心に抱いている期待と希望、そして、この瞬間に人類が経験している不安定にかかわる不安を。わたしは、とくに毎日の感謝の祭儀の中で、また、ロザリオを唱えながら、すべての人、また一人ひとりの人を思い起こすことを約束できます。実にわたしが教会と人類に行うことのできる第一の奉仕は、祈りの奉仕です。なぜなら、わたしは祈ることによって、主がわたしにゆだねた奉仕職と、教会共同体と国家全体の運命を、信頼をもって主のみ手のうちに置くからです。
  祈る人は、たとえ困難で、人間的に見れば絶望的な状況にあっても、希望を失うことがありません。聖書はこのことをわたしたちに教えます。教会の歴史もこのことをあかししています。実際、祈りが聖人とキリスト信者の民の歩みを支えたさまざまな状況について、どれほど多くの例を思い起こせることでしょうか。現代のあかしの中で、わたしは、この数日間に記念する二人の聖人を挙げたいと思います。8月9日に記念した十字架のテレサ・ベネディクタ、すなわちエディット・シュタイン(1891-1942年)と、明日、聖なるおとめマリアの被昇天の祭日の前晩の8月14日に記念するマキシミリアノ・マリア・コルベ(1894-1941年)です。この二人はともに地上の生涯をアウシュヴィッツ強制収容所で殉教によって終えました。見かけの上では、二人の人生は敗北と思われるかもしれません。けれども、まさに彼らの殉教のうちに愛の炎が輝きます。この愛が利己主義と憎しみの闇に打ち勝つのです。聖マキシミリアノ・コルベは、次のことばを述べたといわれています。彼はこのことばをナチスの迫害の最中に述べました。「憎しみは創造の力ではありません。愛だけが創造の力です」。聖マキシミリアノ・コルベは愛の勇気あるあかしとして、同僚の囚人の身代わりとなって自分を惜しみなくささげました。彼は1941年8月14日、餓死室で死ぬまで自分をささげたのです。
  エディット・シュタインは、翌年の8月6日、悲惨な最期の3日前に、オランダのエヒト修道院の数名の同僚の修道女のもとに行き、彼女たちにいいました。「わたしはすべてのことに対して用意ができています。イエスはここでもわたしたちのただ中にいてくださいます。これまでわたしはとてもよく祈ることができました。そして、心を尽くして唱えてきました。『唯一の希望である十字架よ(Ave, Crux, spes unica)』」。恐るべき殺戮から逃れることのできた証人たちはいいます。カルメル会の修道服をまとい、死に向かっていることを自覚しながら、テレサ・ベネディクタは、完全に平和に満たされた態度、静かな振舞い、平静な態度、すべての人が必要とすることへの気遣いによって際立っていました。祈りこそが、このヨーロッパの守護聖人の秘訣でした。彼女は「観想生活の平和のうちで真理に達した後も、十字架の神秘を徹底的に生きなければなりませんでした」(教皇ヨハネ・パウロ二世自発教令『スペス・エディフィカンディ(1999年10月1日)』:Spes aedificandi, Insegnamenti di Giovanni Paolo II, XX, 2, 1999, p. 511)。
  「めでたし・・・・マリア(Ave Maria!)」。これが聖マキシミリアノ・コルベの口が発した最後の祈願のことばでした。こういいながら、彼はフェノール注射によって自分を殺そうとする者に手を延ばしました。へりくだり、信頼しながら聖母により頼むことが、つねに勇気と落ち着きの源泉でした。このことをわたしたちは感動をもって認めます。わたしたちは聖母の被昇天の祭日を祝う準備をしています。聖母の被昇天の祭日は、キリスト教の伝統の中でもっとも愛されてきたマリアの祭日の一つです。このときにあたって、あらためてマリアにより頼もうではありませんか。マリアはどんなときにも母としての愛をもってわたしたちを天から見守ってくださいます。実際わたしたちは、いつも親しんでいる「聖母マリアへの祈り」の中でこう唱えてマリアに祈ります。わたしたちのために、「今も、死を迎える時も祈ってください」。

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