教皇ベネディクト十六世の151回目の一般謁見演説 パウロと使徒たちとの関係

9月24日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の151回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、7月2日から開始した聖パウロの人と思想に関する新しい連続講話の5回目として、「パウロと使徒たちとの関係」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。謁見には約15,000人の信者が参加しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  今日わたしは、聖パウロと、聖パウロに先立ってイエスに従った使徒たちとの関係についてお話ししたいと思います。この関係は常に深い尊敬と率直さを特徴としました。率直さはパウロにおいて福音の真理を擁護することから生じました。パウロは実際にナザレのイエスと同時代の人でしたが、公生活を行っていたイエスと会う機会はありませんでした。そのため、ダマスコに向かう途中で光に照らされた後、彼は師であるかたの最初の弟子たちと話さなければならないと考えました。この弟子たちは福音を地の果てまで伝えるためにイエスによって選ばれたからです。
  ガラテヤの信徒への手紙の中で、パウロは十二人のうちの幾人かと会ったことに関する重要な報告を行います。パウロは何よりもまずペトロ――ペトロは「ケファ」として選ばれました。「ケファ」というこのアラム語のことばは、その上に教会が建てられる「岩」を意味します(ガラテヤ1・18参照)――、「主の兄弟」(ガラテヤ1・19参照)であるヤコブ、そしてヨハネと会いました(ガラテヤ2・9参照)。パウロは彼らを教会の「柱」と呼ぶことをためらいません。特に重要なのは、エルサレムで行われたケファ(ペトロ)との会見です。パウロは「知り合いになる」(ガラテヤ1・19参照)ためにペトロのもとに15日間滞在しました。すなわち、復活したかたの地上での生活について知るためです。この復活したかたこそが、ダマスコへの道で自分を「とらえ」、自分の生活を根底から変えたからです。パウロは、神の教会の迫害者から、自分がかつて滅ぼそうとしていた、十字架につけられたメシアであり、神の子であるかたへの信仰を福音として告げ知らせる者へと変えられました(ガラテヤ1・23参照)。
  ダマスコでの出会いから3年後に、パウロはイエス・キリストについてどのようなことを知ったのでしょうか。コリントの信徒への手紙一の中にわたしたちは2つの箇所を見いだします。これはパウロがエルサレムで知ったことであり、それはキリスト教の伝承の中心的な要素、すなわち伝承の土台だと述べられています。パウロはきわめて荘厳な形で、それを自分が受けたとおりのことばで伝えます。「わたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」。それゆえパウロは、自分が受けたことに対して忠実に従っていること、そして、新たにキリスト者となった人々にそれを忠実に伝えていることを強調しています。この土台となる要素は、聖体と復活に関することがらです。このことばは30年代に定式化されました。それは、イエスが死に、地中に葬られ、復活したと述べます(一コリント15:3-4参照)。二つのことを同時に考察したいと思います。最後の晩餐におけるイエスのことば(一コリント11・23-25参照)は、パウロにとって真の意味で教会生活の中心となるものです。教会はこの中心から築かれることによって、教会になります。常に新たに教会を生み出す聖体は、パウロの神学全体の中心であるとともに、パウロの思想全体の中心でもあります。このことに加えて、このことばはパウロのイエスとの個人的な関係にはっきりとした影響を与えました。まずそれは、聖体が十字架の呪いを照らし出して、呪いを祝福に変えることをあかしします(ガラテヤ3・13-14)。またそれは、イエスの死と復活そのものの意味を説明します。「あなたがたのため」に制定された聖体は「わたしのため」(ガラテヤ2・20)、わたし個人のためのものとなります。この「あなたがたのため」において、イエスはパウロ自身を知って、愛するからです。また、それは「すべての人のため」(二コリント5・14)でもあります。つまり、この「あなたがたのため」は「わたしのため」そして「教会のため」(エフェソ5・25)のものとなります。すなわち、罪を償う十字架のいけにえ(ローマ3・25参照)は「すべての人のため」のものでもあります。教会は聖体によって、聖体のうちに築かれます。そして教会は自らが「キリストのからだ」(一コリント12・27)であることを認めます。この「キリストのからだ」は、復活したかたの霊の力によって日々養われるからです。
  復活についてのもう一つの箇所は、忠実な定式をあらためてわたしたちに伝えます。聖パウロは述べます。「もっとも大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」(一コリント15:3-5)。パウロに伝えられたこの伝承においても、「わたしたちの罪のため」といわれています。このことばは、イエスがわたしたちを罪と死から解放するために御父にご自身をささげられたことを強調します。この自己奉献から、パウロはわたしたちとキリストとの関係に関するもっとも感動的で魅力的な表現を生み出しました。「罪と何のかかわりもないかたを、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはそのかたによって神の義を得ることができたのです」(二コリント5・21)。「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです」(二コリント8・9)。まだアウグスティヌス隠修士会修道士だったマルティン・ルター(Martin Luther 1483-1546年)がこのパウロの逆説的な表現を用いて行った注解を思い起こすのは意味のあることです。「これは罪人に対する神の恵みの偉大な神秘です。驚くべき交換によって、わたしたちの罪はもはやわたしたちの罪でなく、キリストの罪になります。そして、キリストの義はもはやキリストの義でなく、わたしたちの義となるのです」(『1513-1515年の詩編注解』)。こうしてわたしたちは救われたのです。
  口伝で伝えられた最初のケリュグマ(告知)において、「復活した」というほうが、「死んだ・・・・葬られた」に続く論理的な言い方になるにもかかわらず、「復活している」という動詞が用いられることは注目に値します。「復活している」という動詞形が選ばれたのは、キリストの復活が現在に至るまで信者の生活の中に刻まれていることを強調するためです。わたしたちはこのことばを、キリストが聖体と教会のうちに「復活して、生き続けている」と訳すことができます。それゆえ聖書全体はキリストの死と復活をあかしします。なぜなら、サン=ヴィクトルのフーゴー(Hugo de Sancto Victore 1096頃-1141年)が述べるように、「聖書全巻は一冊の書です。この一冊の書、それはキリストなのです。聖書全巻はキリストについて語り、聖書全巻はキリストにおいて完成するからです」(『ノアの道徳的箱舟について』:De arca Noe morali 2, 8)。ミラノの聖アンブロジオ(Ambrosius Mediolanensis 339頃-397年)もこういうことができました。「聖書の中にはキリストが書かれています」。それは、初代教会はイスラエルの聖書を、キリストから出発して、キリストに戻りながら読み返したからです。
  復活したかたの現れは、ケファから、十二人、五百人以上もの兄弟、ヤコブに対して起きたことが述べられた後、パウロがダマスコに向かう道で与えられた個人的な現れを述べて終わります。「そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました」(一コリント15・8)。パウロは神の教会を迫害していたので、彼はこの告白の中で、自分は使徒と呼ばれて、自分に先立つ使徒と同列に置かれる値打ちのないものだといいます。しかし、パウロに与えられた神の恵みは無駄になりませんでした(一コリント15・10)。それゆえ神の恵みによって圧倒的なしかたで認められることによって、パウロはキリストの復活の最初の証人たちと結ばれました。「とにかく、わたしにしても彼らにしても、このようにのべ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした」(一コリント15・11)。重要なのは、同じ唯一の福音を告げ知らせることです。彼らにしてもわたしにしても、同じ信仰を、すなわち、死んで復活し、至聖なる聖体のうちにご自身を与えてくださるイエス・キリストについての同じ福音をのべ伝えるのです。
  パウロは、自分の共同体に伝えられた、教会の生きた聖伝をよりどころとしました。この重要な事実は、パウロがキリスト教を発明したとする考えがどれほど間違っているかを証明します。自分の主であるイエス・キリストに関する福音をのべ伝える前に、パウロはダマスコに向かう道でキリストと出会いました。そして彼は教会の中でキリストと深く出会い、十二人や、ガリラヤの道でイエスに従った人々からイエスの生涯を学びました。次回からの講話で、パウロが初代教会に対して行った貢献についてもっと深く考察するつもりです。ところで、異邦人への福音宣教のために復活したかたから与えられた使命は、パウロとバルナバに右手を置いた人々によって確認と保証を与えられなければなりませんでした。これは、二人が使徒職と福音宣教を行うことを承認し、キリストの教会の唯一の交わりに受け入れるしるしでした(ガラテヤ2・9参照)。それゆえ「わたしたちは肉に従ってキリストを知ろうとしません」(二コリント5・16)ということばは次のように理解できます。すなわち、このことばは、自分の地上の生活が信仰の成長にとって意味がないことを意味するのではありません。むしろそれは、キリストが復活した時から、わたしたちのキリストとのかかわり方が変わったことを表します。キリストは同時に神の子でもあります。このかたは「肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです」。パウロがローマの信徒への手紙の冒頭(ローマ1・3-4)で述べるとおりです。
  わたしたちは、ガリラヤの道を歩むナザレのイエスの後に従って歩もうとすればするほど、イエスがわたしたちの人間性をとり、罪を除いてすべてをわたしたちと共有されたことをますます理解できるようになります。わたしたちの信仰は神話から生まれるのでも、思想から生まれるのでもありません。わたしたちの信仰は、教会生活の中で、復活したキリストと出会うことから生まれるのです。

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