世界代表司教会議(シノドス)第12回通常総会 最終メッセージ(要約)

世界代表司教会議第12回通常総会は、10月24日(金)午前9時から始まった第21回全体会議で「最終メッセージ」を承認し、これを同日発表しました。以下に訳出したのはその「要約」の全文です(原文はイタリア語)。   親愛なる […]

世界代表司教会議第12回通常総会は、10月24日(金)午前9時から始まった第21回全体会議で「最終メッセージ」を承認し、これを同日発表しました。以下に訳出したのはその「要約」の全文です(原文はイタリア語)。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  「至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人とともに・・・・イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」(一コリント1・2-3)。わたしたちがパウロ年をささげているこの使徒パウロのあいさつによって、世界代表司教会議(シノドス)第12回通常総会に教皇ベネディクト十六世とともにローマに集まったわたしたちシノドス参加司教は、シノドスの議論の中心である、神のことばに関する考察と提言に満ちたメッセージを皆様に送ります。
  このメッセージを、まず司牧者と、多くの寛大なカテキスタ、そして、聖書を愛を込めて聞き、読むために皆様を指導するすべての人にゆだねます。今、皆様のために、このテキストの中心と本質の概要を説明します。それは、このメッセージが皆様の神のことばへの知識と愛を深めることができるようにするためです。わたしたちは四つの中心的となる地平を知っていただくように皆様を招きます。この地平をわたしたちは多くのイメージで表しました。
  第一は、神の声です。神の声は創造の初めに響き渡り、無の沈黙を破り、驚くべき世界を造り出しました。この声は歴史をも貫きます。歴史は人間の罪によって傷つき、苦しみと死によって混乱しました。主はまた人間とともに歩み、その恵みと契約と救いを与えました。神の声は聖書の中にも入りました。教会は今も聖霊に導かれながら聖書を読みます。聖霊は教会とその司牧者に真理の光として与えられるからです。
  さらに、聖ヨハネがいうように、「ことばは肉となった」(ヨハネ1・14)。ここにイエス・キリストのみ顔が現れます。イエス・キリストは、永遠にして限りない神の子でありながら、歴史と、民族、土地に結ばれた、死すべき人間でもあります。彼は死に至るまで、労苦の多い人間の人生を生きましたが、栄光のうちに復活して、とこしえに生きておられます。イエス・キリストはわたしたちと神のことばとの出会いを完成します。彼は聖書の「完全な意味」と統一性をわたしたちに示します。それゆえ、キリスト教は、イエス・キリストという人格を中心とした宗教です。イエス・キリストは父を現してくださったかただからです。彼は聖書が「肉」すなわち人間のことばであることをわたしたちに悟らせてくれます。わたしたちはこの人間のことばを、その表現方法によって理解し、学ばなければなりません。しかし、この人間のことばはまた、その中に神の真理の光を保ちます。わたしたちはこの神の真理の光を、聖霊の力によって、初めて生き、観想することができます。
  この神の霊がわたしたちを第三の中心点へと導きます。すなわち、神のことばの家である、教会です。教会は、聖ルカがいうように(使徒言行録2・42)、四つの柱によって支えられます。まず「教え」です。「教え」とは、聖書を読んで理解することです。これは、すべての人に対する宣教、カテケーシス、思いにも心にも訴えかける説教を通じて行われます。第二は「パンを裂くこと」、すなわち聖体です。聖体は教会生活と宣教の源泉と頂点です。かつてエマオで行われたように、信じる者は神のことばの食卓と聖体の食卓の典礼で養われるよう招かれます。第三の柱は「詩編と賛歌と霊的な歌」(コロサイ3・16)による「祈り」です。これにはまず時課の典礼があります。時課の典礼は、キリスト教の日々の流れにリズムを与えるための教会の祈りです。また、「霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)」があります。「霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)」は祈りのうちに聖書を読むことです。それは、黙想と祈りと観想を通じて、生きた神のことばであるキリストと出会うことを可能にします。最後は「兄弟の交わり」です。真のキリスト信者とは、「神のことばを聞く」だけでなく、愛のわざによって「それを行う」(ルカ8・21)人だからです。神のことばの家の中で、わたしたちは他の教会・教会共同体の兄弟姉妹とも出会います。これらの兄弟姉妹は、いまだに分裂していても、神のことばへの崇敬と愛のうちに、完全な一致ではないにしても、真実な一致を生きています。
  こうしてわたしたちは霊的道のりの最後の段階に達します。それは、神のことばが歩む道です。「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。・・・・あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。・・・・耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい」(マタイ28・19-20、10・27)。神のことばは世の通りを走らなければなりません。現代において、この通りとは、コンピューター、テレビ、バーチャル(仮想現実的な)メディアでもあります。聖書は家庭の中に入らなければなりません。両親と子どもが聖書を読み、聖書で祈り、聖書を人生の歩みを照らす灯(ともしび)とするためです(詩編119・105参照)。聖書は学校や文化の領域にも入らなければなりません。聖書は数世紀にわたって、芸術、文学、音楽、思想、公衆道徳の主要な基準となってきたからです。聖書の豊かな象徴、詩、物語は、醜悪で下劣なもので汚れた世界にあって、信仰にとっても文化にとっても美のしるしとなります。
  しかし、聖書はさまざまな苦しみをもわたしたちに示します。地上で生じたこれらの苦しみは、しいたげられた人々の叫び、悲惨のうちにある人の嘆きとなります。この苦しみの頂点にあるのが十字架です。十字架上で、ひとり見捨てられたキリストは、もっともむごたらしく悲惨な苦しみと死を味わいます。このように神の子がともにいてくださることによって、悪と死の暗闇を、復活の光と栄光への希望が照らします。しかし、他の教会・教会共同体の兄弟姉妹もこの世の道をわたしたちとともに歩みます。これらの兄弟姉妹は、いまだに分裂していても、神のことばへの崇敬と愛のうちに、完全な一致ではないにしても、真実な一致を生きているからです。この世の道において、わたしたちは諸宗教を信じる人々ともしばしば出会います。これらの人々も、彼らの聖典の教えに聞き従って、それを忠実に実行し、わたしたちとともに平和と光に満ちた世界を築くことができます。なぜなら、「神は、すべての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられる」(一テモテ2・4)からです。
  親愛なる兄弟姉妹の皆様。自分の家庭の中で聖書を保管し、読み、研究し、完全に理解してください。聖書を祈りと生活のあかしに変えてください。典礼の中で、愛と信仰をもって聖書に耳を傾けてください。沈黙して、主のことばをよく聞けるようにしてください。聞いてから沈黙してください。主のことばがあなたがたのうちに住み、あなたがたに語りかけ続けてくださるようにするためです。一日の初めに神のことばを聞いてください。神のことばが最初のことばとなるためです。夕べに神のことばを聞いてください。神のことばが最後のことばとなるためです。
  「今、神とその恵みのことばとにあなたがたをゆだねます」(使徒言行録20・32)。エフェソの教会の指導者への別れのあいさつの中で聖パウロが用いたのと同じことばで、シノドス参加司教も、世界中に散らばる共同体の信者の皆様を神のことばにゆだねます。神のことばは、裁きであると同時に、何よりも恵みです。それは剣のように鋭いと同時に、蜂の巣のように甘美です。神のことばは力強く、栄光に満ち、イエスのみ手によって歴史を歩むわたしたちを導きます。あなたがたはこのかたをわたしたちと同じように「変わらぬ愛をもって愛しています」(エフェソ6・24参照)。

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