教皇ベネディクト十六世の2009年1月11日の「お告げの祈り」のことば 洗礼の恵み

教皇ベネディクト十六世は、主の洗礼の祝日の1月11日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタ […]

教皇ベネディクト十六世は、主の洗礼の祝日の1月11日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
この「お告げの祈り」のことばの中で、教皇は、1月14日(水)から18日(日)までメキシコ・シティーで開催される第6回世界家庭大会のための祈りを呼びかけました。なお、教皇は1月10日(土)、この大会の参加者と、大会に参加できなくても大会のために祈りをささげる者に全免償を与える教令を発布しています。
この日、教皇は、午前10時からシスティーナ礼拝堂でささげたミサの中で、13名の新生児に洗礼を授けました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  主の公現の祭日に続く、今日の主日に、わたしたちは主の洗礼を祝います。主の洗礼はイエスの公生活の最初の出来事であり、4つの福音書すべてにおいて語られます。約30歳になったとき、イエスはナザレを離れてヨルダン川に行き、他の多くの人々とともにヨハネから洗礼を受けました。福音書記者マルコはいいます。「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて、〝霊〟が鳩のようにご自分に降って来るのを、ご覧になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」(マルコ1・10-11)。「あなたはわたしの愛する子」――このことばのうちに、永遠のいのちとは何かが示されます。永遠のいのちとは、神との子としての関係です。イエスがそれを生き、示し、わたしたちに与えてくださったとおりです。
  今朝わたしは、恒例に従い、システィーナ礼拝堂で、13名の新生児に洗礼の秘跡を授けました。司式者はいつも両親と代父母に尋ねます。「あなたがたは子どものために教会に何を求めますか」。すると彼らはこたえます。「洗礼を求めます」。それから司式者は尋ねます。「洗礼によって何が与えられますか」。彼らはこたえます。「永遠のいのちが与えられます」。これは驚くべきことです。人間は洗礼を受けることによって、イエスと御父の唯一かつ独自の関係に結ばれます。こうして、天から独り子に語りかけられた、「あなたはわたしの愛する子」ということばは、水と聖霊によって新たに生まれたすべての人にとっても、真実となります。
  親愛なる友人の皆様。洗礼の恵みはなんと偉大なものでしょうか。完全な意味でこのことに気づくなら、わたしたちの生涯は「恵み」であり続けます。キリスト信者の両親にとって、それはなんと喜ばしいことでしょうか。彼らは自分たちの愛から新しい被造物が生まれたのを目にしたからです。彼らはこの子を洗礼盤に連れてきて、その子が教会の胎内で新たに生まれ、終わりのないいのちを得るのを見たからです。それは恵みであり、喜びであるとともに、責任をともなうことでもあります。実際、両親は代父母とともに、福音に従って子どもを教育しなければなりません。そこからわたしは、来週、メキシコ・シティーで開催される「第6回世界家庭大会」のテーマに思いを致します。「第6回世界家庭大会」のテーマは「人間的・キリスト教的価値観を教える家庭」です。教皇庁家庭評議会が主催するこの大きな「家庭集会」は3つの行事から成ります。第一は神学的・司牧的会議です。この会議は、大会のテーマを考察し、重要な経験を分かち合います。次に祭儀とあかしです。この行事は、同じ信仰と務めで結ばれた世界中の家庭が集うことのすばらしさを示します。最後に荘厳な感謝の祭儀が行われます。この感謝の祭儀で、結婚と家庭といのちを与えてくださった主に感謝をささげます。わたしは(国務省長官の)タルチジオ・ベルトーネ枢機卿にわたしの代理を頼みました。しかし、わたし自身もこの特別な行事に積極的に参加します。わたしは、祈りをもってこの行事とともに歩み、テレビ中継を通してお話しするからです。親愛なる兄弟姉妹の皆様。今から皆様にお願いします。この重要な国際的な家庭集会の上に神の豊かな恵みが注がれることを祈り求めてください。そのために、家庭の元后であるおとめマリアの母としての執り成しを願いたいと思います。

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