教皇ベネディクト十六世の153回目の一般謁見演説 歴史上のイエスとの関係

10月8日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の153回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、7月2日から開始した聖パウロの人と思想に関する連続講話の7回目として、「歴史上のイエスとの関係」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。謁見には25,000人以上の信者が参加しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  聖パウロに関するこれまでの講話の中で、わたしはパウロの復活したキリストとの出会いについてお話ししました。この出会いはパウロの生涯を根底から変えました。それからわたしは、パウロとイエスに召し出された十二人、とくにヤコブ、ケファ、ヨハネとの関係、そして、パウロとエルサレム教会との関係についてお話ししました。ここで残っている問題は、聖パウロが地上のイエスについて、すなわち、イエスの生涯、教え、受難について何を知っていたかということです。この問題に立ち入る前に、聖パウロ自身が二種類のイエスの知り方を、もっと一般的にいえば、二種類の人間の知り方を区別していたことを思い起こすのは有益です。パウロはコリントの信徒への手紙二でこう述べます。「それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません」(二コリント5・16)。「肉に従って」すなわち肉体的に「知る」とは、外的な基準によって外面的に知るということです。人はある人を何度も見、その人の顔や振る舞い方、すなわち、その人がどのように話し、どのように動くかといったことを知ります。しかし、だれかをそのようなしかたで知っていたとしても、ほんとうの意味でその人を知ることにはなりません。つまり、その人の核心を知ったことにはなりません。わたしたちは心を通して初めて人を知ることができるからです。実際、ファリサイ派やサドカイ派の人々もイエスを外面的には知っていました。イエスの教えや、イエスに関するさまざまなことを見聞きしていました。しかし彼らはイエスの真の姿を知りませんでした。イエスのことばの中でも同じような区別が行われます。変容の後、イエスは使徒たちに尋ねます。「人々は、わたしのことを何者だといっているか」。また、「あなたがたはわたしを何者だというのか」。人々はイエスを表面的にしか知っていませんでした。彼らはイエスについてさまざまなことを知っていましたが、ほんとうの意味ではイエスを知りませんでした。しかし、十二人は、イエスの友となり、心から招かれたために、少なくとも本質において、イエスがどのようなかたであるかを知り始めました。現代においてもこの二つの知り方が存在します。イエスについてとても詳しく知っている学者もいれば、このような詳しい知識をもたない素朴な人々もいます。しかし、素朴な人々はイエスの真の姿を知っています。「心は心に語りかけます」。パウロがいいたかったのも、彼がこのようなしかたで本質的に、心でイエスを知っていたということです。そして、このようなしかたで本質的にイエスの真の姿を知っていたということです。そしてパウロは、後からイエスに関する詳しい事実を知るようになりました。
  しかし、こういったからといって、問題は残ります。聖パウロはイエスの具体的な生涯、ことば、受難、奇跡について何を知っていたのでしょうか。パウロはイエスが地上で生きておられた間にイエスに会ったことがなかったと思われます。たしかにパウロは、使徒たちと初代教会を通じてイエスの地上の生涯について詳しく知りました。パウロの手紙の中には、復活前のイエスについての三種類の記述が見いだされます。第一は、はっきりと直接的な形での記述です。パウロはイエスがダビデの家系の出身であると述べます(ローマ1・3参照)。パウロはイエスに「兄弟」、すなわち血のつながった人がいることを知っています(一コリント9・5、ガラテヤ1・19参照)。最後の晩餐の次第を知っています(一コリント11・23参照)。他のイエスのことばを知っています。たとえば、結婚が不解消のものであるということば(一コリント7・10またマルコ10・11-12参照)。また、福音をのべ伝える者は共同体に生活を支えてもらわなければならない。働く者が報酬をもらうのは当然だからだということばです(一コリント9・14またルカ10・7参照)。パウロは最後の晩餐でイエスが述べたことばを知っていました(一コリント11・24-25またルカ22・19-20参照)。また、イエスの十字架についても知っていました。これらはイエスのことばと生涯の出来事に関する直接的な言及です。
  第二に、パウロの手紙のいくつかの箇所には共観福音書に記された伝承が見いだされます。たとえば、テサロニケの信徒への手紙一に見られる「盗人が夜やって来るように、主の日は来る」(一テサロニケ5・2)ということばは、旧約聖書の預言を参照しても説明できません。なぜなら、夜やって来る盗人のたとえはマタイによる福音書とルカによる福音書にのみ見いだされるものだからです。それゆえ、これは共観の伝承からとられたものです。「神は・・・・世の無学な者を選び」(一コリント1・27-28)と書かれているのを読むと、これが素朴な人、貧しい人についてのイエスの教えを忠実に反映したものであることに気づきます(マタイ5・3、11・25、19・30参照)。イエスもメシアとしての喜びのうちにこう語ります。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました」(マタイ11・25、ルカ10・21)。パウロは宣教の経験から、このことばが真実であることを知っていました。すなわち、このような素朴な人こそがイエスを知るために心を開くのです。フィリピ2・8で述べられる、イエスが「死に至るまで」従順だったという記述も、地上のイエスが父のみ旨を果たすために自分のすべてをささげたことを思い起こさせずにはいません(マルコ3・35、ヨハネ4・34参照)。それゆえパウロは、イエスの受難、十字架、イエスが生涯の最後の時をどのように過ごしたかを知っていました。イエスの十字架と、この十字架での出来事に関する伝承は、パウロのケリュグマ(宣教)の中心に置かれます。聖パウロが知っていた、イエスの生涯のもう一つの柱は、「山上の説教」です。パウロはローマの信徒にあてた手紙の中で、「山上の説教」の一部の要素をほとんど文字どおり引用します。「互いに愛しなさい。・・・・迫害する者のために祝福を祈りなさい。・・・・すべての人と平和に暮らしなさい。・・・・善をもって悪に勝ちなさい。・・・・」。パウロの手紙のこれらのことばは、山上の説教を忠実に反映しています(マタイ5-7章参照)。
  さらに、イエスのことばがパウロの手紙の中に見いだされる三番目のしかたを指摘することができます。それは、パウロが復活前のイエスに関する伝承を復活後の状況に置き換える場合です。その典型的な例が、神の国というテーマです。神の国が歴史上のイエスの説教の中心であることはいうまでもありません(マタイ3・2、マルコ1・15、ルカ4・43参照)。パウロにおいてこのテーマの置き換えが行われます。なぜなら、復活の後、復活したイエスご自身が神の国であることは明らかだからです。それゆえ、イエスが来られたところに神の国は到来します。神の国はイエスの神秘を先取ります。だから、神の国というテーマは、キリストを語るものへと置き換えられるほかないのです。ところで、イエスが神の国に入るために要求した条件は、まさにパウロにとって信仰によって義とされる条件となりました。神の国に入るためにも、義とされるためにも、深いへりくだりと従順、思い上がりからの自由が必要です。それは神の恵みを受け入れるためです。たとえば、ファリサイ派の人と徴税人のたとえ(ルカ18・9-14参照)は、パウロが、だれ一人、神の前で誇ってはならない(一コリント1・29参照)と述べたのと同じことを教えます。徴税人や娼婦のほうがファリサイ派の人よりも進んで福音を受け入れるというイエスのことばや(マタイ21・31、ルカ7・36-50参照)、このような人々と一緒に食事をしたイエスの選択(マタイ9・10-13、ルカ15・1-2参照)も、罪人に対する神の憐れみ深い愛に関するパウロの教え(ローマ5・8-10、またエフェソ2・3-5参照)と完全に一致します。このようにして神の国というテーマは、新たな形で、しかし歴史上のイエスに関する伝承につねにまったく忠実なしかたで示されます。
  イエスの教えの中心に従った、その置き換えのもう一つの例は、パウロがイエスを呼ぶ際の「称号」に見いだされます。復活の前、イエスご自身がご自分を「人の子」と呼びました。復活の後、「人の子」が「神の子」でもあることが明らかになりました。それゆえ、パウロがイエスを呼ぶときに好んで用いた称号は「主(キュリオス)」です(フィリピ2・9-11参照)。「主(キュリオス)」はイエスが神であることを表すからです。主イエスはこの称号をもって、復活の完全な光のうちに現れます。オリーブ山でイエスがこの上なく苦しまれたとき(マルコ14・36参照)、弟子たちは眠る前に、イエスが父に語りかけて、「アッバ、父よ」と呼ぶのを聞きました。これは、幼児が父親に語りかけるときにしか使わない「パパ」と同じ意味を表す、きわめて親密なことばです。そのときまで、ユダヤ人が神に語りかけるときにこのようなことばを用いるのは考えられないことでした。しかし、イエスは、子であるがゆえに、神と親しく過ごしたこのときに、「アッバ、父よ」と語ったのです。聖パウロのローマの信徒への手紙とガラテヤの信徒への手紙の中では、驚くべきことに、イエスのみが神の子であることを表すこの「アッバ」ということばが、洗礼を受けた者の口から発せられます(ローマ8・15、ガラテヤ4・6参照)。なぜなら、洗礼を受けた者は、「御子の霊」を受け、今や自らのうちにこの霊を帯びながら、イエスと同じように、イエスとともに、イエスの父のまことの子として、「アッバ」ということができるからです。彼らは御子と結ばれて子とされたからです。
  最後にわたしは、イエスの死の救いをもたらす側面について指摘したいと思います。わたしたちはそれを福音のことばの中に見いだすからです。すなわち、「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分のいのちをささげるために来たのである」(マルコ10・45、マタイ20・28)。このイエスのことばの忠実な反映が、イエスの死に関するパウロの教えに見られます。すなわち、イエスの死は代価であり(一コリント6・20参照)、あがないであり(ローマ3・24参照)、自由にし(ガラテヤ5・1参照)、和解をもたらします(ローマ5・10、二コリント5・18-20参照)。ここにパウロの神学の中心があります。そして、パウロの神学はここに示したイエスのことばに基づいているのです。
  要するに、聖パウロはイエスを歴史的存在、すなわち過去の人物と考えませんでした。たしかにパウロは、イエスの生涯、ことば、死と復活に関する偉大な伝承を知っていました。しかし彼はそのすべてを過去の事柄として扱いませんでした。パウロはそれらを生きているイエスの現実として示しました。パウロにとって、イエスのことばとわざは歴史的時代や過去に属するものではありません。イエスは今も生きています。今もわたしたちに語りかけ、わたしたちのために生きておられます。これこそが、イエスを知り、イエスに関する伝承を受け入れるための真のやり方です。わたしたちも、肉に従って、過去の人物としてイエスを知るのではなく、わたしたちの主また兄弟であるかたとしてイエスを知ることを学ばなければなりません。イエスは今日もわたしたちとともにおられ、いかに生き、また死ぬべきかをわたしたちに示してくださるからです。 

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