教皇ベネディクト十六世の149回目の一般謁見演説 パウロにおける使徒職の意味

9月10日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の149回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、7月2日から開始した聖パウロの人と思想に関する新しい連続講話の4回目として、「 […]

9月10日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の149回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、7月2日から開始した聖パウロの人と思想に関する新しい連続講話の4回目として、「パウロにおける使徒職の意味」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。

謁見の終わりに、教皇は9月12日(金)から15日(月)まで行うフランス司牧訪問に先立ち、フランス国民に向けた次のメッセージをフランス語で述べました。
「今週の金曜日から、わたしはペトロの後継者としての初めてのフランス司牧訪問を行います。フランス訪問を前に、わたしはフランス国民と愛するフランスに住むすべての人々に心からごあいさつ申し上げたいと思います。わたしは平和と友愛の使者として皆様のもとにまいります。わたしは皆様の国のことをよく存じております。わたしは何度もフランスを訪れる機会がありました。そして、皆様の惜しみない歓迎と寛大さの伝統と、堅固なキリスト教信仰、そして、高い人間的・精神的文化を評価しています。今回わたしがフランスを訪れるのは、おとめマリアのルルドでのご出現の150周年を祝うためです。わたしは皆様の国の首都パリを訪れた後、聖ベルナデッタに従ってマッサビエールの洞窟への記念巡礼を行う多くの巡礼者に加わることができるのをたいへんうれしく思います。わたしは聖母の足下で、全教会の意向のため、特に病気を患う人、見捨てられた人のため、また世界の平和のために心から祈ります。マリアが皆様、特に若者の皆様にとって、その子らの必要にいつもこたえてくださる母、また皆様の歩む道を照らし、導いてくださる希望の光となってくださいますように。親愛なるフランスの友人の皆様。この訪問が豊かな実りをもたらすことができるように、わたしとともに祈ってくださるようお願いします。間もなく皆様とお目にかかれることを楽しみにしながら、皆様の一人ひとり、また皆様のご家族と共同体の上にルルドの聖母であるおとめマリアの母としてのご保護を祈り求めます。神が皆様を祝福してくださいますように」。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  先週の水曜日、わたしは、復活したキリストとの出会いに続いて起きた、聖パウロの生涯の大きな転換についてお話ししました。イエスはパウロの生涯に入り、パウロを迫害者から使徒へと変えました。この出会いがパウロの使命の始まりを告げました。パウロは以前のような形で生き続けることができなくなりました。今やパウロは、使徒の身分で福音を告げ知らせる使命を主から与えられたと感じました。今日わたしがお話ししたいのは、この新しい生活形態、すなわち、キリストの使徒という生活形態にほかなりません。福音書に従って、わたしたちは普通、十二人を使徒と呼びます。つまり、使徒とは、イエスと生活をともにし、イエスの教えを聞いた人々だと考えます。しかし、パウロも自分は真の使徒だと考えました。それゆえ、パウロにとっての使徒職の意味が十二人のグループに限定されないことは明らかだと思われます。いうまでもなく、パウロは、自分より「先に使徒として召された人たち」(ガラテヤ1・17)の場合と自分の場合をはっきりと区別することができました。パウロは、この人々が教会生活において特別な位置を占めることを認めます。けれども、だれもが知っているとおり、聖パウロは自分も厳密な意味で「使徒」だと考えていました。初期キリスト教の時代に、ただ福音をのべ伝えるためだけに、陸路においても海路においても、パウロほど多くの距離を旅した人がいないのは確かです。
  それゆえパウロは、十二人のグループのみと結ばれ、何よりも聖ルカによって伝えられた意味(使徒言行録1・2、26、6・2参照)を超えた意味で使徒職の意味をとらえていました。実際、コリントの信徒への手紙一の中で、パウロは、復活したかたの出現に恵まれた二つの異なるグループを示すことばとして、「十二人」と「すべての使徒」をはっきり区別しています(一コリント15・5、7参照)。同じ箇所でパウロはその後、へりくだりながら自分自身を「最後の使徒」と呼びます。彼は自分を月足らずで生まれた者にたとえ、しかも文字どおりに次のようにいいます。「わたしは、神の教会を迫害したのですから・・・・使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりもずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしとともにある神の恵みなのです」(一コリント15・9-10)。月足らずの者というたとえは最高の謙遜を示します。同じことばはアンティオキアの聖イグナチオ(Ignatios 110年頃没)の『ローマのキリスト者への手紙』にも見られます。「わたしは・・・・彼らのうち最小の者、月足らずなのですから。でももしわたしが神のみもとに到達できるなら、わたしは何ものかであることを恵まれることになるのです」(『イグナティオスの手紙――ローマのキリスト者へ』9・2〔八木誠一訳、『使徒教父文書』講談社、1998年、190頁。ただし表記を一部改めた〕)。アンティオキアの司教は間近に迫った殉教との関連で、殉教が自分のふさわしくない状態を変えることを予想しながらこう述べています。しかし聖パウロはこのことを自分の使徒としての務めとの関連で述べます。すなわち、神の恵みの豊かさは、この自分が月足らずな者であることのうちに示されます。神は、出来損ないの人間を輝かしい使徒に造り変えることができるからです。迫害者から教会の創設者へ――これこそ、福音から見ると役立たずに思われるような者に神が行った転換です。
  それゆえ、聖パウロは、神がパウロと他の使徒に行ったことが何だったと考えたのでしょうか。パウロの手紙の中で、使徒を使徒たらしめる三つの主な特徴が示されます。第一の特徴は「主を見た」(一コリント9・1参照)ことです。すなわち、自分の生涯にとって決定的な出会いにおいて主とかかわりをもったことです。同じ意味のことが、ガラテヤの信徒への手紙(ガラテヤ1・15-16参照)ではこういわれます。使徒は、神の恵みによって召し出され、いわば選ばれて、異邦人に喜びをもって告げ知らせるために御子を示されました。要するに、人を使徒とするのは主であり、自分の思いではありません。使徒は自分で自分を使徒とするのではなく、主によって使徒とされるのです。それゆえ使徒はつねに主に聞き従わなければなりません。パウロが自分は「召されて使徒となった」(ローマ1・1)というのは偶然ではありません。つまりパウロは「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと・・・・父である神によって」(ガラテヤ1・1)使徒とされました。主を見、主に召し出されたこと――これが第一の特徴です。
  第二の特徴は、「遣わされた」ことです。実にギリシア語の「使徒(アポストロス)」ということばは、「遣わされた者、派遣された者」、つまり使節、知らせをもたらす者を意味します。それゆえ使徒は、派遣する者の委託を受けた代理者として行動しなければなりません。だからパウロは、自分が「イエス・キリストの使徒」(一コリント1・1、二コリント1・1)だというのです。つまり、パウロはイエス・キリストの代理人であり、徹底的にイエス・キリストに仕える者です。そこでパウロは自分を「イエス・キリストのしもべ」(ローマ1・1)とも呼びます。ここでもまた、最初に召し出したのは自分以外のかた、すなわちイエス・キリストにおける神だという思想が前面に示されます。使徒は完全にキリストに従わなければなりません。しかし、何よりも強調されるのはこのことです。すなわち、使徒はキリストから使命を与えられます。それは、あらゆる個人的な関心を完全に後回しにしながら、キリストの名によって使命を果たすためです。
  第三の条件は「福音を告げ知らせる」こと、そこから教会を築くことです。実際、「使徒」という称号は肩書きだけの称号ではなく、肩書きだけの称号であってもなりません。「使徒」という称号は、使徒が全生活をもって務めを果たすことを具体的かつ徹底的な形で求めます。コリントの信徒への手紙一の中でパウロは大声でいいます。「わたしは・・・・使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではないか。あなたがたは、主のためにわたしが働いて得た成果ではないか」(一コリント9・1)。同じようにコリントの信徒への手紙二の中でパウロはいいます。「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。・・・・あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった・・・・墨ではなく生ける神の霊によって・・・・書きつけられた手紙です」(二コリント3・2-3)。
  ですから、(聖ヨハネ・)クリゾストモがパウロを「ダイアモンドの魂」(『聖パウロをたたえる講話』:In s. Paulum 1, 8)といったとしても驚くべきではありません。クリゾストモは続けていいます。「火はさまざまなものに燃え移るといっそう火力を増します。それと同じように・・・・パウロのことばは、パウロとかかわったすべての人々をパウロのものとして勝ち取り、パウロに敵対し、パウロの議論のとりことなった人は、この霊的な炎を燃やす薪となりました」(同:ibid. 7, 11)。そこから、どうしてパウロが使徒を「神の協力者」(一コリント3・9、二コリント6・1)と呼んだかがわかります。神の恵みはこの「神の協力者」とともに働きます。聖パウロの光で照らすならば、真の使徒の典型的な要素は、福音と福音を告げる者とのいわば同一化にあります。福音も、福音を告げる者も、ともに同じ目に遭うからです。実際、パウロのように、キリストの十字架をのべ伝えることが「つまずかせるもの、愚かなもの」(一コリント1・23)に見えることをあかしした人がいるでしょうか。多くの人はキリストの十字架に対して無理解と拒絶をもってこたえたからです。これは当時起こったことです。しかし、同じことが現代も起きたからといって驚いてはなりません。ですから使徒も、このような「つまずかせるもの、愚かなもの」と見える定めにあずかりました。そしてパウロはそうなることを知っていました。これがパウロがその生涯において経験したことでした。パウロはコリントの信徒にあてた手紙で皮肉をこめてこう述べます。「考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました。わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです。わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されている。今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着る物がなく、虐待され、身を寄せる所もなく、苦労して自分の手で稼いでいます。侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しいことばを返しています。今に至るまで、わたしたちは世の屑(くず)、すべてのものの滓(かす)とされています」(一コリント4・9-13)。これが聖パウロの使徒としての生活の自画像です。これらすべての苦しみの中で、神の祝福と福音の恵みをもたらす者であることの喜びが勝利を収めます。
  さらにパウロは、当時のストア哲学と、自分がどんな困難に直面しても堅忍を保つという理想を共有していました。けれどもパウロはたんなる人間中心主義的な観点を凌駕しました。彼は神とキリストの愛に含まれることがらを思い起こさせるからです。「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。『わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている』と書いてあるとおりです。しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださるかたによって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、いのちも、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ローマ8・35-39)。だれも神の愛からわたしたちを引き離すことはできません。この確信と深い喜びが、どんな出来事の中でも使徒パウロを導きました。この愛こそが、人間の生涯のまことの富です。
  ご覧のとおり、聖パウロは生涯のすべてを、すなわち、いうならば24時間のうちの24時間を、福音にささげました。そして聖パウロは忠実に、喜びをもってその奉仕職を果たしました。それは「何とかして何人かでも救うためです」(一コリント9・22)。諸教会に対して、パウロは、自分が完全な母親としてというよりも(ガラテヤ4・19参照)、父親としてかかわっていることを知っていました(一コリント4・15参照)。それでも彼は、完全な奉仕の態度をとることができました。そして彼は感嘆すべきしかたでこういいます。「わたしたちは、あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、あなたがたの喜びのために協力する者です」(二コリント1・24)。まことの喜びに協力する者であること。これこそが、あらゆる時代において、すべてのキリストの使徒の使命であり続けます。

PAGE TOP