教皇ベネディクト十六世の152回目の一般謁見演説 エルサレムでの使徒会議とアンティオキアでの出来事

10月1日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の152回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、7月2日から開始した聖パウロの人と思想に関する連続講話の6回目として、「エルサレムでの使徒会議とアンティオキアでの出来事」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。謁見には20,000人の信者が参加しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  パウロは福音の真理を率直に弁護しました。しかし、その際にも、十二人に対する尊敬と崇敬をやめることはありませんでした。福音とは主イエス・キリストにほかならないからです。今日わたしたちは二つの出来事について考えてみたいと思います。この二つの出来事は、パウロの十二人に対する崇敬と同時に、使徒パウロがケファと他の使徒に語りかける際の自由を示します。二つの出来事とは、ガラテヤの信徒への手紙(ガラテヤ2・1-10、2・11-14参照)に述べられた、エルサレムでの「使徒会議」と、シリアのアンティオキアでの出来事です。
  あらゆる公会議また教会会議は「霊による出来事」です。それらは神の民全員の願いをまとめます。第二バチカン公会議に参加する恵みを与えられた人々は、自らこのことを体験しました。だから聖ルカは、エルサレムで開催された最初の教会会議について述べる際、当時の状況の中で使徒たちが離散(ディアスポラ)のキリスト教共同体に向けて送った手紙を次のように紹介します。「聖霊とわたしたちは・・・・決めました」(使徒言行録15・28)。全教会の中で働く聖霊は、自分たちの計画の実現のために新たな道に歩みだそうとする使徒たちをその手で導きます。聖霊こそが教会を築く主な働き手なのです。
  けれどもエルサレムの会議は、初代教会共同体において小さからぬ緊張の中で開催されました。この会議は次の問いにこたえるためのものでした。主イエス・キリストを信じるようになった異邦人に割礼を施すことは必要か。それとも、モーセの律法を義務づけなくてもよいか。すなわち、正しい人となるために必要なおきて、律法の遵守、何よりも清めの儀式、清い食べ物と清くない食べ物、安息日に関する規定を守らせなくてもよいか。聖パウロもガラテヤ2・1-10でエルサレム会議について述べます。ダマスコで復活したキリストと出会ってから14年後――わたしたちは紀元40年代後半のことを扱っています――、パウロはバルナバととともに、テトスを伴って、シリアのアンティオキアに向けて出発します。パウロの忠実な協力者であったテトスは、ギリシア人の出身でしたが、教会に加えられたときに割礼を受けることを強制されませんでした。このような状況の中で、パウロは、もっとも重要な人々と考えられる十二人に、律法からの自由に関する自らの福音を提示しました(ガラテヤ2・6参照)。復活したキリストの光のもとで、パウロは次のことを知りました。すなわち、イエス・キリストの福音を信じたなら、正しい者であることを示すしるしである割礼も、食事や安息日に関する規定も、異邦人にとって必要ではありません。キリストがわたしたちの義であり、「正しい人」とはキリストに似たものとされたすべての人です。正しい者とされるために他のしるしは不要です。パウロはガラテヤの信徒への手紙の中で、会議の内容について簡潔に述べます。彼は律法からの解放に関する福音が、「柱」であるヤコブとケファとヨハネによって認められたことを、感動をこめて思い起こします。この人々はパウロとバルナバにキリストにおける教会の交わりを示すしるしとして右手を差し出しました(ガラテヤ2・9参照)。すでに述べたように、ルカにとってエルサレム会議が聖霊のわざを表すものであるなら、パウロにとってこの会議は、それにあずかるすべての人に分け与えられた自由が決定的な形で承認されたことを意味しました。自由とは、割礼に由来する義務と律法からの自由です。「この自由を得させるために」、そしてわたしたちが奴隷の軛(くびき)に二度とつながれないために、「キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです」(ガラテヤ5・1参照)。エルサレム会議についてのパウロとルカの二つの述べ方は、自由をもたらす聖霊のわざという点で一致します。なぜなら、パウロがコリントの信徒への手紙二(二コリント3・17参照)で述べるとおり、「主の霊のおられるところに自由がある」からです。
  とはいえ、聖パウロの手紙がはっきりと述べているように、キリスト者の自由は、放縦でも、思いどおりのことをしてよいことでもありません。キリスト者の自由は、キリストに似た者となることを通じて、それゆえ、真の意味で兄弟、とくに貧しい人に仕えることを通じて実現されます。だから、エルサレム会議に関するパウロの記述は、使徒たちが彼に与えた次の勧告で結ばれます。「ただ、わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうどわたしたちも心がけてきた点です」(ガラテヤ2・10)。あらゆる公会議は教会から生まれ、教会へと向かいます。エルサレム会議の場合は、貧しい人に注意が向けられました。パウロの手紙のさまざまな記述が示すように、貧しい人とは、何よりもエルサレム教会の貧しい人のことでした。とくにコリントの信徒への手紙二(二コリント8-9章参照)とローマの信徒への手紙の結び(ローマ15章参照)にあかしされた貧しい人への配慮は、会議の下した決定にパウロが忠実だったことを示しています。
  おそらくわたしたちは、パウロとその共同体がエルサレムの貧しい人々のための献金に与えた意味を完全に理解していません。これは宗教活動の歴史においてまったく新しい取り組みでした。献金は義務ではなく、自由かつ自発的になされました。パウロが西方世界に創立したすべての教会が献金に参加しました。この献金は、パウロの共同体がパレスティナの母教会に恩義を負っていることを表しました。彼らはこのパレスティナの母教会から言い尽くすことのできない福音の恵みを与えられたからです。パウロはこの分かち合いの行為に対してきわめて大きな意味を認めていたので、それを単に「献金」ということがほとんどありません。むしろそれは「奉仕」、「祝福」、「愛」、「恵み」、さらに「典礼(レイトゥールギア)」(二コリント9章)でさえあります。とくにこの最後のことばは驚くべきものです。このことばは献金に典礼としての意味をも与えるからです。まず、献金は各共同体が神にささげる典礼行為ないし「奉仕」です。また、献金は人々のためになされる愛のわざでもあります。貧しい人への愛と神にささげる典礼はともに行われます。貧しい人への愛が、典礼なのです。この二つの次元は、教会が祝い、体験するあらゆる典礼の中に見られます。教会は本来、典礼と生活、信仰と行い、祈りと兄弟に対する愛のわざを切り離すことに反対するからです。エルサレム会議はこのようにして開催されました。それは、信仰をもつようになった異邦人の扱いについて決定するためでした。会議は、割礼と律法が義務づけるさまざまなおきてから異邦人を解放することを選択しました。そして会議は結論として教会的・司牧的な要求を行いました。この要求は、キリスト・イエスへの信仰と、エルサレムと全教会の貧しい人への愛を中心に置きました。
  第二の出来事は、シリアのアンティオキアで起きた有名な事件です。この出来事はパウロが心の自由をもっていたことを示します。ユダヤ人出身の信者と異邦人出身の信者が一緒に食事をするときに、どのように振舞うべきでしょうか。ここでモーセの律法のもう一つの中心が現れます。すなわち、清い食べ物と清くない食べ物の区別です。この区別は、律法を守るユダヤ人と異邦人を深刻な形で分裂させました。ケファ、すなわちペトロは、初めは両方の人々と一緒に食事をしていました。しかしペトロは、「主の兄弟」(ガラテヤ1・19)であるヤコブと関係のあるキリスト者が来ると、異邦人と食事をすることを避け始めました。清い食事に関するおきてを守り続ける人々をつまずかせないためです。バルナバもこの選択に従いました。そしてこの選択によって、割礼によるキリスト者と異教出身のキリスト者が深刻な形で分裂しました。教会の一致と自由を完全に損なうこのような振舞いは、パウロの激しい反応を引き起こしました。そこでパウロはペトロと他の人々の偽善をこういって非難しました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか」(ガラテヤ2・14)。実際、パウロの関心事と、ペトロとバルナバの関心事は違っていました。ペトロとバルナバにとって、異邦人を区別することは、ユダヤ教出身の信者を守り、つまずかせないやり方を意味しました。しかし、パウロにとって、それは、キリストの救いが、異邦人であれ、ユダヤ人であれ、すべての人に与えられたものであることを誤解させる危険がありました。もし人が、いかなる律法のわざによるのでもなく、キリストへの信仰によって、すなわちキリストと似た者となることによって義とされるなら、一緒に食事をするときに清い食べ物に関するおきてを守ることに何の意味があるでしょうか。おそらくペトロの考えとパウロの考えには違いがあったと思われます。ペトロにとって大事だったのは、福音を受け入れたユダヤ人を失わないことでした。パウロにとって大事だったのは、キリストの死がすべての信じる者に救いをもたらしたことの意味を損なわないことでした。
  興味深いことに、数年後(50年代半ば頃)、ローマのキリスト者に手紙を書いたとき、パウロ自身が同じような状況に置かれていました。パウロは強い口調で、清くない食べ物を食べないようにと願います。それは弱い人を失ったり、つまずかせることのないようにするためです。「肉も食べなければぶどう酒も飲まず、そのほか兄弟を罪に誘うようなことをしないのが望ましい」(ローマ14・21)。ですから、アンティオキアの出来事はペトロにとってもパウロにとっても教訓となりました。福音の真理に開かれた誠実な対話を行うことによって初めて、教会の歩みを導くことができます。「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです」(ローマ14・17)。わたしたちもこの教訓を学ばなければなりません。ペトロとパウロに異なるたまものがゆだねられたように、わたしたちも皆、聖霊に導かれながら、自由を生きようと努めようではありませんか。自由は、キリストへの信仰のうちに方向づけを見いだし、兄弟への奉仕のうちに実現されます。何よりも大事なのは、ますますキリストに似た者となることです。そうすれば、わたしたちは本当の意味で自由になります。そうすれば、わたしたちは律法の核心を実現します。律法の核心とは、神への愛と隣人への愛です。主に祈りたいと思います。どうかあなたと同じ思いを抱くことをわたしたちに教えてください。あなたからまことの自由と、すべての人を受け入れる福音の愛を学ぶことができますように。

PAGE TOP