第43回「世界広報の日(2009年5月17日)」教皇メッセージ

第43回「世界広報の日(2009年5月17日)」教皇メッセージ 「新たな技術、新たな関係。尊敬、対話、友情に基づく文化の促進」 親愛なる兄弟姉妹の皆様  今年の世界広報の日に向けて、そのテーマである「新たな技術、新たな関 […]

第43回「世界広報の日(2009年5月17日)」教皇メッセージ
「新たな技術、新たな関係。尊敬、対話、友情に基づく文化の促進」

親愛なる兄弟姉妹の皆様

09sc 今年の世界広報の日に向けて、そのテーマである「新たな技術、新たな関係。尊敬、対話、友情に基づく文化の促進」に関するわたしの考えをいくつか述べたいと思います。実際、新しいデジタル技術は伝達様式と人間関係を根本的に変えています。その変化は、最新技術とともに成長し、デジタル世界に慣れ親しんでいる若い人々の間にとくにはっきりと見られます。わたしたち大人は、しばしばデジタル世界がまったく別世界であるかのように感じ、それがコミュニケーション手段に提供する機会を受け止め理解するために学ばなくてはなりませんでした。「デジタル世代」と呼ばれる人々がいることをわたしは認識しています。とくに今年のメッセージでは、最新技術が人間の理解と連帯を促すために使われたときのはかりしれない可能性について、彼らとともに考えを分かち合いたいと思います。これらの最新技術は真に人類への贈り物です。それらがもたらす恩恵が、すべての人々と共同体、とくにもっとも恵まれない傷つきやすい人々のために確実に使われるように努めなければなりません。

 アクセスしやすい携帯電話とコンピューター、そして世界中に普及浸透しているインターネットにより、さまざまな通信手段が可能になりました。それらを使えば、文字と画像をほとんど瞬時に、はるか遠く世界の果てまで伝達できます。それは、旧世代の人々には想像すらできなかったことでしょう。この新しいメディアには、個人と共同体間の結びつき、コミュニケーション、理解を促す大きな力があります。とくに若い人々がその力を把握して友人と通信したり、新しい仲間と出会ったり、共同体やネットワークを作ったり、情報やニュースを検索したり、自らの意見や主張を発言したりするための手段として駆使しています。この新たなコミュニケーション文化は数多くの恩恵をもたらします。家族は遠く離れていても連絡をとり続けることができます。学生や研究者は文書や情報源や科学的発見により早く簡単にアクセスでき、別の場所にいても共同で作業できます。さらには、新しいメディアの多くに相関性があるため、学習様式とコミュニケーションがより活性化しています。こうして社会の発展に貢献しているのです。

 最新技術は驚くべき早さで、より効率的で頼れる存在となっています。それらは互いに伝えかかわり合いたいという人間の根本的願望にこたえているのですから、ユーザーの間に広く受け入れられているのも不思議ではありません。コミュニケーションと友情を求めるこの願望は、わたしたち人間の本質に根ざしたものであり、技術革新に対応して起こるものとして解釈できるものではありません。聖書のメッセージに照らしてみると、その願望とは本来、交わりと一致を求める神の愛にわたしたちがあずかることの表れとして見なされるべきです。神は人類すべてを一つの家族とすることを望んでおられます。わたしたちが相手に引きつけられたり、相手のことをもっと知りたいと望んだり、自らのことを知らせたいと思ったりするときが、神の呼びかけにこたえているときです。その呼びかけは、わたしたち人間の本性に刻み込まれています。人間はコミュニケーションであり、交わりである神の似姿として造られているからです。

 人間には自らを超えることを望み、他者との交わりを求め続ける根本的傾向があります。現代文化に顕著に見られる結びつきを求める願望とコミュニケーションへと向かう本能は、その傾向が今の時代に現れたものとして適切に理解されます。相手に自らを開け放ったときに、わたしたちはもっとも深いところにある要求を満たし、より人間らしくなります。愛することはまさに創造主によってわたしたちに計画されたものです。もちろん、つかのまの浅い関係のことではなく、イエス・キリストの倫理的教えの真髄にある真実の愛のことをいっているのです。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」そして「隣人を自分のように愛しなさい。」(マルコ12・30-31参照) このみことばに照らして最新技術の重要性を考えてみると、人々の交流を促すその確かな力だけでなく、それらの手段を使って配信される内容の質に注目することも大切なことが分かります。新たに生まれたデジタル通信環境を活用する善意ある人すべてに対し、尊敬と対話と友情に基づく文化の促進に努めるようにお願いします。

 それゆえ、新しいメディアコンテンツの作成と配信に携わる人々は、人間の尊厳と価値を尊重するように努めるべきです。最新技術が個人と社会の善に尽くすために使われるのであれば、すべてのユーザーが、人間性を失墜させ、憎しみと不寛容性を促し、人間の性の善性と親密さを卑しくし、弱く傷つきやすい人々を搾取するようなことばと画像に触れずにすむでしょう。

 最新技術は異なる国、文化、宗教に属する人々の間の対話への道も切り開きました。サイバースペースと呼ばれる新しいデジタル領域を通して、互いの伝統と価値観に出会い、認識することができるようになりました。そのような出会いを実りあるものとするには、誠実で適切な表現方式を用いること、そして注意深く敬意をもって受け止めることが必要です。理解と寛容のうちに成長を促すには、対話が誠実で相互的な真実探求に根ざしている必要があります。人生は単なる出来事や体験の積み重ねではなく、真善美の追求です。そのために、わたしたちは選択し、自由を行使しています。真善美のうちにこそ、わたしたちは幸せと喜びを見いだします。無差別に可能性を求める市場では、選択そのものが善となり、目新しさが美に勝り、主観的体験が真実に取って代わります。その市場の単なる消費者としてわたしたちをみなす人々に惑わされてはなりません。

 ここ数年、新たに出現したデジタル・ソーシャル・ネットワークということばとともに、友情の概念が再び脚光を浴びています。友情の概念は人間の文化のもっともすばらしい功績の一つです。友情のうちに、また友情を通して、わたしたちは人間として成長し高められます。この意味で真の友情は、つねにいかなる人も経験できるもっともすばらしい善の一つとしてみなされます。ですから、友情を実体験するという概念を軽視しないように気をつけるべきです。もし、オンライン上の友情を保ち深めたいという願望のために、家族や隣人そして職場、学校、レクリエーションなどの場で日々実際に出会う人々とのかかわりが犠牲になるのであれば、それは悲しいことです。バーチャルな結びつきを求めることしか考えられなくなれば、実際、彼らは現実の社会的交流から孤立してしまうかもしれません。また、健全な人間の成長に欠かせない休息、沈黙、思考のパターンも混乱するでしょう。

 友情はすばらしい人間の善の一つです。しかし、友情の目的がそれ自体にあると解釈されるなら、その根本的価値は失われるでしょう。友人どうしは互いに助け合い、励まし合って自らのたまものと才能を高め、人間社会に役立てるべきです。この意味で、人々の連帯、正義と平和、人権、そして人間のいのちと被造物に対する尊重を促す新しいデジタル・ネットワークの出現は喜ぶべきことです。これらのネットワークにより、地理的、文化的に異なる背景を持つ人々の間の協力体制が促され、共通の人間性と、すべての人の幸せを担う責任を分ち合うという意識が深まります。したがって、そのようなネットワークが形成可能なデジタル世界が、確かにすべての人に真に開かれたものになるように努めなければなりません。もし、知識と情報をより迅速に効率的に分ち合える新しいコミュニケーション手段が、経済的にも社会的にもすでに片隅に追いやられた人々がアクセスできないように構築されているとしたら、あるいは、人々を結びつけ情報を提供するサービスにおいて発展しつつある新しいネットワークから貧しい人々を遠ざけ、結局は格差を広げるだけの結果をもたらすのであれば、それは人類の未来に悲劇を招くでしょう。

 このメッセージを締めくくるにあたり、とくに若いカトリック信者の皆さんがデジタル世界に信仰をあかしするように励ましたいと思います。兄弟姉妹の皆さん、通信と情報の技術を伴う新たな環境にあるこの文化に、皆さんが人生を築き上げる基となった価値観を伝えてください。初代教会では、偉大な使徒とその弟子がイエス・キリストの福音をギリシア人とローマ人に伝えました。当時、宣教を実り豊かなものとするには、異教徒の文化と習慣を理解することに心を配り、福音の真理が彼らの心と本質に触れるようにする必要がありました。したがって当時とまったく同じように今、最新技術を宣教に適切に用いるのであれば、キリストを告げ知らせるには最新技術の世界に関する深い知識が必要です。この「デジタル大陸」での宣教活動の責任を担うのはまさに、新しい通信手段にごく自然に親しんでいる若い人々です。若者の皆さん、どうか同世代の人々に熱心に福音を告げ知らせてください。皆さんには彼らの恐れ、希望、願望、失望が分かります。そして、彼らにもっともすばらしい贈り物を贈ることができます。それは、人となり、苦しみを受けて死に、すべての人を救うために復活された神の「よき知らせ」を分かち合うことです。人間の心が求め続けている世界とは、愛が貫かれ、たまものが分ち合われ、一致がもたらされ、自由が真理のうちに意味を見いだし、アイデンティティが尊重に基づく交わりの中で見いだされる世界です。わたしたちの信仰はこれらの期待にこたえることができます。皆さんがその案内人となられますように。祈りと祝福のうちに教皇は皆さんとともにいます。

2009年1月24日
聖フランシスコ・サレジオの祝日に
バチカンにて
教皇ベネディクト十六世

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