教皇ベネディクト十六世の2008年10月19日の「お告げの祈り」のことば 宣教の月とロザリオの月

教皇ベネディクト十六世は、年間第29主日の10月19日(日)午前9時30分から、司牧訪問先のポンペイ・教皇巡礼所聖母聖堂で行った感謝の祭儀の終わりに、聖堂前の広場で、広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語とフランス語)。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  荘厳な感謝の祭儀と恒例のポンペイの聖母への執り成しの祈りに続いて、いつもの主日と同じように、もう一度「お告げの祈り」を行うことによって、わたしたちの目をマリアに向けたいと思います。そしてわたしたちは、教会と人類のための大きな意向をマリアにゆだねます。とくにわたしたちはローマで開催されている世界代表司教会議(シノドス)通常総会のために祈ります。シノドスのテーマは「教会生活と宣教における神のことば」です。どうかシノドスがあらゆるキリスト教共同体にまことの刷新をもたらすことができますように。もう一つの特別な祈りの意向が「世界宣教の日」によって与えられます。パウロ年にあたり、今年の「世界宣教の日」は、わたしたちがこの異邦人の使徒の有名なことばを黙想するように示します。「福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです」(一コリント9・16)。宣教の月、またロザリオの月である10月にあたって、どれほど多くの信者と共同体が、宣教者と福音宣教のために聖なるロザリオをささげていることでしょうか。そのため、わたしは今日、このような日に、ここポンペイの、ロザリオの聖母にささげられたきわめて重要な聖堂に来ることができたことをうれしく思います。実際、わたしはこの機会に、わたしたち皆の第一の宣教の務めは祈ることだということを、心から強調したいと思います。福音への道は何よりも祈ることによって準備されます。祈ることによって心は神の神秘に開かれます。そして、祈ることによって心は神の救いのことばを受け入れる準備をするのです。
  今日はさらに幸いな偶然の一致があります。今日、リジューで、幼いイエスの聖テレジア(1873-1897年)の両親のルイ・マルタン(1823-1894年)とゼリー・マルタン(1831-1877年)が列福されます。幼いイエスの聖テレジアはピオ十一世により宣教者の保護者とされました。新たに福者となる聖テレジアの両親は、その祈りと福音的なあかしを通じて、娘である聖テレジアの道をともに歩み、共有しました。聖テレジアはカルメルの壁の中で無条件に主に自分をささげるよう主から招かれました。隠れた禁域の中で、聖テレジアは「母である教会の心臓の中で、わたしは愛となる」(『幼いイエスの聖テレーズ自叙伝――その三つの原稿』:Manuscrits autobiographiques, Lisieux, 1957, p. 226〔東京女子跣足カルメル会訳、伊従信子改訳、ドン・ボスコ社、1996年、289頁〕)というその召命を果たしました。マルタン夫妻の列福に思いを致しながら、わたしはもう一つのわたしの心にある意向を思い起こしたいと思います。すなわち家庭です。家庭は、子どもたちの心を世界とその諸問題に広く開いて責任をもつように教育し、また、その宣教生活への召命を育てる上で、根本的な役割を果たします。ですから、今月、多くの家族がこの巡礼聖堂に行った巡礼を心のうちで続けながら、世界のすべての家族のためにポンペイの聖母の母としてのご保護を祈り求めたいと思います。そしてわたしは今から、2009年1月にメキシコ・シティーで開催される予定の第6回世界家庭大会を心にとめます。(以上イタリア語。以下フランス語)
  今日の「世界宣教の日」にあたり、とくに宣教の守護者である幼いイエスのテレジアの両親のルイ・マルタンとゼリー・マルタンの列福のためにリジューに集まっておられる巡礼者と心を一つにしたいと思います。マルタン夫妻はその模範的な結婚生活をとおしてキリストの福音を告げ知らせました。二人は信仰を熱心に生き、家族と周囲の人々に伝えました。二人の祈りがすべての両親と家族の喜びと希望の源になりますように。

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