教皇ベネディクト十六世の2008年11月16日の「お告げの祈り」のことば タラントンのたとえ

教皇ベネディクト十六世は、年間第33主日の11月16日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイ […]

教皇ベネディクト十六世は、年間第33主日の11月16日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
「お告げの祈り」の後、教皇は、11月21日(金)の聖マリアの奉献の記念日を前にして、イタリア語で次のように述べました。
「今週の11月21日の金曜日の聖マリアの神殿への奉献の記念日に、禁域で生活する修道共同体のために『祈る人のための日』が行われます。この使命を受け入れ、自らのすべてを祈りにささげ、摂理によって与えられるものだけで生きる兄弟姉妹のために、主に感謝したいと思います。わたしたちもこの兄弟姉妹と新たな召命のために祈りたいと思います。そして、物質的に必要なことについて修道院を支えるように努めたいと思います。親愛なる兄弟姉妹の皆様。教会と世界の中に皆様がいてくださることは不可欠です。わたしは皆様に寄り添いながら、深い愛情をこめて皆様を祝福します」。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  年間の終わりから二番目の主日にあたる、今日の主日の神のことばは、世の終わりに主イエスが再臨することを待ち望みながら、目覚めて働くようにわたしたちを招きます。福音の箇所は、聖マタイが述べる、有名なタラントンのたとえを語ります(マタイ25・14-30)。「タラントン」は古代ローマの高額な通貨です。まさにこのたとえが有名になったために、それは、個人の才能(タレント)の同義語となりました。すべての人はこの才能を伸ばすよう招かれています。実際、テキストは語ります。「ある人が旅行に出かけるとき、しもべたちを呼んで、自分の財産を預けた」(マタイ25・14)。たとえの中のこの人はキリストご自身を表します。しもべたちは弟子であり、タラントンはイエスが弟子たちにゆだねるたまものです。ですから、このたまものは、自然な素質を超えて、主イエスがわたしたちに遺産として残した富を表します。それは、わたしたちがそこから実りをもたらすためです。富とはこれです。聖なる福音のうちに伝えられたイエスのみことば。聖霊によってわたしたちを新たにする洗礼。わたしたちが御子と結ばれた子として神にささげる祈り――「主の祈り」――。イエスがすべての人にもたらすように命じた、ゆるし。イエスがいけにえとしてささげたからだと、流した血の秘跡です。一言でいえば、富とは、神の国です。神の国は、わたしたちのただ中に現存し、生きている、イエスご自身です。
  これが、イエスが地上における短い生涯の終わりに、その友にゆだねた宝です。今日のたとえは、このたまものを受け入れ、大切にするための内的な態度について述べています。間違った態度は、恐れです。主人と、主人が帰ることを恐れたしもべは、金を地の中に隠し、何の利益ももたらしませんでした。このことは、たとえば、洗礼と聖体拝領と堅信を受けながら、後にこれらのたまものを迷信の覆いの下に、すなわち、信仰と行いを麻痺させる誤った神の像の下に埋める人に見られます。こうしてこのような人は、主の期待を裏切るのです。けれどもこのたとえは、弟子たちがよい実りをもたらしたことを強調します。この弟子たちは、たまものが与えられたことを喜んで、恐怖や嫉妬によってこのたまものを隠したりせず、たまものを増やし、分け与え、共有します。そうです。キリストがわたしたちに与えてくださったものは、人に与えることによって増えるのです。この宝は、使い、与え、すべての人と分かち合うために造られたのです。イエスのタラントンの偉大な管理者である使徒パウロが教えるとおりです。
  今日、典礼がわたしたちに示す福音の教えは、歴史と社会の領域にも影響を与え、キリスト教徒の中に積極的で進取の気性に富んだ精神を作り出しました。しかし、メッセージの中心は、わたしたちが責任感をもって神の国を受け入れなければならないということにあります。すなわち、神と人類に対する責任です。このような態度はおとめマリアの心のうちに完全なしかたで形をとりました。マリアは、もっとも貴いたまものであるイエスご自身を受け入れ、深い愛をもってこのかたを世にささげたからです。マリアに祈り求めたいと思います。わたしたちが「忠実なよいしもべ」となることができますように、助けてください。それは、わたしたちがいつの日か「わたしたちの主の喜び」にあずかることができるようになるためです。

PAGE TOP